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プログラムノート(第373回定期演奏会)
2024-06-17
カテゴリ:読み物
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奥田 佳道(音楽評論家)
コダーイ(1882~1967)ガランタ舞曲
作曲 1933年
初演 1933年10月23日ブダペストのハンガリー国立歌劇場、ドホナーニ・エルネ(エルンスト・フォン・
   ドホナーニ)指揮ブダペスト・フィルハーモニー管弦楽団(国立歌劇場管弦楽団)

 摩訶不思議な郷愁を誘う調べに舞曲の喜び。緩急の対比も鮮やかな東欧の名曲が開演を寿ぐ。
 ドイツ・オーストリア音楽の支流ではなく、真のハンガリー音楽の創造を目指したコダーイ・ゾルターン(ハンガリー人は性・名表記)は、フィールドワークの達人だった。盟友のバルトーク・ベーラ(1881~1945)を誘い、二人は現在のルーマニア、ハンガリー、スロヴァキアの山間や平原の農村を訪ねては、かの地に伝わる舞曲や民謡の調べを採譜。開発間もないレコーダーで農民の歌を録音した。
 実はコダーイ、幼少の頃からハンガリーやルーマニアの田舎で歌われていた民謡や踊りに親しんでいる。ケチケメート鉄道(ハンガリー国有鉄道)の職員だった父フリジェシュの転勤に伴い、10数年にわたって地方の村数か所で暮らしているのだ。
 いっぽう民謡の韻律法研究で博士号をもつコダーイは、童謡と舞踏の大切さ、聴音などのソルフェージュ、ハンドサインに焦点を当てた音楽教育/幼児教育法「コダーイ・メソッド」「コダーイ・システム」の提唱者としても名高い。

 そんなコダーイが、少年時代を過ごしたガランタ村(現在のスロヴァキア共和国南西部)に想いを寄せて創った佳品が「ガランタ舞曲」である。
 ガランタは、ウィーン、プレスブルク(ハンガリー名ポジョニ、スロヴァキアの首都ブラチスラヴァ)、ブダペストを結ぶ街道沿いの村で「東西」の商人が行き交っていた。
 18世紀後半以降、ここに結構な数のロマ(ジプシー)の音楽家がいたようである。ロマは一か所に定住しない暮らしを大切する人たちなので、演奏しては次の村に移動していったわけだけれど。
 コダーイ少年は、ガランタで耳にしたロマの演奏スタイルに魅了される。彼の述懐によれば、初めて聴いた「オーケストラ」だったとのこと。19世紀から20世紀への世紀転換期、ガランタのロマ楽団にかつての輝きや勢いはなく、すでに伝承に基づくアトラクション的な音楽に変容していたようだが、ロマの烈しくも妖しい調べがコダーイ芸術の源泉となったことは間違いない。
 曲は1933年、ブダペスト・フィルハーモニー協会/管弦楽団の創立80周年記念委嘱作として創られた。
 テンポの変幻を巧みに織り交ぜたロマ(ジプシー)ふうの舞曲がメドレーよろしく繰り出される。
 ホルンの音色、それにコントラバスのアクセントが心憎い。ロマ楽団の花形楽器だったクラリネットのソロも演奏の鍵を握る。
コダーイ(1882~1967)ハンガリー民謡「くじゃく」による変奏曲
作曲 1939年(1937年、男声合唱曲として)
初演 1939年11月23日アムステルダム、コンセルトヘボウ ウィレム・メンゲルベルク指揮アムステルダム
   ・コンセルトヘボウ(現ロイヤル・コンセルトヘボウ)管弦楽団

 ティンパニのトレモロに導かれ、低弦、木管、弦楽がノスタルジックな調べを奏で始める。非西欧の5音音階に基づくハンガリー民謡「くじゃくは飛ぶ」の主題だ。
 常にハンガリーの舞曲や民謡に想いを寄せながら創作に勤しんだコダーイ芸術の昇華にも関わらず、オーケストラのコンサートでは何故かそれほど演奏されない管弦楽の名曲、それがハンガリー民謡「くじゃく」による変奏曲である。しかしこの変奏曲、ブラスの世界ではとても有名で、短縮編曲版がコンサートやコンクールを華麗に彩ってきた。さらに、この曲を合唱で歌ったという方もいらっしゃるかも知れない。

 古き良き時代のハンガリーで愛された民謡「くじゃくは飛んだ/飛べよ、くじゃく」は、かつてオスマン・トルコ帝国に支配されていたハンガリー人の気概、抵抗の姿勢、自由への情熱を「主題」としていた。端的に言えば、愛国的な民謡だった。
「くじゃくは飛んだ/飛べよ、くじゃく。くじゃくが、牢獄(郡庁舎)の上に向かって飛んだ。多くの哀れな囚人たちを解放するために」
 この歌詞──圧政や他国の支配に屈しないレジスタンス的な言葉に心奪われ、詩集を紡いだハンガリーを代表する詩人がいた。コダーイより5歳年上のアディ・エンドレ(姓・名 1877~1919)で、アディは上記の言葉に寄り添いつつ、20世紀初頭に9節から成る愛国的な詩を書く。アディは1919年1月、41歳で亡くなった。
 1937年、アディ生誕60周年の年にコダーイが動く。民謡にも詩にも精通していたコダーイは、自らの流儀を織り込みながら、まず男声合唱曲「くじゃくは飛んだ」を作曲する。
 その2年後、マーラーやリヒャルト・シュトラウスとも交友した名指揮者ウィレム・メンゲルベルク(1871~1951)とアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団からオーケストラ曲を委嘱される。
 コンセルトヘボウ管弦楽団の創立50周年を寿ぐ新作を書いて欲しいと。
 ナチス・ドイツの台頭に危機感、嫌悪感を抱くとともに、ナチスと協調してしまった(せざるを得なかった)母国ハンガリーの政権を快く思っていなかったコダーイが愛国的な民謡「くじゃくは飛ぶ」をモティーフとした曲を書くのは、芸術的にも時代的にも必然だった。
 曲は主題と16の変奏、コーダ(終曲)から成る。管弦楽法の名匠コダーイの筆が冴え渡った変奏曲で、葬送行進曲(第13変奏)、フルートとハープの対話(第14変奏)が胸を打つ。そしてドラマ満載の長篇コーダに圧倒される。

