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2018/08/20

第321回定期演奏会プログラムノート

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藤田 茂 (音楽学者)

 

仙台フィルの第321回定期演奏会は、バッハへのまなざしが大きなテーマとなる。バッハとは何者なのか。作曲家たちはときに彼と対決し、ときに彼に支えを求め、創造者としての己の位置を見定めようとしてきた。創造とは、過去への応答でもあるわけだ。それは現代のわたしたちにも創造的に生きるヒントを与えてくれる。さあ、音楽の時(とき)へ!

 

 

バッハ/シェーンベルク:前奏曲とフーガ 変ホ長調 BWV552「聖アン」

今回の公演は強い師弟関係にあった二人の作曲家によるバッハ編曲で幕を開ける。最初の曲は、20世紀音楽の祖ともいうべきアルノルト・シェーンベルク(1874-1951)の仕事。彼は、バッハがオルガンのために書いた《コラール=前奏曲》2曲(BWV631とBWV654)を1922年に管弦楽に編曲したあと、1928年になって同じくオルガンのための《前奏曲とフーガ》(BWV552)のオーケストレーションを行った。

 

原曲が「聖アン」と呼ばれるのは、この《前奏曲とフーガ》がイギリスの聖アン教会のオルガニストであったウィリアム・クロフトの作曲した賛美歌と似ていたからなのだが、ほんとうにバッハがこの賛美歌を聞いたことがあったかは定かではない。

 

そもそも、シェーンベルクはなぜバッハ編曲を思い立ったのだろう。自分の勉学のため、聴衆を教化するため、はたまた純粋にお金のため、いろいろな動機が考えられる。しかし、ドイツ音楽の父たるバッハに連なりたいという思いが根底にあったのではなかろうか。

 

シェーンベルクは「12音技法」を発展させ、現代音楽の扉を開いたひとであった。その新しい音楽は最初、ひとびとの無理解に出会ったが、シェーンベルクは、彼が実現しようとしている極度に複雑で洗練された声部の絡み合いは、すでにバッハの音楽のなかにあることを、この編曲で示す。つまり、《前奏曲とフーガ》を織り上げていく声部の糸を大オーケストラのバレットを活用して明確に色分けすることによって、そこにすでに豊かな複雑さのあることを聴き手にはっきりと認識させようとしたのだ。

 

バッハらしくない、この編曲を聞いたひとはそういうかもしれない。しかし、ここにはバッハを遺物ではなく、まさに生きた糧にしようとするシェーンベルクの熱い思いがある。

 

 

バッハ/ウェーベルン:6声のリチェルカーレ(「音楽のささげもの」から)

そして、アントン・ウェーベルン(1883-1945)は、彼の師であったシェーンベルクの「聖アン」の編曲を1929年にウィーンで初演する。これが大きな刺激としてウェーベルンのなかに残り、やがて彼もバッハ編曲に取り組むことになった。

 

ウェーベルンが目を向けたのは《音楽の捧げもの》(BWV1079)のなかの〈6声のリチェルカーレ〉。これは、晩年のバッハが1747年にフリードリヒ大王から頂いた主題を高度な技術で6声フーガに仕立てたものである。バッハはとくに楽器を指定しておらず、その意味でこのフーガは抽象的な構築物の状態にある。ウェーベルンは、バッハから2世紀後を生きる彼自身の想像力を駆使してこのフーガを見つめ直し、そこに彼自身の発見したモチーフの関連を際立たせるべく、1934年から5年にかけてオーケストレーションを施していった。

 

その方法は冒頭から新鮮かつ独特で、バッハをも魅了したフリードリヒ大王の主題が、トロンボーン、ホルン、トランペットと、音色の小さな塊へと分解されていくのが聞こえてくる。それは「点描主義」とも呼ばれるウェーベルン流のオーケストレーションに他ならない。つまり、ウェーベルンはバッハという鏡に自分の映しているのだ。

 

このウェーベルン版〈6声のリチェルカーレ〉は、1935年、ロンドンにて、ウェーベルン本人の指揮で初演された。

 

 

ラヴェル:組曲「クープランの墓」

19世紀のフランスの音楽家たちは、好んでこのように問いかけた。ドイツ音楽の父がバッハだとするならば、フランス音楽の父は誰なのだろう。リュリだろうか、ラモーだろうか。いろいろな候補者があがるなか、この《クープランの墓》で「クープランなり」と答えたのがモーリス・ラヴェル(1875-1937)であった。

 

タイトルにある「墓」は、もとのフランス語で「トンボー」、すなわち、追悼曲を意味する古風な言葉だった。現代風に言い換えるなら「クープランの思い出に」となるだろう。というのも「トンボー」は、故人をよく知る芸術家仲間によって書かれるのが普通だったから。

 

