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2019/11/6

「第九」特別演奏会プログラムノート

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広瀬 大介(音楽学・音楽評論)

 

 

ベートーヴェン:『レオノーレ』序曲 第3番

ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン(1770-1827)が唯一残したオペラ『レオノーレ』(最終的には『フィデリオ』に改名)を巡る上演事情は、かなり複雑である。1 7 9 8 年、ジャン・ニコラ・ブイイの台本、ピエール・ガヴォー音楽による『レオノールあるいは夫婦愛』がパリ・フェイドー座で初演された5年後、ベートーヴェンがオペラの作曲を始めている。

 

・1805年11月20日:ヨーゼフ・フェルディナント・ゾンライトナーが台本を担当。アン・デア・ウィーン劇場にて
 『レオノーレ』第1稿初演(序曲第2番)。
・1806年:シュテファン・フォン・ブロイニング、第1稿の台本を、3幕から2幕に改作し、3月29日に『レオノーレ』
 第2稿初演(序曲第3番、本日演奏)。
・1807年:プラハでの上演用に序曲を作曲(実現せず)(序曲第1番)。
・1814年5月23日:ゲオルク・フリードリヒ・トライチュケの改訂による、『フィデリオ』と改名された第3稿が初演
 (『アテネの廃墟』序曲)。5月26日の第2回公演で『フィデリオ』序曲がはじめて演奏される。
・1822年11月3日:最終改訂稿がケルントナートーア宮廷劇場で上演。

 

革命の強権支配から脱出する英雄物語は、当時の世相をもっとも良くあらわす題材であり、政敵ドン・ピツァロによって獄中にとらえられた英雄フロレスタンを救い出す妻レオノーレの可憐かつ芯の強い人物描写は、多くのひとの胸を打った。絶対王政にも、フランス革命にも、そしてナポレオンの帝政にも絶望した1810年代のベートーヴェンは、本当の意味で目指したユートピア的な共和制の世界観を、自作のさらなる改訂を通じて反映させようとした。

 

最終的な勝利を感じさせる『交響曲第5番』と同じハ長調を用い、ソナタ形式の中に、劇の内容を暗示するかのような闘争をあらわすモティーフと、フロレスタンが登場する第2幕のアリアの旋律が組み込まれる(『フィデリオ』に付けられた新しい序曲では、劇中のモティーフは用いられなかった)。数多くの『レオノーレ』『フィデリオ』序曲の中で、このもっともドラマティックな「第3番」は、後期のベートーヴェン作品を暗示する力強さに溢れている。

 

 

ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 作品125 「合唱つき」

1814~15年、ドイツ、オーストリアでは、ナポレオンに蹂躙された後の国土をどのように治めていくかを決める「ウィーン会議」が催された。この会議によって、大陸の政治体制を以前の状態に戻す、いわゆる「三月前期」と呼ばれる政治体制が約30年間にわたって続くことになる。後戻りできない勢いで進展する産業革命によって、資本者層と労働者層、知識人とそうでない人々は決定的に分離。この分離は、それまでとは形を変えた階級社会の出現でもあった。

 

オーストリア帝国の外務大臣・そして後に首相を務めたクレメンス・フォン・メッテルニヒは、この「三月前期」に、共和主義的、愛国主義的な活動を行う人物を徹底的にマークし、弾圧を加え、アンシャン・レジームを堅持しようとした。帝国の首都ウィーンに住んでいたベートーヴェンも、貴族社会を尊ばぬ共和主義者と目され、監視の対象とされる。ナポレオン没落後、一寸先も見通せぬ閉塞的な政治的・社会的状況の中、ベートーヴェンは怒りと鬱屈と、そして不安を募らせていた。

 

詩人・劇作家フリードリヒ・フォン・シラー(1759-1805)が、金銭面・精神面で支えとなったクリスティアン・ケルナーへの友情の証として執筆した「歓喜の歌」(1785)。単なる友情の讃歌にとどまらない、全人類の友愛を歌いあげる讃歌として、壮大なメッセージ性を担ってもいたが、ナポレオン没落後、そのような兄弟愛を実現できる社会的情勢は、遙か昔のものとなってしまう。

 

だが、1793年の段階で、すでにベートーヴェンは、この「歓喜の歌」に付曲するという構想を練っていた。実際の作曲は、世相が大幅に変わってしまったとはいえ、1818年から断続的に続く。1824年5月7日、ウィーン・ケルントナートーア劇場での初演では、《献堂式》序曲、《ミサ・ソレムニス》より「キリエ」「クレド」「アニュス・デイ」が同時に演奏された。23日、レドゥーテンザールでの演奏では集客に失敗しており、時代に先んじた作品が受け入れられるまでにはなお幾ばくかの時間が必要、という運命を、この作品も免れなかった。ただ、政治的・社会的な文脈という視点からこれらの逸話を眺めれば、この作品に込められたメッセージを「正しく」読み取った上流階級の聴衆が、敢えてこの作品に背を向けた、という可能性も排除できない。