主題第1変奏 コン・ブリオ、第2変奏第3変奏 ピウ・モッソ、第4変奏 ポコ・カルマート(少し静かに)、第5変奏 アパッショナート、第6変奏 カルマート、第7変奏 ヴィーヴォ、第8変奏 ピウ・ヴィーヴォ、第9変奏第10変奏 モルト・ヴィーヴォ、第11変奏 アンダンテ・エスプレッシーヴォ、第12変奏 アダージョ、第13変奏 テンポ・ディ・マルシア・フネブレ(葬送行進曲のテンポで)、第14変奏 アンダンテ、ポコ・ルバート、第15変奏 アレグロ・ジョコーソ、第16変奏 マエストーソ、終曲 ヴィヴァーチェ~アンダンテ・カンタービレ~アレグロ
ショスタコーヴィチ(1906~1975)交響曲第5番 二短調 作品47「革命」
作  曲 1937年4月~10月
初  演 1937年11月21日レニングラード(現サンクト・ペテルブルク)・フィルハーモニー大ホール
     エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー交響楽団
日本初演 1949年2月14日日比谷公会堂、山田一雄指揮日本交響楽団(現NHK交響楽団)第304回定期公演

 20世紀前半に「ソヴィエト連邦」(1922年から1991年まで存在した社会主義国家)で書かれた交響曲の逸品を聴く。
 1936年1月下旬、ソヴィエト共産党の機関紙<プラウダ>に掲載された無署名の記事が、ショスタコーヴィチ若き日のオペラ「ムツェンスク群のマクベス夫人」を「音楽ではなく荒唐無稽(こうとうむけい)であり、社会主義リアリズムに添わず」と痛烈に批判した。バレエ音楽「明るい小川」も槍玉にあがった。
 書き手が誰であれ、これは当時のソヴィエト最高指導者スターリンの意向である。従わない場合、命の保障はない。
 芸術家・文化人への粛清の嵐が吹き荒れる中、ショスタコーヴィチは自身の前衛芸術、表現主義の総決算たる烈しい交響曲第4番ハ短調作品43(3楽章形式で演奏時間およそ1時間、最後はチェレスタの響きとともに消えゆく)を、1936年暮れの初演に向けてのリハーサルの段階で撤回。いや撤回を余儀なくされた。

 内に外に烈しい第4番を引っ込めたショスタコーヴィチは、しばしの沈黙の時期を経て、名誉を挽回する手段に打って出る。それが古典的なフォーマットをもつ交響曲第5番だった。
 彼は、自分自身と家族を守る命綱として、闘争から勝利へ、苦悩から歓喜へという社会主義リアリズムの美学に沿った(ふりをして)交響曲第5番を書いたのだろうか。いやそうではなく、個人的な心情告白だったとの声も届く。
 第1楽章に織り込まれたビゼーのオペラ「カルメン」のアリア<恋は野の鳥>の愛の動機や、最終第4楽章の熱きコーダ(終結部)で執ように繰り返される「ラ」音(ロシア語ではリャ音)を、ショスタコーヴィチはどんな想いで書いたのだろうか。
 愛した女性の頭文字と見る向きがあるいっぽう、リャはヤー(ya)、ロシア語で「私は」に通じる。何物にもおもねない芸術家としての決意表明と受け取ることも出来る。
 クラシカルな造形美をも誇る交響曲第5番は、1937年11月21日にレニングラード(サンクト・ペテルブルク)で開催された<十月革命20周年記念祝賀公演>で初演された。タクトを執ったのは当時34歳のエフゲニー・ムラヴィンスキー(1903~1988)である。
 なお「革命」という愛称は上記公演名から導き出されたもので、ショスタコーヴィチの命名でも何でもない。
 管弦打楽器の「魅せ場」は枚挙にいとまがない。楽節の転換を告げるピアノの打鍵、コンサートマスターのソロ、天上を示唆するチェレスタの清らかな音色、それにハープ2も重要な役割を担う。
 白眉は、祈りも叫びも織り込まれた第3楽章ラルゴかも知れない。8部に細分化された弦楽、それに木管がこの上なく美しく、哀しい。マーラーの「大地の歌」や、ロシア正教聖歌のレクイエム<パニヒダ>の響きも、ほのめかされる。
 この楽章、哀悼歌なのだ。シロフォン(木琴)の固く鋭い音色のほか、粛清への怒り、憤りを込めたかのようなコントラバスのパートソロが衝撃的。やがてチェレスタ、ハープが天上の調べを紡ぐ。
 ラルゴの第3楽章から一転、アレグロ・ノン・トロッポの第4楽章へ。加速の度合い、テンポ設定を含めて解釈は様々である。太田弦と仙台フィル、さらなる高みへ。

第1楽章 モデラート~アレグロ・ノン・トロッポ
第2楽章 アレグレット
第3楽章 ラルゴ
第4楽章 アレグロ・ノン・トロッポ
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