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武満 徹没後25年 定期演奏会において代表的作品を演奏
2021-03-03
カテゴリ:お知らせ
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仙台フィルハーモニー管弦楽団では、2021年1月から3月にかけての定期演奏会において2021年2月に没後25年を迎える作曲家・武満徹の偉業を称え、多くの作品のなかから初期・中期・後期を代表する3作品を取り上げ、武満徹を回顧します。
武満徹は、ほとんど独学で作曲を学び独創的な作品を数多く世に送り出しました。その人柄ゆえに音楽界のみならず幅広い文化人との交流を持ち、映画音楽やポップ・ソングなど多くのジャンルの音楽を生み出しました。武満の独特なサウンドは世界中で多くのファンを魅了し、彼の作品は、没後25年を経た現在でも世界中のオーケストラよって頻繁に演奏されています。
3月20日 第344回定期演奏会 指揮:尾高忠明
「系図―若い人たちのための音楽詩」
この作品は武満徹が晩年に谷川俊太郎の詩集「はだか」から選んだ6曲を基づいて語りとオーケストラのために書き下ろした作品です。初演は1995年4月20日、武満が世を去る10ヶ月前でした。ひとりの少女によって語られる家族の記憶と彼女の想いがこの作品のテーマです。仙台フィルは東日本大震災から10年目の3月を迎えるにあたり、石巻出身で震災当時10歳だった高平響を語り役に起用し、彼女と共に次世代に向けたメッセージをみなさまにお届けしたいと思います。


プログラムノート
藤田 茂(音楽学者)

