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2019/06/25

第329回定期演奏会プログラムノート

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藤田 茂 (音楽学者)

 

 

音楽がメッセージとなるとき

仙台フィルは今回、チェコ国民楽派の作曲家、スメタナの《わが祖国》全曲を演奏する。一般に国民楽派の音楽は、当時の政治状況のなかに置き直して、はじめてその意味が納得される部分が大きい。その観点からすると、きわめて歴史的な音楽なのである。しかし同時に、国民楽派の音楽は、超歴史的な問題への積極的な問いかけでもある。「言葉のない音楽は、はたしてメッセージを発しえるのか」。然りというか、否というか。ひとりひとり答えは違うだろう。それでもスメタナは主張している。きわめて具体的なメッセージを自分はこの曲に込めたのだと。では、それが何であったのか以下に紐解いていきたい。

 

スメタナ 連作交響詩《わが祖国》全曲

ベドルジヒ・スメタナ(1824-1884)の生きたヨーロッパは、国民運動の時代を迎えていた。大国による政治的支配のもと歴史的に主権を奪われてきた地域の人々が、旧来の政治体制に異を唱え、「国民」としての意識に目覚めていく。長くハプスブルグ家・オーストリア帝国の属領となっていたチェコは、特に19世紀の後半、このような国民運動の主戦場になったのであり、まさしく目覚めんとするチェコの民のひとりであったスメタナは、音楽という手段でチェコの国民運動に参加しようとしたのであった。しかも、スメタナがスウェーデン留学から帰ってきた1860年代、チェコの国民運動はその沸騰期を迎えていた。実際、スメタナは、音楽による国民運動家、すなわち「国民楽派」の闘志となっていく(その意味でスメタナの音楽の性格は、同じチェコの「国民楽派」のもうひとりの代表者、ドヴォルザークとは、かなり趣を異にしていた。ドヴォルザークのほうは、チェコの国民運動がある程度、成功したあとの時期を生きたのであり、スメタナよりも、ずっと穏健な態度を取ることができた)。

 

チェコ、そのなかでもスメタナの出身地であり、また、支配国オーストリアに直接隣接してもいるボヘミア地域の独自性を音楽家が主張しようとするとき、第1に重要なメディアとなったのは、当然ながらオペラであった。総合芸術たるオペラに訴えるならば、その舞台をボヘミアに設定することもできるし、その物語をボヘミアの伝説から取ってくることができる。そして何よりも、ボヘミア文化の魂としてのチェコ語を歌唱言語として用いることができる。かくしてスメタナは、劇場指揮者・作曲家として8つのチェコ語オペラを自ら上演する。他国の軍隊に侵略されたボヘミアを描く《ボヘミアのブランデンブルク人》(1862-63)、ボヘミアの農村の田園生活を描写する《売られた花嫁》(1863-66)、チェコ人民解放のために戦って死刑にされた騎士ダリボルの悲劇を語る《ダリボル》(1865-67)、チェコの神話に出てくる最高の女王の物語《リブーシェ》(1869-72)。代表的なところをあげただけだが、チェコ語オペラの伝統を築こうとするスメタナの熱気は伝わってくるのではなかろうか。

 

しかし、それならば「言葉の無い」あるいは「言葉を用いることのできない」管弦楽をメディアにする場合は、いったいどのような戦略に出ればよいのだろうか。現在の感覚からすれば少し理解しづらいところなのだが、スメタナにとって、チェコの国民的な管弦楽作品が存在するとすれば、それは絶対に「交響詩」であるべきで、間違っても「交響曲」ではありえなかったのである。

 

交響曲といえば、まずハイドンであり、モーツァルトであり、ベートーヴェンである。その感覚はわたしたちにも残っているのではなかろうか。スメタナにとっては、これは自明の事実であった。彼らが皆、いまチェコを支配しているオーストリア帝国の都、ウィーンで名を成した作曲家であることに注意しよう。実際、交響曲には、ウィーンの香りが染みついていたのである。だとするならば、チェコの解放を願うスメタナが、交響曲に加勢して敵に塩を送るようなことをするはずもない。さらに、当時、交響曲が、音楽は純粋に鑑賞されるべきだという「絶対音楽」の理念を模範的に実現したものと見なされ始めたことにも触れておこう。ならば、スメタナは、このように貴族的な態度で鑑賞に耽ることを理想とするような音楽を書くわけにもいかなかったのである(この理念上の徹底性が、いかにもドヴォルザークとの違いを感じさせる。先にも触れたようにドヴォルザークの時代には、チェコの国民運動はある程度、成功を収めており、実際、ドボルザークが行なったように、本来、支配国側のジャンルである交響曲をチェコの色彩で豊かにするという戦略を取るだけの余裕が出てきたのである)。

 

