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プログラムノート(第366回定期演奏会)
2023-09-14
カテゴリ:読み物
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奥田 佳道(音楽評論家)
エルガー(1857~1934)演奏会用序曲「フロワサール」作品19
作曲:1890年
初演:1890年9月イギリス・ウスター、ウスター音楽祭、作曲者自身の指揮で

 休符を交えた冒頭から劇的だが、同時にエルガーならではの気高さ、包容力のある響きも満開だ。ファンファーレ風の楽想も管弦の対話も味わい深い。奇をてらうことなく、重層的に響く。
 イギリスの作曲家エドワード・エルガー若き日の「肖像」を聴く。フロワサールは、中世フランスの歴史家、年代記作家ジャン・フロワサールJean Froissart(1333/37~1405/10)のことだが、エルガーが表現したかったのは、フロワサールの生き様(そもそもよく分かっていない)ではなく、中世騎士道への憧れ、オマージュである。特定の事象を扱った描写音楽ではない。
 多くの困難を乗り越えて名家出身の作家アリスと結婚したエルガーは1890年、33歳の年に、スコットランドの宗教戦争を描いたウォルター・スコット(1771~1832)の歴史小説<オールド・モータリティ(供養老人)>を読み、中世のフロワサールに興味を抱く。そしてそこから自在に羽ばたく。
 曲は、エルガーの地元ウスター音楽祭の委嘱で書かれた。彼のオーケストラ曲としては最も初期の作品だが、すでに自らの様式を創った作曲家がここにいる。
 聴きての夢を育む好選曲の定期、さあ開演だ。仙台フィルの「指揮者」に就任した太田弦のタクトもきっと冴える。
ディーリアス(1862~1934) ビーチャム(1879~1961)編
歌劇「村のロメオとジュリエット」より 間奏曲「楽園への道」

作曲:1900年~1901年(オペラ)
初演:1907年2月ベルリン・コーミッシェオーパー
イギリス初演:1910年2月ロンドン・ロイヤルオペラハウス、トマス・ビーチャムの指揮で

 世紀転換期に紡がれた耽美(たんび)な調べがホールを満たす。聴こえてくるのは悲哀の情趣、いや愛の陶酔だ。その「愛のテーマ」は途中、大きくうねるも、最後はppppで静かに消えゆく。
 イギリス屈指の叙情派フレデリック・ディーリアスの歩みを、あらためて記す。
 イングランド北部ヨークシャー、ブラッドフォードのドイツ系移民の家庭に生れ、米フロリダのオレンジ農園の経営に携わった後、独ライプツィヒに留学。その後パリに赴き、ベオグラード出身の画家イェルカ・ローゼンと恋に落ち、彼女とともにパリから60数キロのフォンテーヌブロー郡グレ=シュル=ロワンで暮らす。ライプツィヒではグリーグと、パリではドビュッシーと交歓。いっぽうワグネリアンつまりワーグナー芸術の熱烈な崇拝者でもあった。
 広範な世界観をもったディーリアスは、19世紀スイスの作家ゴットフリート・ケラー(1819~1890)がドイツ語で執筆した短編集「村のロメオとユリア」に魅了され、オペラ化に取り組む。台本も自ら書いた。
 舞台はスイスの架空の僻村(へきそん)ゼルトウィーラ。土地をめぐって対立する二つの農家の息子サリと娘ヴレリが恋に落ちるも、現世で結ばれないと悟った二人は、村の掟と無縁の若者や放浪者で賑わう居酒屋「楽園」に立ち寄る。「楽園」で束の間の幸せを味わった後、小舟をこぎ、川へ。そして船底の栓を抜く…。
 間奏曲「楽園への道」は、第5場「定期市」と第6場「楽園」の場面転換の音楽として、初演直前に書かれたようである。悲劇を際立たせる叙情的な音楽と言えば、イタリアのヴェリズモ(写実的な)オペラの間奏曲が有名だが、「愛のテーマ」を詩的に展開させたディーリアスも素晴らしい。
 「楽園への道」は、ディーリアス芸術のよき理解者だったマエストロ、トマス・ビーチャムが、オリジナルの3管編成をコンサートで演奏しやすい2管編成にアレンジした版で親しまれている。
ヴォーン・ウィリアムズ(1872~1958)ロマンス「揚げひばり」
作曲:1914年、1919年~1920年
ヴァイオリンとピアノ版初演:1920年12月イングランド南西部ブリストル近郊シャイアハンプトン・パブリックホール マリー・ホール(ヴァイオリン)、ジェフリー・メンダム(ピアノ)
ヴァイオリンとオーケストラ版初演:1921年6月ロンドン、クィーンズホール マリー・ホール(ヴァイオリン)、エイドリアン・ボールト指揮イギリス交響楽団(1919年に、それまで国外で演奏していた音楽家により創設)

