TOP> トピックス

トピックス

2019/11/8

第332回定期演奏会プログラムノート

第332回定期演奏会 公演情報はこちら→

藤田 茂 (音楽学者)

 

 

ロッシーニの序曲、ストラヴィンスキーのバレエ音楽と交響曲、そして、グレンダールの協奏曲。今回のプログラムの面白さは、まず、その異種混交にある。異なる社会状況のなかを生きた作曲家による、異なる曲種の音楽。それらをいちどきに見渡すことができるのは、ここにいる我々の特権である。しかし、見たところ関係のない音楽を連続して聴くことで、表面的な類似を超えた、音楽の本質に出会う道が開けることもまた事実。

 

今回、注目してもらいたいのはリズム。ロッシーニ、ストラヴィンスキー、グレンダールの三者とも、独特のリズム戦略をもっている。おそらく旋律よりも和声よりも本源的で、心臓の鼓動とともに、わたしたちが日々、体に感じているリズムが、彼らの音楽によって、いかに驚くべき展開を見せるのか。こうご期待。

 

ロッシーニ:歌劇《セヴィリアの理髪師》序曲

19世紀の音楽愛好家たちが最大の楽しみにしていたのは、なによりもオペラであり、本場イタリア・オペラの化身として、この時代、他のどんな音楽家よりも輝いていた楽壇の大スターが、ジョアッキーノ・ロッシーニ(1792-1868)であった。

 

ロッシーニは、18歳から37歳までの間に、39のオペラで続々とヒットを飛ばしたが、そのなかで、現在にいたるまで、特に大きな人気を維持しているのが、1816年2月に初演された《セヴィリアの理髪師》である。本日、演奏される《セヴィリアの理髪師》序曲は、まさしく、この大ヒット・オペラの序曲なのだが、正確には、「《セヴィリアの理髪師》の序曲として用いることを、ロッシーニが認めた音楽」ということになる。当時の通念からすれば、序曲とは開幕のベルのようなもので、オペラ本体の音楽と関係している必要は必ずしもなかった。実際、ロッシーニは、この音楽を、最初、《パルミーラのアウレリアーノ》用の序曲として作曲し、《イングランドの女王、エリザベッタ》でも利用し、この《セヴィリア》の頭にも持ってきたのである。

 

おしゃべりに興じるひとびとを、ぐっと舞台にひきつけ、これから始まる物語への、わくわくどきどきを誘う。《セヴィリアの理髪師》序曲を特徴づける刻みの速いリズムは、まさしくこの目的にかなったもの。この後に演奏されるストラヴィンスキーの《カルタ遊び》にも、この序曲からの引用が聞こえてくるだろう。

 

 

ストラヴィンスキー バレエ音楽《カルタ遊び》

イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971)は、20世紀の芸術音楽にリズムの革新をもたらした人物である。ストラヴィンスキーの代名詞といえば、現在でも《火の鳥》《ペトルーシュカ》《春の祭典》という創作期の初期に書かれたバレエ音楽。しかし、これらの作品が結局のところ「バレエなし」で聴かれ続けているのは、わたしたちが、ここに溢れるリズムの創意に、純粋に音楽的な次元で圧倒されているからに他なるまい。実際、ストラヴィンスキーは、シンプルなリズム細胞から出発し、それらを組み合わせ、驚くべき方法で発展させていく。バッハが音の対位法の大家なら、ストラヴィンスキーはリズムの対位法の大家なのである。

 

今回、演奏される《カルタ遊び》もまた、もともとはバレエ音楽であり、1937年、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場にて、バランシンの振り付けるアメリカ・バレエ団によって初演された。当時、ストラヴィンスキーはパリを活動の拠点としていたが、この初演のために渡米し、自ら指揮棒を振った。そのスキャンダルが語り草となっている《春の祭典》(こちらは1913年にロシア・バレエ団がパリで初演)に比べれば、《カルタ遊び》の音楽はずいぶんと取り澄ましたものに聞こえるかもしれないが、見かけに騙されてはならない。《カルタ遊び》には初期バレエ音楽に勝るとも劣らないリズムの創意があり、だからこそこの音楽は、純粋な管弦楽のレパートリーとして相変わらず輝いているのである。

 

フランス語の原題は「ジュ・ド・キャルト」。「カルタ遊び」という古風な訳が定着しているけれども、要はトランプ・ゲーム、もっと具体的にはポーカーのこと。参考までにバレエのあらすじを(かなりはしょって)紹介しておく。「ポーカーの3本勝負。いずれにおいてもジョーカーが勝負の鍵を握っている。ジョーカーはどの札にもなれるから、最初の勝負ではストレート、次の勝負ではフォア・カード、最後の勝負ではフラッシュの役のなかに入り込んで、自分のところに勝利を引き寄せようとする。しかし、最後の勝負では相手に(ジョーカーの入れない)ロイヤル・フラッシュを出され、あえなく敗北する。」

 

勝負の開始は、いつも同じ音楽で表現されるので、聴いていてすぐに分かるが、それ以外の筋を音楽だけから読み取るのは不可能であるし、求められてもいない。むしろ、この他愛もない筋が深く人間的な格言に裏打ちされていることを知るほうが重要だ。「悪党とは常に戦わねばならない。(善良なるラ・フォンテーヌの言葉にあるように)平和はもちろん、たいへん結構。認めるにやぶさかならず。されど根っからの悪党を前にして、平和が何になろう。」このバレエが作曲されたのは1936年。ファシズムの闇がヨーロッパを覆い、世界は大戦争へと突入しようとしていた頃だった。

 

 