 

第1楽章冒頭で用いられたニ短調という調性は、歌劇《ドン・ジョヴァンニ》序曲の冒頭、そして第2幕の最後で用いられる、悪逆を尽くした主人公がいよいよ地獄へと引きずり落とされる場面を想起させる。また、《ミサ・ソレムニス》作曲時には、同じくニ短調で作曲されているモーツァルトの名曲《レクイエム》にも目を通している。《レクイエム》の激しいディエス・イレも、静謐なラクリモーサも、いずれも同じニ短調だった。

 

霞のように茫漠とした風景の中から立ち現れるホ音とイ音。長調・短調を決定することのない第三音を欠く空虚五度が積み重ねられ、音楽がどこへ向かうのか、すぐには判然としない。やがてホ音は下行してニ音へと落ち着き、短調を決定する第三音、ヘ音が加わる形で、ニ短調の主和音を構成する三つの音による下行アルペジオが、全体の主題を形作る。堂々たるソナタ形式は、ベートーヴェン自身の歩みの集大成でもある。

 

スケルツォ、第2楽章で異例だったのは、楽曲の規模の大きさであった。オクターヴで下行する、鋭いリズムを含む三つの音によるモティーフが、ティンパニなど各所で執拗に繰り返されながら、曲全体の構造を形作っていく、ベートーヴェンが得意としたいわゆる動機労作の手法は、この楽章にも用いられている。

 

第1楽章の提示部でニ短調に次いで重要な位置を占めていた変ロ長調が、第3楽章では主要な調性として据えられ、第1主題を形成する。これに次いでニ長調による第2主題が登場。その後この主題と、第1主題の変奏が入れ替わり立ち替わり現れる。ホルンによる長い独奏、二台のティンパニを同時に鳴らす重音奏法など、当時の最新の楽器を見据えた新たな工夫も見られる。

 

先行する三つの楽章も、それまでの交響曲に比べればはるかに長く、大きな規模を有する楽曲であったが、声楽を加え、異なる世界観の合一を歌いあげる第4楽章は、さまざまな形式を寄せ集めたメドレー形式と呼ぶべきか。導入部分では、チェロ・コントラバスによる、人の語りを模したようなレチタティーヴォと、先行する三つの楽章の主題が交互に現れ、その三つの主題が力強く否定されていく。

 

やがて、チェロとコントラバスによって、おずおずと、しかし、しっかりとした歩みで、全曲で初めて登場する「歓喜の歌」の主題。他の楽器へと受け渡され、徐々に膨らみを増し、管弦楽の総奏によって、高らかなファンファーレとして鳴り響く。この過程こそ、すでに聴き手が第1楽章の冒頭で経験した世界の生成が、ニ短調ではなくニ長調で、新たな力強さをもって再現される。

 

やがてその調和の世界の一角が崩れ、それまでの音楽を否定する詩、「友よ そんな歌ではなく O Freunde, nicht diese Töne!」からの2行は、シラーの詩にベートーヴェンがあとから付け加えたもの。そして、はじめて歌詞に乗せて歌われる「歓喜の歌」。この後に現れる合唱、テノールの軍楽隊風の行進曲(変ロ長調)、管弦楽によるフーガ、合唱による「歓喜の歌」の斉唱は、いずれも「歓喜の歌」の変奏曲と考えて差し支えないだろう。この変奏ひとつひとつが、「歓喜の歌」を永遠不朽の名旋律として聴き手の記憶に刻む役割を果たしてきた。

 

この歓喜が一段落つくと、伝統的に宗教的な威厳を表現する際に用いられてきたトロンボーンに導かれ、男声合唱が負けじと「抱き合うのだすべての人よ Seid umschlungen, Millionen !」と咆哮する。それまで世俗的な歓びを歌ってきた楽章が、急に雰囲気を変え、宗教的な次元へとその歩を進めるのである。しかし、本当に驚くべきはこの後、「歓喜の歌」の旋律と、この「抱き合うのだすべてのひとよ」の旋律、つまり世俗的なるものと宗教的なるものが、同時に二重フーガとして演奏され、両者が同時に存在し、高め合う理想郷が、音楽の力によって描かれる。ベートーヴェンはシラーの詩からさまざまに想像を膨らませ、オペラ的な表現力と、器楽的な構成力を、まさに力業としか呼びようのない手法で結び合わせた。

 

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