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2019/12/25

特別演奏会「名曲コレクション」 ニュー・イヤー・コンサート2020プログラムノート

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寺西 基之 (音楽評論家)

 

 

J.シュトラウスⅡ  皇帝円舞曲

本日のプログラムの前半はニュー・イヤー・コンサートに相応しく、ウィンナ・ワルツとウィンナ・ポルカを中心としている。ウィンナ・ワルツとポルカのスタイルを確立したのはヨーゼフ・ランナー(180143)とヨハン・シュトラウスⅠ世(180449)だったが、それをさらに洗練させ発展させたのが息子のヨハン・シュトラウスⅡ世(182599)であった。

「皇帝円舞曲」はヨハンⅡ世のワルツ中でも特に規模が大きく、円熟期の充実した筆遣いが示された傑作で、1889年に、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフⅠ世とドイツ皇帝ウィルヘルムⅡ世による和平を祝して作曲されたと考えられている。元々は「手に手をとり」という題で書かれ、「皇帝」という題は出版の際に付されたようだが、威厳を感じさせる行進曲風の序奏の後、堂々たるワルツが連ねられていくスケール豊かな構成は、まさに皇帝の名に相応しいといえるだろう。

 

J.シュトラウスⅡ  芸術家のカドリーユ

この曲はワルツでもポルカでもなく、カドリーユという舞曲である。カドリーユとはフランス語で四角を意味し、元は軍事パレードの形を指していたが、やがて男女のカップル4組が四角を形作って踊る2拍子もしくは4拍子による5部分からなる舞曲として発展し、さらにウィーンでは6部分の形が一般的となった。ヨハンⅡ世もそうしたカドリーユを書いており、特に「芸術家のカドリーユ」と題した曲を2つ残している。本日はその有名なほうが取り上げられるが、この作品に特徴的なのは数々の既存の有名曲を引用して作られていることで、メンデルスゾーンの「結婚行進曲」、モーツァルトの交響曲第40番、ウェーバーの「オベロン」や「魔弾の射手」、ショパンの「葬送ソナタ」、パガニーニの「鐘」、マイアベーアの「悪魔のロベール」、エルンストの「ヴェネツィアの謝肉祭」、シュルホフの「羊飼いの歌」、シューベルトの合唱曲、モーツァルトの「魔笛」、ベートーヴェンの「トルコ行進曲」や「クロイツェル」などの一節が次々と現れる。

 

 

ヨーゼフ・シュトラウス ポルカ「憂いもなく」

ヨーゼフ・シュトラウス(182770)はヨハンⅡ世の弟である。早くから楽才を発揮したにもかかわらず、はじめから音楽家にはならず、工業技術者の道に進んだ。しかし兄が体を壊して指揮ができなくなった機会に代役で指揮を務めたことがきっかけとなって、ウィンナ・ワルツとポルカの作曲家・指揮者として活動するようになった。

兄のヨハンⅡ世は定期的にロシアのパヴロフスクに演奏旅行を行なっており、1869年にはヨーゼフとともにこの地を訪れて駅でのコンサートを2人で指揮を分担した。この時期のヨーゼフは体調を崩していて悲観的な心境にあったが、それを乗り越えようと前向きの気持ちで、敢えてこの楽しいポルカ「憂いもなく」を書いたようで、初演もこのパヴロフスク滞在中になされている。快活さに満ちた曲で、中間部とコーダではオケのメンバーによって笑い声も発せられる。

 

 

J.シュトラウスⅡ  エジプト行進曲

この曲も、前項で触れたヨーゼフの「憂いもなく」と同じく、ヨハンⅡ世とヨーゼフによる1869年のパヴロフスク演奏旅行の際に初演されている。ただその時はコーカサスの少数民族チェルケスにまつわる「チェルケス行進曲」という題で演奏された。出版にあたってもこの題が付けられる予定であったが、同年11月にエジプトのスエズ運河が開通したことに因んで「エジプト行進曲」と改題されたのである。いずれにしても当時のヨーロッパの東方趣味を反映したエキゾティックな曲想を持つ作品である。

 

 

ヨーゼフ・シュトラウス 鍛冶屋のポルカ

ヨーゼフの作品の中でもとりわけ広く親しまれているこの「鍛冶屋のポルカ」は、ドイツ語の原題が「耐火」を意味していることにも現れているように、耐火金庫を製造する会社が催した舞踏会のために1869年に作曲されたものである。金床も取り入れて、金庫を作る鍛冶職人の仕事を活写した生気溢れる曲である。

 

 

J.シュトラウスⅡ  雷鳴と電光

1868年に書かれたこのポルカはヨハンⅡ世の書いた夥しい数のポルカの中でも特にポピュラーなもののひとつである。雷を描写する音楽は古くはバロック時代から様々な作曲家が書いており、それらは嵐の脅威を表現したものがほとんどであった。しかしヨハンのこのポルカは、まさにポルカらしくいかにも明るく快活な楽しい曲となっており、雷鳴と稲妻の巧みな音描写に彼の優れたセンスが窺える。

 

 

ドヴォルザーク  交響曲第9番 ホ短調 作品95 「新世界より」

アントニン・ドヴォルザーク(18411904)はスメタナに続く世代のボヘミアの国民楽派の作曲家である。スメタナがオペラや標題音楽のジャンルを中心に国民主義的な運動を進めたのに対し、ドヴォルザークは(もちろんオペラや標題作品の傑作も残しているが)交響曲や室内楽など古典的ジャンルを重視し、伝統的な形式の中にボヘミアの民族的要素を盛り込むことで独自の国民的様式を追求した。後期の1893年に作曲され、彼の最後の交響曲となった第9番「新世界より」はそうした方向の総決算ともいうべき名作だ。

同時にこの曲には、それ以前の彼の交響曲には見られない独自の個性も示されている。それはこの作品が、彼がニューヨークのナショナル音楽院の院長としてアメリカで暮らしていた時期の所産であることと関わっている。このアメリカ時代(189295)の彼は教育に熱意を注いだものの、異国の生活に馴染めず、母国への思いを募らせていた。この時期に書かれた作品の多くがノスタルジックな性格を持っているのもそのためで、アメリカで知った民俗音楽の要素や新大陸の文化の影響を一方で窺わせながらも、それすら故郷ボヘミアの音楽の特徴に重ね合わされている。そうした作風はこの交響曲にも示されていて、例えば幾つかの主題は黒人霊歌などアメリカの音楽との関連を示しながらも、本質的にはボヘミア風の性格付けがなされている。アメリカ詩人ロングフェローの叙事詩「ハイアワサ」に感銘を受けて書かれたといわれる第2楽章にしても、そこで描かれているのは郷愁の感情である。作曲者自身による「新世界より」という題も、その“~より”という語に異郷から故国を思う彼の心情が見てとれよう。


第1楽章(アダージョ~アレグロ・モルト)は序奏付きの劇的なソナタ形式で、その第1主題(序奏で予示されている)は全楽章とおしての循環主題となる。イングリッシュホルンの吹く有名な主要主題に始まる第2楽章(ラルゴ)はノスタルジックな情感に満ちた緩徐楽章。第3楽章(スケルツォ、モルト・ヴィヴァーチェ)は民俗舞曲風のスケルツォ。第4楽章(アレグロ・コン・フオーコ)は劇的な激しさと郷愁的な叙情が入り混じるソナタ形式のフィナーレで、前の3つの楽章の主題も織り込みつつ起伏に満ちた展開を繰り広げ、最後は遥かなる故郷への思いを込めたような長く引き伸ばされた和音で閉じられる。

 

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