グレンダール トロンボーン協奏曲

デンマークの音楽家、ラウニ・グレンダール(1886-1960)の《トロンボーン協奏曲》は、彼の指揮者としての経験から生まれたものであった。1919年以来、王立音楽協会の演奏会を指揮するようになったグレンダールは、首都コペンハーゲンの王立管弦楽団と日常的に接触をもち、特にアントン・ハンセンやウィルヘルム・オールクローを擁するトロンボーン・セクションに感服していた。その後、グレンダールはフランスとイタリアで研鑽を積むことになるのだが、後者のイタリア滞在中の1924年に、それらの名手を讃えるがごとくに、この《トロンボーン協奏曲》を書いたのだった。

 

歴史的に見れば、トロンボーンは、協奏曲の独奏楽器としては決してメジャーな存在ではなかった。実は、そこには宗教的な背景があった。いみじくもモーツァルトがドン・ジョヴァンニの地獄落ちの場面にトロンボーンを用いたように、トロンボーンは長らく『黙示録』に記述された「最後の審判」のラッパのイメージと結びついてきたのである。それゆえに、このような神聖な楽器を、世俗のなかの世俗である協奏曲ジャンルの主役に据えることは、どうにもはばかられていたわけである。

 

しかし、その一方で、ベートーヴェンが第5番交響曲に3本のトロンボーンを導入して以来、(同じく世俗ジャンルの代表である)交響曲のなかに、この楽器が徐々に定席を得ていったのも事実。グレンダールの《トロンボーン協奏曲》も、かくしてトロンボーンが宗教的な衣を脱ぎ捨てていくその先に現れたものだった。

 

実際、グレンダールの《トロンボーン協奏曲》には、急・緩・急の3つの楽章を通して、当時、流行していた大衆演芸場(ミュージック・ホール)風の響きが濃厚にしている。厳かなるトロンボーンは、いまやポップに躍動し、生命のリズムを刻むのである。

 

 

ストラヴィンスキー 3楽章の交響曲

《カルタ遊び》を作曲中のストラヴィンスキーが予感していた通りに、19399月、ナチス・ドイツ軍がポーランドに侵攻し、ヨーロッパは第2次世界大戦に突入していく。折しも、アメリカでの名声が高まり、ハーバード大学からの講義依頼で再度の渡米をしたストラヴィンスキー。彼は、結局、そのままパリに戻ることなく、アメリカを拠点に芸術活動を続けていくことを決断した。かくして始まったストラヴィンスキーのアメリカ時代は、面白いことに2つの交響曲に枠づけられることになる。アメリカで暮らし始めたストラヴィンスキーが最初に完成させたのが《ハ調の交響曲》(1940)、そして、その後、アメリカ市民権を獲得したストラヴィンスキーが最初に初演したのが、今回の公演で演奏される《3楽章の交響曲》(1945)であった。

 

実のところ、同じく交響曲と名づけられていても、両者の性格はかなり異なっている。《ハ調の交響曲》のストラヴィンスキーは、かなり意識的に「古典派」の仮面を被っていた。急・緩・舞曲・急という4楽章構成、そしてほぼ古典的な二管楽編成に従う編成。その意味で、優れて新古典的な作品であったといえよう。しかし、《3楽章の交響曲》のほうは、むしろ結果的に交響曲になった作品であった。

 

実際、この交響曲の第1楽章(♩=160は、協奏的な音楽の一部として構想されていたものだったし、第2楽章(アンダンテ)は、映画音楽として着想されたものだった。そして、第3楽章(コン・モート)の中間部にフーガが導入されたのは、前2つの楽章で、それぞれで重要な役割を果たしていたピアノとハープに主要声部を担わせて、両者の総合あるいは融和をはかる力技だったのである。

 

この積み上げ式の発想は、楽章という大きな次元でだけではなく、もっと小さな単位でも実践されたらしい。第3楽章のスケッチ研究から明らかなのは、ストラヴィンスキーが、ユニットとなる一定数の音楽断片を別々に書き記したあとで、それらをブロックとして積み上げていったことである。この音楽を特徴づけている野趣に溢れるリズムの効果は、こうして組み合わせの予定調和が破られた結果であった。

 

ハーバード大学での講義で、ストラヴィンスキーは「音楽は何も表現しない」と語ったが、それでも《3楽章の交響曲》が戦時の雰囲気を映し出していることは認めている。この交響曲の結末が連合軍の勝利として聴かれうることを、ストラヴィンスキーも否定していなかった。

 

 

もっと知りたいオーボエ


竹内 彬
(東京音楽大学大学院 博士後期課程在学中)

魅惑的な音色をもちオーケストラの中心的な存在であるオーボエ。その起源は紀元前にまで遡ることができ、古代ギリシャの楽器アウロスも、オーボエと同じく2枚のリードを発音体にもつ楽器でした。太陽神アポロン神の竪琴キタラやリラと対になるアウロスは、酒神デュオニュソスの官能的な楽器として、当時から人々を魅了していました。一方、同じように2枚のリードをもつ東洋の篳篥やチャルメラも、オーボエの遠い親戚と言えるでしょう。17世紀中頃フランスで誕生したオーボエは、その後、管楽器としてはもっとも早くにオーケストラの中に定席を得て、重要な役割を担っていきます。現在のオーボエのキーシステムは見るからに複雑そうですが、ロッシーニの時代にはいくつかのキーしかないシンプルな構造をしていました。《セヴィリアの理髪師》序曲の冒頭でロッシーニは、人間の心の悲しみから喜びへの変化を、美しいオーボエソロにたくして表現しました。

 

第332回定期演奏会 公演情報はこちら→

このページのトップにもどる