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2019/07/2

7月定期に寄せて~下野竜也(指揮)

「わが祖国」と「仙台フィル」と「おいどん」

下野竜也

 

この度、仙台フィル定期演奏会でわが祖国を演奏させて頂きます。飯守先生からのご提案です。実は仙台フィルの皆さんとは二度目のわが祖国。不朽の名作に再び向き合える事に心から感謝しています。

 

わが祖国という言葉を日常的に使う事があるでしょうか?  この言葉を目にする時、口にする時は、私の場合100%このスメタナさんの作品を指します。普段の会話で使う事は無いと言っても良いでしょう。海外等で国籍は?出身国は?という会話時に、「日本です。」「日本から来ました。」とは言う事はあっても、「わが祖国は日本です。」と言う言い回しで答えた記憶はありません。「故郷は、日本の南の方に位置する鹿児島です。」と答えた事はあります。

 

勿論、わが祖国という言い回しをする事が無いからといって、わが祖国は日本だという気持ちが無い筈はありません。海外で過ごした日々、接した留学生たちや訪れた国の人々が自分の祖国を誇りにそして、愛情を持っている事をとても感じました。わたし自身も日本が大好きです。

 

スメタナさんが、この大作を「わが故郷」ではなく「わが祖国」と題した事の意味は大きく、深いと思うのです。チェコ語でも当然、祖国と故郷は違う単語です。
それはこの作品だけに留まらず、スメタナさんの一生、彼の生きた時代、それこそ「彼の祖国」チェコの歴史を知れば自ずと見えて来る面もあると思います。チェコも本当に美しい素晴らしい国です。私の印象では、人々も少しシャイな感じがしますが、とても優しいか方々ばかりだと思います。しかしその歴史はつい先ほどまでの1989年まで苦難の歴史を背負っていたと言えます。ビロード革命後もその多くのご苦労はあり、その影響はまだあるかと思います。私の様な外国人には見えないものもあると思います。詳細はここでは省きますが、この「わが祖国」を聴く時には、これらの事実を外しては聴けない様に思います。音楽そのものが素晴らしい事は言うまでも無いのですが。

 

私はチェコ出身の作曲家の大好きです。スメタナ、ドヴォルザーク、ヤナーチェク、マルチヌ、ハース、フサ、ネリベル等。

 

仙台フィルの皆さんとはドヴォルザーク6、8番、チェコ組曲やフサのプラハ1968への音楽などのチェコ作品をこれまで多くをご一緒させて頂きました!行ったことも無いのに懐かしく感じたり、心踊ったり。 不思議な感覚をいつもこれらの作品群では感じます。
私は子供の頃は、山の中を走り回ったりして、服を泥んこで汚すほど遊んだり、虫を捕まえたり、外で遊ぶのも好きでしたが、家で百科事典を読むのが好きでした。その中でも歴史に関するものが好きでした。
その中で、ヤン・フスの火刑という絵が目に入って来たことが強い記憶として残りました。小学校5、6年だったと思います。それが何故そういう火刑になったかと言う事を詳しく調べることはありませんでしたが、宗教内の問題という様な簡単な知識で留まっていました。ただ、子供の私には強烈な絵の記憶が強く残っていました。
その約20年後、初めてプラハに行った時、凛々しい姿で馬に乗り民衆を牽引している像、ヤン・フス像を目にした時に震える程感動した事を思い出します。

 

あ〜!!あのヤン・フスだ!!

 

それからです。ヤン・フスの事を調べ、宗教内の対立に留まらない多くの事が絡みあい、民族、国の争いなど。その記憶を国やその民族、同胞たちが受け継いでそれらの国がその時その時を必死に生きて行っていると言う事を知りました。歴史を学ぶことは、明日をどう生きて行くかを学ぶ事だという事を30歳を過ぎたこの時期に実感しました。

 

指揮者として音楽の勉強をしながら、その背景や歴史を作曲家その人に留まらず多くを調べる様になったのは、この頃ウィーン留学時だったと思います。

 