 ヴァイオリンとオーケストラのための美しいロマンスで、初めて聴いたとしても、どこか、なぜか懐かしい気持ちになる。摩訶不思議な郷愁を誘う音階ペンタトニック(五音音階)をベースに、ひばりのさえずりがきこえてくる。古き良き時代のイギリスの田園風景が浮かんでくるかのよう。ひばりのさえずりばかりでなく、ひばりが空高く舞う様子も描かれている。さらに言えば、夏の日の匂いや風もホールを満たす。牧歌的な調べが身上だが、情景描写以外も素晴らしいのだ。
 イギリスの民謡や教会旋法、前述のペンタトニックを巧みに用いながら、9曲の交響曲、表情豊かな管弦楽曲、オペラに合唱曲を紡いだヴォーン・ウィリアムズの佳品とは、ほほ緩む選曲だ。
 舞い上がるひばり、とも訳される「揚げひばり」The Lark Ascendingは、19世紀イギリスの小説家ジョージ・メレディス(1828~1909)の112行から成る同名詩から霊感を受けて創られた。ヴォーン・ウィリアムズはこの詩の冒頭5行、中盤の10数行、終盤の2行を、楽譜の余白に書き添えている。
 名曲誕生の背景に名手あり。曲は、イギリスの歴史的なヴァイオリニスト、マリー・ホール(1884~1956)の妙技を想定して書かれた。1709年製の銘器ストラディヴァリウス“ヴィオッティ”を愛奏していた彼女のアドヴァイスのもとに書かれたともいえる。
 マリー・ホールは、教則本で名高いセヴシック(シェフチーク)や「G線上のアリア」編曲でも知られるドイツのヴィルヘルミ、さらにヨアヒムの同門ヨハン・クルーゼ、ヤン・クーベリックに学んだ国際派で、自国ではエルガー(1857~1934)、そしてヴォーン・ウィリアムズの芸術に寄り添うとともに、名匠ヘンリー・ウッドやエイドリアン・ボールトと共演を重ねた。20世紀初頭にプラハ、ウィーンで成功を収めたことも分かっている。
 詩情豊かな「揚げひばり」に戻せば、曲は1914年に書き始められたが、第一次世界大戦に従軍したため中断。その後、かねてから懇意にしていたマリー・ホールと再会し、1920年暮れにピアノ版が、半年後の1921年6月にオーケストラ版が完成した。
 ヴァイオリンのソロパートは、しばしばカデンツァ風に、小節線のないスタイルで書かれている。精妙に、しかし自在に歌って欲しい、歌いたいという作曲者、初演者の「声」だろう。
 ひたむきに創造の地平を拓く大江 馨に喝采を。
ドヴォルザーク(1841~1904)交響曲第7番 ニ短調 作品70
作曲:1884年の暮れから1985年の春にかけて
初演:1885年4月ロンドン、セント・ジェームズホール、作曲者自身指揮ロンドン(ロイヤル)フィルハーモニック協会の公演

 ホルン、ティンパニ、コントラバスの持続音に導かれ、ヴィオラとチェロがほの暗い、しかし内に熱きものを秘めた調べを奏で始める。
 冒頭から管弦楽の見せ場、魅せ場が続く。哀しく、烈しく。ドイツ的なフォルム(型)に息づく不屈のスラヴ魂──摩訶不思議な郷愁を誘う旋律美と、スラヴ/ボヘミア舞曲に通じるリズム、凝ったハーモニーが私たちを魅了してやまない。
 稀代の旋律「作家」ドヴォルザークが43、4歳の1884、85年に書き上げ、1885年春に自らの指揮によりロンドン!で初演した交響曲第7番ニ短調は、彼の名と音楽をヨーロッパ中に広めた記念碑的なシンフォニーである。
 味わい深く、かつ親しみやすいドヴォルザークの音楽は、実は早くからヨーロッパ最大の音楽マーケットだったロンドンで人気を博していた。
 1882年6月には、ワーグナーとブラームス芸術の泰斗(たいと)でもあったハンス・リヒターの指揮で交響曲第6番ニ長調が演奏され、その2年後には巨大な演奏会場ロイヤル・アルバートホールに「スターバト・マーテル」が鳴り響いている。後者の指揮はドヴォルザーク自身である。
 ボヘミアの名士ドヴォルザークをロンドンに招いたのは、かつてベートーヴェンやメンデルスゾーンに作品を委嘱したフィルハーモニック協会だった。
 帰国後、そのフィルハーモニック協会から「名誉会員に選出された」という喜ばしい知らせが届くとともに、新作の交響曲を依頼される。
 それが、第1楽章や第4楽章に劇的序曲「フス教徒Husitska/Hussite」作品67(1883年作曲・初演)のアレグロ・コン・ブリオ部のモティーフ(動機)も舞う交響曲第7番で、この劇的なシンフォニーにより、ドヴォルザークはキャリア的にも芸術面でも高みへと達したのだった。
 ちなみに1886年5月にロンドンのセント・ジェームズホールで初演されたサン゠サーンスの交響曲第3番「オルガン付」もフィルハーモニック協会の委嘱作である。
 創作の背景をもうひとつ。実はこちらの方が音楽的には重要なのだが、かねてから新次元の交響曲創造を自らに課していたドヴォルザークは、1883年暮れにハンス・リヒター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の定期公演(ウィーン楽友協会大ホール)で初演されたブラームスの交響曲第3番ヘ長調に感銘を受けている。ドヴォルザークは、同じ顔ぶれにより1877年暮れに初演されたブラームスの交響曲第2番ニ長調も好きだった。ブラームスは、かつて奨学金審査会に応募してきたドヴォルザークの才能を見出した、芸術上の恩人でもある。
 曲は、付点音符や休符を交えた凝った動機も高揚感の表出も素晴らしい第1楽章。コラール(聖歌)と牧歌の美質をあわせもつ抒情的な第2楽章。躍動的なチェコの民族舞曲フリアントFuriantに基づく第3楽章。ニ短調からニ長調への転換も鮮やかな第4楽章から成る。独特の緊張感を醸す半音階的な楽想、リズムを「ずらす」シンコペーション、大胆な転調も客席の喜びとなる。

第1楽章:アレグロ・マエストーソ ニ短調 8分の6拍子
第2楽章:ポコ・アダージョ ヘ長調 4分の4拍子
第3楽章:スケルツォ、ヴィヴァーチェ~ポコ・メノ・モッソ ニ短調、ト長調 4分の6拍子
第4楽章:フィナーレ、アレグロ ニ短調、ニ長調 2分の2拍子
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