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2019/10/10

仙台フィル2019年10月定期に寄せて

第331回定期演奏会 公演情報はこちら→

飯守泰次郎(指揮)

 

仙台フィルを応援してくださる皆様、オーケストラがお好きな皆様、音楽を愛するすべての皆様、こんにちは!飯守泰次郎です。仙台フィルの常任指揮者に就任して、早くも1年半が過ぎました。若々しいパワーと好奇心に溢れ、結束して音楽に心身を投じる仙台フィルとご一緒でき、私も毎回新鮮な刺激と特別な喜びを与えられております。

常任指揮者に就任して以来、ベートーヴェンを柱とするプログラムに継続的に取り組んでいます。クラシック音楽で最も大切なことはやはり、作曲家の意思を聴衆の皆様にお伝えすることです。200年経ってますます輝きを増すベートーヴェンの音楽の価値を、21世紀のここ仙台ならではの取り組みで新たに掘り下げたい、と考え、年間のプログラム全体を見渡して毎回の曲目を組み立てております。

きたる第331回定期演奏会(10/25,26)は、いよいよブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」を演奏いたします。

 

◆純粋音楽としての交響曲を書いた最後の作曲家・ブルックナー

西洋音楽における交響曲の歴史は、ハイドン、モーツァルトによって古典的な形式が確立されました。そしてベートーヴェンは、古典的な形式から出発し、交響曲第3番「英雄」(昨年6月定期で演奏)以降一気に発展して、後のロマン派、そして劇音楽にもつながる内容を持つようになります。続くシューベルト、シューマン、ブラームスといった作曲家たちは、ベートーヴェンの交響曲という不倒の高みを乗り越えるために非常に苦しみ、その苦悩は非常に素晴らしいドイツ・ロマン派の交響曲群として実を結びました。今年の2月定期では、こうした交響曲の歴史における最高の頂点の一つであるシューベルトの「ザ・グレート」をお聴きいただきました。

19世紀後半の後期ロマン派以降は、ワーグナー、マーラー、リヒャルト・シュトラウス等、劇的な音楽や文学的な標題にもとづく音楽が主流となっていきます。そのような時代の中で、ハイドン、モーツァルトからシューベルトと続いてきた純粋音楽(ドラマや標題によらず、ただ音楽それのみで成り立つ音楽)としての交響曲を書いた最後の作曲家が、ブルックナーなのです。

 

◆ブルックナーの人柄と作風

オーストリアの寒村で生まれ、修道院の聖歌隊員であったブルックナーは、生涯を通じて非常に敬虔なカトリック信者でした。やがて教会のオルガニストとなり、特に即興演奏の名手として知られるようになります。宗教的な合唱曲、ミサ曲などを作曲していた彼は、ウィーンの音楽院で作曲科の教授になった後、40歳を過ぎてから突然、巨大な交響曲を次々と書き始めます。

ブルックナーの交響曲というと、まず「長い」というイメージをお持ちの方は多いと思います。たしかに1時間を超える大掛かりな作品がほとんどで、オーケストラの編成も大きく、それまでの交響曲の規模をはるかに超えています。一方でブルックナーは、周囲に意見されると曲をすぐ改訂してしまう弱気なところがありました。「長すぎる」と言われて「はい」と改訂するけれども、次の作品はさらに長くなっている…というまことに不思議な作曲家なのです。

そもそも作曲家というと、モーツァルト、ブラームス、リスト、ショパン、あるいはワーグナー…いずれも相応の洗練された服装や整えられた髪形の肖像画で、深い内面性や強い意志が伝わってくる表情で描かれています。しかし、ブルックナーは無造作で凡庸な坊主頭、修道僧のような質素な服装というだけでなく、そもそも身なりに無関心で、しばしば右足と左足に違う靴を履いていて気づかなかったと言われています。数字に異様にこだわり、作曲家として高名になってからも、水玉模様の服を着た貴婦人を見ると駆け寄って水玉の数を数え始めるなど、洗練された振舞とは程遠い奇妙な性癖がいくつもあり、周囲や弟子たちを悩ませました。

作曲家らしくない、世間や時代から遊離した変った人柄と、巨大で深遠な彼の交響曲は、一見するとまったく結びつきません。しかしこの想像を絶するギャップにこそ、音楽の神秘、創造活動の偉大さがあるように私には思われるのです。

 

◆ワーグナーとブルックナー

ブルックナーの交響曲の内容を特徴づけるのは、その純粋さと宗教性です。

彼は、同時代の劇音楽の巨匠であるワーグナーを深く尊敬し、強い影響を受けました。ブルックナーの楽器の使い方や、和音と調性の扱いなど、いわば音楽の作り方は、ワーグナーから多くを学んでおり、ハッとするほど響きの共通性があります。それでいて、音楽の内容は劇音楽と純粋音楽、と全く対照的なのです。

たとえばワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』は、転調と半音を多用して、調性が人間の感情に与える作用を最大限に使いこなして男女の内面的なドラマを究極的に表現しました。一方、ブルックナーの交響曲の緩徐楽章(アダージョなどのゆっくりした楽章)も、同様に転調や半音が多用され、深い宗教性とともに後期ロマン派的な官能性が感じられます。しかしブルックナーの表現は人間のスケールをはるかに超えており、ロマン派的というよりいわばゴチック的に、純粋に音楽による宇宙の表現に到達している、といえます。彼にとって作曲という行為は神と自分の対話に他ならず、おそらく世の中のことは全く考えずに、ひたすらに自分の内的な欲求のみに従って作曲していたのでしょう。

 

◆ブルックナーの交響曲の特徴

ブルックナーの交響曲は、00番と呼ばれる習作から、未完成に終わった第9番まで、全11曲あります。それらの作品には共通したいくつかの特徴があります。こうした特徴は、彼が教会の名オルガニストであったことと深く関わっていると思います。

 

「ブルックナー開始」:

全曲の冒頭が、ごく弱音の弦楽器によるトレモロで始まることが多く、これは「原始霧」とも呼ばれます。交響曲第4番「ロマンティック」もブルックナー開始で始まりますので、最初は特に耳を澄ましていただければと思います。おそらくブルックナーの心の中には巨大なカテドラル(教会堂)があり、その巨大な空間をppの弦楽器のトレモロの響きで満たして、テーマの出現を準備する、という彼独特の着想だと私は思っています。

 

「ブルックナー・ユニゾン」:

オーケストラの全奏によるユニゾン(すべての楽器で同じ音を演奏すること)がしばしばあります。カテドラルいっぱいに響くオルガンの音をオーケストラで実現しようとするとこうなる、ともいえるかもしれません。

 

「ブルックナー休止」:

大音量で演奏していたオーケストラが突然止まり、しばらく長い休止が続きます。オルガンを弾き切ったあと、カテドラルにこだまする残響が消えて静かになるまでの時間を思わせる、特徴的な休止です。

 

「ブルックナー・クレッシェンド」:

ブルックナーでは、長いクレッシェンドに伴って、だんだんテンポを速くすることがしばしば求められます。通常の交響曲ならば基本的には一定のテンポで演奏されます。しかしブルックナーの場合はテンポの設定がかなり自由に揺れ動きます。これは、彼が自分一人でオルガンを即興的に弾いている感覚で作曲しているからではないか、と思います。

 

「聖なる野人」:

ブルックナーの交響曲のスケルツォ楽章は、しばしば「聖なる野人」という例えで愛されています。若い頃は修道院で農作業にも従事し、大食漢で、晩年になっても若い小娘に夢中になるような、人間ブルックナーの別の面がスケルツォには強烈に出ています。生き生きとした民族的な踊りや狩りの情景など親しみやすい音楽で、他の楽章とはっきりしたコントラストをなしているのもブルックナーの大きな魅力なのです。

 

◆巨大な響きの宇宙に身を任せて

今回演奏する第4番「ロマンティック」は、ブルックナーの交響曲の中では比較的コンパクトで(70分程度)演奏機会も多く、ブルックナー・ファン以外の方にも人気のある名曲です。ブルックナーと組み合わせることのできる作品は限られるのですが、今回は私の大好きな細川俊夫さんの「開花II」を演奏できることも大変嬉しく思っております。細川さんの音楽は、いわゆる現代音楽を超えた普遍的な内容を持っており、日本の自然観に立脚して静謐さと恐ろしいほど劇的なエネルギーが見事に表現されています。仙台フィルの誇る高い機能性と幅広い音色のパレットをお楽しみいただける作品、と思い選曲いたしました。

ブルックナーの交響曲を仙台フィルのお客様にお聴きいただくにあたって、なんらかの手がかりにしていただけるならば、と思ったことをお伝えしてまいりました。ブルックナーの交響曲は、人間的な感情を超えた宇宙的な世界、精神性の世界、いわば「祈り」の世界を表現しており、だからこそ長くスケールも大きい、といえます。オーケストラという巨大な楽器が奏でる音楽の中には、極端に言えば、この世が創造されて以来のすべての宇宙、自然、人類の歴史が含まれている、と常々私は思っております。このオーケストラの魅力を最大限に堪能いただけるのが、ブルックナーの交響曲なのです。
どうか、ぜひ演奏会にお越しください。そして、私がお伝えしたようなことは演奏が始まったらすべて忘れて、ただただブルックナーの音楽から生まれる巨大な響きの宇宙に身を任せていただければ、と思います。皆様の御来場を心よりお待ち申し上げております。

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