そこで、俄然、注目されたのが交響詩というジャンルだった。交響詩は、フランツ・リストを創始者として、19世紀後半、「古い」交響曲に対抗する「新しい」交響的音楽として興隆してきたものである。だから交響詩は、ドイツ=オーストリア的なものを超えた世界的なものと見なされたのだし、純粋に鑑賞される「絶対音楽」ではなく、強烈なメッセージを発する「標題音楽」として理解されていった。  かくしてスメタナは、1872年から1879年にかけて、チェコを讃え、チェコ解放の希望を高らかに謳いあげる6つの交響詩を連続的に書くことになった。総合タイトルは《わが祖国》。以下、スメタナ自身の残した言葉をもとに、全6曲の作曲年とそこに込められたメッセージを列挙していこう。

 

第1曲《ヴィシェフラット》(1872-74) 吟遊詩人がハープにのせてチェコの歴史を語り始める。ヴィシェフラット(高い山の意味)とは、かつて王座がおかれたという伝説の岩山。彼はいま、その場所の栄光、戦闘、そして没落を歌う。

 

第2曲《ヴルタヴァ》(1874)。ヴィシェフラットの眼下にはヴルタヴァが流れている。この河は2つの水源に発し、チェコの美しい国土を南から北へと縦断する。この河は、森に狩りの角笛を聞き、村人の婚礼を祝福し、月明かりのもとでの妖精のダンスに恍惚となる、聖ヨハネの急流を通り抜け、そしてヴィシェフラットのもとを流れ去っていく。

 

第3曲《シャールカ》(1875)。恋人の不実に怒り、男全体への復讐を誓うアマゾネス、シャールカの伝説。シャールカは、哀れを装うべく自らを木に縛り、進軍してきた騎士スティラードの気を惹く。その美しさに心うたれたスティラードは彼女に気を許し、彼女の用意した美酒に仲間の兵士とともに酔いしれる。彼らが泥酔したところで、シャールカは他のアマゾネスを呼び寄せ、彼らを皆殺しにする。

 

第4曲《ボヘミアの草原と森から》(1875)。ボヘミアへの音楽による招待状。ボヘミアの詩的な森、また、肥沃な草原から、働き者の民たちの歌が響いてくる。陽光のまぶしさ、刈入れの草の香り。

 

第5曲《ターボル》(1878)。ボヘミア南部の街、ターボル。そこはフス教徒にとって自由と独立の砦だった。ドイツ人支配とカトリック教会の腐敗に抗う彼らは、賛美歌「汝らは神の戦士たれ」を合唱し、やがて戦闘に赴く。

 

第6曲《ブラニーク》(1879)。再びフス教徒の賛美歌が響く。フス教徒の戦士たちは、自分たちの何倍もの数で組織される敵軍に押され、いったんブラニークの山に逃れる。しかし、彼らは敗北したのではない。戦士たちは、時を待っているのである。やがて彼らは眠りから覚め、祖国を解放してくれるだろう。そのとき、ヴィシェフラットは再び栄光に包まれるだろう。

 

過去の栄光の回想に始まる連作交響詩《わが祖国》は、かくして、未来の栄光への確信をもって閉じられるのである。全曲通しての初演は、1882年11月5日に行われ、ひとつの曲が終わるごとに会場は大きな拍手に包まれたという。しかし、その拍手は、スメタナには聴こえなかった。なぜならば、《わが祖国》の第1曲となる《ヴィシェフラト》の作曲を本格化させた1874年にスメタナは聴覚を失っていたからである。つまり、《わが祖国》の大部分は、心のうちのみで聞かれた音楽であった。祖国の痛みを自らの痛みとともに超えていこうとするこの意志に、国民楽派の闘志、スメタナの音楽の強さの源があるのではなかろうか。

 

さて、この解説の最後に、いくつかの曲についての若干のコメントを加えておこう。まずは第2曲の《ヴルタヴァ》について。この曲のことは《モルダウ》といったほうが、ずっと通りが良いには違いない。「ボヘミアの川よ、モルダウよ、過ぎし日のごと今のなお」。平井多美子氏による歌詞とともに、この曲のことは記憶のなかに大切にしまわれているひとも多いだろう。しかし、この解説では、あえて「ヴルタヴァ」とした。「モルダウ」というのが同じ川のドイツ語の呼び名であるならば、やはり「ヴルタヴァ」というチェコ語の名前によるほうが、《わが祖国》の歴史的なコンテキストには適っているように思われるからだ。

 

そして、もうひとつは《ターボル》と《ブラニーク》について。この2曲は《我が祖国》全曲のなかでも最も劇的なものであり、すでに述べたように、フス教徒の賛美歌〈汝ら、神の戦士なり〉を共通の素材としている。内藤久子氏によれば、この賛美歌のもともとの歌詞は以下のようなものであるという。「汝ら神の戦士なり、神の掟に服従するなり/神のご加護を祈り、神を信じたまえ/汝らはついに神とともに勝利を得るだろう」。この歌詞はもちろん実際に歌われることはない。しかし、そのメッセージは、当時の人々にも強烈に伝わったのではなかろうか。スメタナの《わが祖国》は、言葉なき音楽において全きメッセージを伝達しようとする、大いなる実験でもあった。

 

 

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