 この作品は、武満徹(1930-1996)が1992年に完成させた、語りとオーケストラのための音楽である。作曲のきっかけになったのは、ニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督であったズービン・メータから、同楽団の創立150年を記念する作品として、子どものための音楽を書いてみないかともちかけられたことだった。そのときメータのほうでイメージしていたのが、どのような音楽であったかは分からないが、プロコフィエフが同じく語りとオーケストラを使って《ピーターと狼》で実践したのと同類のことを、武満が日本の民話で実現してくれることを期待していたという可能性はないだろうか。
 良い悪いは別にして、国際舞台における武満の代名詞となっていたのは、なんといっても、日本の琵琶と尺八を取り入れた《ノヴェンバー・ステップス》(1967)だった。そして、この作品は、メータの依頼から遡ること四半世紀、バーンスタイン時代のニューヨーク・フィルハーモニックのために、その創立125年を記念して書かれたものだった。だから今回も、何らかの「分かりやすく日本的なもの」が明言されぬままに求められていたとしても不思議ではない。
 しかし武満は、《ノヴェンバー・ステップス》の自作解説に、すでにこう書いていた。「オーケストラに対して、日本の伝統楽器をいかにも自然にブレンドするというようなことが、作曲家のメチエであってはならない」。実際、その後の武満は、日本の伝統につらなる文化的な営みを熟考しながらも、分かりやすく日本的なものへの期待からは身をかわしつつ、まるで海のように、西も東もない、すべてを抱き取るような大らかな音楽を目指して進んでいった。時が経ち、再びニューヨーク・フィルハーモニックのために書く機会が巡ってきたとき、武満は、新しい委嘱作を次の言葉で締めくくることになった。「どこからかうみのにおいがしてくる/でもわたしはきっとうみよりももっととおくへいける」。晩年というにはいささか早すぎる、作曲家62歳の《系図》は、《ノヴェンバー・ステップス》以後、響きの海を目指して進んでいた武満のひとつの到達点であり、また、彼がもっと長く創作をつづけることができれば、きっと見せてくれたであろう、もっと先にあるものへの通過点だったのである。
 先に引用した締めくくりの言葉も含めて、武満は、《系図》の語りのテキストを、盟友でもあった詩人、谷川俊太郎の詩集『はだか』から取ってきた。詩集『はだか』に歌われているのは、自分という安全な境界を越えて、いま世界と向き合わんとする少年(ぼく)あるいは少女(わたし)の心であるが、武満は、すべての一人称を「わたし」にしたうえで(武満は10代半ばの少女が語りを担当することを希望した)、家族という主題のもと、「むかしむかし」「おじいちゃん」「おばあちゃん」「おとうさん」「おかあさん」「とおく」の6つの詩を『はだか』から選び出し、この順番に並べた。
 家族を主題としたことについて、武満は次のように言った。「この騒々しさだけが支配的で、殆ど人工の音に浸っている日常生活を送っている、殊に若いひとたちのために、なにか、おだやかで、肌理こまかな、単純な音楽が書いてみたくなったのです。そして、その時、すぐ頭に浮かんだのが家族というテーマでした。」その理由についてもまた、武満の言葉以上に、すばらしく説明してくれるものはない。「わたしが意図したのは、この作品を聴いてくださる方や、特に若いひとが、人間社会の核になるべき家族の中から外の世界と自由に対話することが可能な、真の自己というものの存在について少しでも考えてもらえたら、ということでした。」
 《系図》の音楽は、ひとりの人間、あるいは、人類史全体のメタファーであるかのように、直線的に進んでいくというより、循環しながら螺旋(らせん)を描く。そのなかで大きな役割を果たしているのが、最初にホルンで示される(主に変ニ長調を取る)旋律である。武満はこの旋律をもともと映画に使う予定だったという(ジャームッシュ監督の『ナイト・オン・ザ・プラネット』)から、《系図》における特徴的なアコーディオンの利用も、おそらくは、そのときの武満の構想に含まれていたものなのだろう。もとの映画音楽は、監督側からの申し入れでお蔵入りとなってしまったが、武満は「若い人たちのための音楽詩」という、まったく新しいコンテキストで、この旋律を再生し、循環させ、ふくよかな世界を作り上げたのだった。
  《系図》の世界初演は1995年4月20日、ヒラ・サックスの語り(英訳)、レナード・スラトキン指揮のニューヨーク・フィルハーモニックによって行われた。日本では、放送初演を経たあとで、小澤征爾の指揮するサイトウ・キネン・オーケストラが公開初演をした。語りはいずれも遠野凪子。本公演では、東日本大震災から10年目の3月を迎えるにあたり、石巻出身で震災当時10歳だった高平響が語りをつとめる。
高平 響 (たかひら ひびき)
2000年7月2日宮城県石巻市生まれ。宮城県仙台第三高等学校を卒業。NHKコンクール放送部門宮城県大会銅賞、石巻市弁論大会優秀賞を受賞。2018年10月より2020年12月までエフエム仙台Date fm「hibikuradio」でパーソナリティを務めた。
2月13日 第343回定期演奏会 指揮:飯守泰次郎
「弦楽のためのレクイエム」
武満徹が深い影響を受けた先達早坂文雄(映画音楽「羅生門」「七人の侍」などを作曲)の死を悼み1957年に作曲した作品です。当初国内ではあまり評価されていませんでしたが、1959年に来日したストラヴィンスキーがその記録録音を聞いて大絶賛したことにより、武満の名が一躍世界中に知れ渡ることになりました。いまでは武満徹の代表作として世界中で演奏されています。