2004年に新日本フィル名曲コンサートで初めてこの「わが祖国」を指揮する機会を得ました。その直後の新日本フィル定期ではドヴォルザークのフス教徒序曲やカレル・フサを取り上げましたので、新日本フィルでは、「下野はフス教徒かもしれない。」と言われました。 その後、2006年広島交響楽団、2008年にサイトウキネンオーケストラで割と間隔を開けずに取り上げさせて頂きました。 2008年のサイトウキネンの時は、演奏する前にもう一度チェコに行ってみようと思い立ち、プラハを目指し、一曲目の高い城ヴィシェフラットを訪れ、その城壁に腰をかけ、ヴルタヴァ川を眼下に見つつ、「わが祖国」のスコアを膝に乗せ、大きな声で最初から最後まで歌ったかなり怪しい観光客と思われたのは、鹿児島生まれのメタボリック指揮者の私です。その後、城の敷地内にある多くの著名人(ドヴォルザークは勿論、クーべリックなど)のお墓にお参りし、その翌日、フス派の拠点ターボルという街にプラハから電車で行きました。彼らの拠点だった城の博物館に行き、これまでは本で得たに過ぎない情報が、実際にそこに人が生き闘っていた事が目の前に立ちはだかり、その時代にタイムスリップした様な感覚になりました。5曲目のターボルのやけに冷たく怖く感じる出だしなどの空気をあの暗い地下室で嗅ぎとる事が出来たのも大きな収穫でした。その後、読響と前回の仙台フィルとの演奏で、まだ5回しか演奏した事がありませんが、あの時プラハを再訪出来た事はとても意義のある事だったと思っています。観光すれば上手く演奏出来るという安易な考えではありませんが、その空気を感じる事は決して無駄ではないと信じています。

 

今回も休憩無しで演奏させて頂きます。3曲ずつに分けて休憩を取るのが、伝統的だと思います。その方が、体力的にも良いと思います。

 

ただ、私見ですが、一つ一つの作品が独立して演奏も出来る完成された作品であるのですが、続けて演奏する事で、見える風景があると感じています。

 

「第1曲目 ヴィシェフラット」の持つ、プラハのシンボルとしてのプラハ城とはまた違った存在感や城を巡る歴史などのエピソードを経ての「第2曲目 ヴルタヴァ」への流れを作りたいと考えています。この二曲は、調性は繋がりませんが、映画のシーンが静かにスイッチする様に続けて演奏したいと思います。

 

ここで一区切りして息をつきたいと思います。そうすると、昔から感じていたヴルタヴァの最後の二つの音(ジャン!ジャン!)は何故あるのだろう?という自分の中の疑問が取れる様に思えます。子供の頃から静かに終われば良いのにと生意気な事を感じていました。スメタナさんすいません!

 

「第3曲 シャールカ」は伝承されている伝説です。これは独立して良いと考えます。男なんて皆殺しだ〜!という怖い音楽。でもファゴットが吹くイビキの音がいつも笑えます。

 

「第4曲 ボへミアの草原と森から」はプラハから離れます。これも独立して良いと思います。ウィーンプラハを何回も往復しましたが、その車窓から見える風景にいつもこの作品が頭の中でなります。妖精が飛んでいる様にも思える弦楽器のフーガにいつも感動します。

 

上記の2曲を私はエピソードと捉えて、次の2曲がいよいよ、「わが祖国」の現実的な歴史や、スメタナの生きた時代の国の問題、未来への希望を謳う音楽だと思っています。ですから、「第5曲目 ターボル」と「第6曲目 ブラニーク」は続けて演奏させて頂きます。

 

こうして6曲を続けて演奏すると、ヴィシェフラットのテーマがブラニークで壮大に還って来た時の感動は格別だと思っています。

 

長時間お座り頂き、おトイレも大変かと思いますが、ワーグナーの指環の1つの幕よりは短いと思いますので、一緒にスメタナの、わが「祖国」への思いを一緒に共有して頂けたら嬉しく思います。

 

この作品を1999年7月の気仙沼市での音楽教室がデビューだった仙台フィルの皆さんと再び、わが祖国を演奏出来る事を心から嬉しく思います。仙台フィルの印象は、最初は怖かったです。今でも音楽をする上での良い緊張感は変わりませんが。留学を終え、初めて長いコンサートを指揮させて頂いた時はドヴォルザークの8番でしたが、いつも仙台フィルがされているやり方でない表現をお願いした時の、「ハァー???」という空気も怖かったのですが、「でも、この様に書いてあります!。」と申し上げた後の「確かに。そうだねぇ。ではやってみようか。」という懐の大きさに感激したのを覚えています。こうやってゆっくり、何か共有して行く空気を仙台フィルの皆さんと感じています。発足時のご苦労をされた先輩方への敬意と若い楽員を育てようという、その良き伝統が、今の仙台フィルを作り上げているのでは!と指揮台から感じます。日本一と自ら仰っているケータリングの充実度とメッセージボードにはいつもほっこりさせて頂いております。前回はドヴォルザークの実家の肉屋に因んでお肉を差し入れさせて頂きましたが、今回は何にしようかしら。

 

それは、コンサートまで内緒にしておきます。

 

どうでも良い話ですが、鹿児島生まれのおいどんは、「せんだい」と言うと川内を思い浮かべます。このエピソードは、釣りバカ日誌のネタにもなりました。いつか仙台フィルの皆さんが鹿児島でもコンサートされる日が来ると良いですね。

 

では、「わが祖国」楽しみにしております。

 

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