プログラムノート
藤田 茂(音楽学者)
武満徹 弦楽のためのレクイエム
 『弦楽のためのレクイエム』は、武満徹(1930〜1996)が委嘱を受けて書いた最初の音楽であり、また、武満徹の出世作となった音楽だった。1957年、当時27歳を迎えていた武満は、しばらく前に親しい作曲家であった早坂文雄の死を経験し、また、自身も結核を患う身であった。武満は、後に当時を回想して、こう述べている。「『レクイエム』というタイトルを択んだからには、あの時、死について考えていなかったといえば嘘になるだろう。1日に僅か1、2小節を、音楽というものをどう書き表わすか術も理解せぬままに、病床から限られた時間をピアノに向かっていた。その頃は、時に床の上で妻が運ぶ匙から食事を摂るようなこともあった。」しかし、このときの武満は、(自分をも含めた)誰か特定のひとの死を悼む目的に動かされていたわけではなかった。死が近しいものであったからこそ、どこか功利的な響きのする「目的」などに煩わされることなく、ただ書くという行為に一心に身を投じていたのだった。そのことをもって、武満は、『レクイエム』を『メディテーション』(瞑想)としても良かったと言ったのである。こうした没我のなかで武満は「人間とこの世界をつらぬいている音の河の流れ」に出会った。そして武満は『レクイエム』を書きつつ、そのある部分を偶然に取り出そうとしたのだった。
 武満が聞いた音の河においては、拍子という概念は、ほとんど意味を持たなかったのだろう。武満は「one by oneのリズムのうえに曲は構成されている」というが、それは重い足取りのように、早くなりもすれば遅くなりもする、また、強まりもすれば弱まりもする永遠のパルスとして、わたしたちを音の河へと引き込んでいく。
 初演は1957年6月20日、上田仁が東京交響楽団を指揮して行われた。
1月23日 第342回定期演奏会 指揮:鈴木 優人
「夢の時」
武満徹の作品には、「水」「星」「環」「数」「夢」といったテーマよる作品群がいくつか存在します。
1981年に作曲された「夢の時」は、「夢の引用」「夢の縁へ」「夢窓」などと並ぶ1980年代の代表作のひとつです。「短いエピソードが一見とりとめなく浮遊するように連なる。リズムの微妙な増減、テンポの変化が曲の浮遊感をいっそう強調する」と武満が自ら記しているように夢のような浮遊感がこの作品の特徴です。

プログラムノート
藤田 茂(音楽学者)
鯨のように優雅で頑強な肉体をもち、西も東もない海を泳ぎたい。武満徹の言葉である。ひとは西洋と東洋を分けようとするけれども、海には西も東もない。ひとは過去と未来を別にしようとするけれども、海には古いも新しいもない。武満が目指したのも、この海のような音楽だった。2021年は武満の没後25年。武満の夢は、分かつことのできない一つの地球を生きるわたしたちに、ますます強く訴えかけてくる。武満の音楽は、どのような音楽と一緒になっても、それと共生するだろう。そして、どのような音楽も武満の音楽と隣り合うことで、その魅力を増すだろう。これからの3回の定期演奏会を、わたしたちの音楽家であった武満とともに、楽しんでもらいたい。

武満徹 夢の時
 武満徹(1930〜1996)のまなざしは、分かつことのない全体に向かう。西も東もなく、古いも新しいもない海は、武満の眼に強烈に映し出されていた存在の全体性の暗喩であったのだが、それはまた夢の世界にも通じていた。武満の愛した映画がその似姿となってきたように、夢のなかでは過去と未来が重層し、空間は異常な偏差をもって大きなものを小さく、小さなものを大きく出現させる。
 1980年8月、武満は、ネザーランド・ダンス・シアターの芸術監督を務めるチェコの振付家、イジー・キリアンの誘いにのって、オーストラリアのグルート島に共同作品制作のための取材旅行に出かけた。このとき武満の心を深く打ったのは、オーストラリアの先住民が、かろうじて「夢の時(ドリーム・タイム)」と翻訳されうる一連の物語を語り継いでいることだった。彼らにとって「夢の時」は、創生の神話であると同時に、生活の実際的な指針でもあるという。祖先は過去にいるのではなく、いまここに現存しており、信仰は生活から区別されない。わたしたちが、墓前で静かに手を合わせるときにふと感じうるかもしれない、あの一体性の感覚を、日常的に生きている人々がいることは、武満をどれだけ勇気づけただろう。
 かくして武満は『夢の時』をネザーランド・ダンス・シアターのために作曲する。そこでは、先住民の神話の何ものも描出されるわけではないが、(武満の言葉を借りれば)「短いエピソードが、一見とりとめなく浮遊するように連なる」ことで、相互浸透を呼び起こし、すべてがひとつである世界を指し示す。武満の『夢の時』が舞踊とともに舞台をつくるのは1983年まで待たなければならなかったが、それに先立つ1982年6月に、岩城宏之の指揮する札幌交響楽団が、音楽だけでこれを初演した。
公益財団法人
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