もちろん20世紀を生きていたラヴェルが18世紀のはじめに亡くなったフランソワ・クープランを知ることはなかったのだが、ラヴェルは想像力で時間の旅をして、クープランに見舞える。そしてクープランの《王宮のコンセール》の様式で彼自身の宮廷舞曲集《クープランの墓》を書いたのだった。

 

もともとは6曲からなるピアノのための組曲だったが、ラヴェルはこのうちの4曲をオーケストレーションし、少し順番を入れ替えて、今回演奏される管弦楽版の《クープランの墓》を作った。

 

第1曲プレリュード。柔らかな曲線を描く6音モチーフを様々な楽器に受け継ぎながら曲集の冒頭を飾る。

 

第2曲フォルラーヌ。イタリアのフリウーリを起源とする速い8分の6拍子の舞曲を、その野趣を際立たせるように、ラヴェル特有の鋭い和声で味つけする。

 

第3曲メヌエット。フランス宮廷舞曲のシンボルでもある4分の3拍子のこの舞曲は、ラヴェルにあってもまた、どこまでも優雅である。

 

第4曲リゴードン。笑いを意味する南フランス発祥のこの舞曲の名前そのままに、4分の2拍子で快活に、また、陽気に、この曲集を締めくくる。

 

ラヴェルは《クープランの墓》を第1次世界大戦中に作曲し、この戦争の終結後、各曲を戦死した友人に捧げて初演、出版した。人類がいまだ経験したことのなかった大戦争という特別な状況がラヴェルの愛国心を刺激したことも事実だけれども、過去を見つめる愛に満ちたラヴェルのまなざしは、作品が生み出された状況から離れてもなお、わたしたちを感動させる。

 

 

メンデルスゾーン:交響曲第5番 ニ長調 作品107 「宗教改革」

さて、今回の演奏会を締めくくるのは、フェリックス・メンデルスゾーン(1809-1847)の《宗教改革》交響曲である。

 

メンデルスゾーンは19世紀におけるバッハ復興の立役者として知られる。1829年3月11日、彼が監督・指揮してベルリンで実現したバッハの《マタイ受難曲》の復活上演がまさに歴史的な成功を収め、これが、現代にまでつながるバッハ再発見の直接のきっかけになったのである。バッハの死後、約80年を経た日のことであった。

 

しかし、メンデルスゾーンのまなざしは、決してバッハだけでなく、広く過去の音楽的遺産に向けられていたことを忘れないようにしよう。実に、この《宗教改革》交響曲は、過去から養分を得て、作曲家としてより高いステージに進もうとするメンデルスゾーンの心意気が如実に表れている作品なのだから。

 

ワーグナー好きのひとはハッとすると思うけれども、冒頭のアンダンテの序奏のなかにワーグナーも後に《パルジファル》で用いることになる、神々しい節が聞こえてくる。これは「ドレスデンアーメン」いって、ドレスデンを州都とする現在のザクセン州の教会で歌われていた「アーメン」の節なのである。では、なぜドレスデンアーメンかといえば、宗教改革の祖、マルティン・ルターを保護したのがこのザクセンだったからである。

 

メンデルスゾーンがこの《宗教改革》交響曲を作曲していた1830年は『アウグスブルク信仰告白』を発表して300年の記念イヤーにあたっていた。ルター派プロテスタント、すなわち旧来のカトリックに抗議(プロテスト)してキリストの福音の純粋さを取り戻そうとしたマルティン・ルターを中心とするグループは、ここにその信条の根幹を表明したのであるから、プロテスタント諸国において『アウグスブルク信仰告白』300周年は、いかにも重要な記念イヤーであった。

 

メンデルスゾーンは、これをひとつの口実として、交響曲に古風な要素を統合することを試みる。先にも述べた「ドレスデンアーメン」以外にも、たとえば第4楽章にはマルティン・ルターそのひとが作曲したといわれるコラール《神はやぐら》がはっきりと引用される。そして、ここまではっきりしていなくても、この交響曲のいたるところに、バッハを想起させるバロック風の対位法や、さらに、パレストリーナにまでさかのぼるルネサンスの声楽様式の模倣のようなものまで聞こえてくる。

 

当時の人々には、まさしく「新しい音楽」として成立してきた交響曲のなかに、それ以前の「古い音楽」の要素が入り込んでくることが、いかにもちぐはぐに聞こえたようで、この《宗教改革》交響曲は初演すること自体が大変で、また、1832年、メンデルスゾーンのホームタウンであるベルリンで初演が実現してからも、あまり芳しい批評は得られなかったという。実際、メンデルスゾーン自身が、この交響曲を取り下げてしまうのである。(この《宗教改革》交響曲は作曲順からいえば第2番になるのに、第5番という最終ナンバーがついているのは、メンデルスゾーンはこの交響曲を決して出版しようとせず、メンデルスゾーンを愛する人々の尽力によって彼の死後にようやく出版されたからである。)

 

最終楽章にははじめ実際に合唱を用いる計画もあったというから、全体の構成にはベートーヴェンの第9をモデルにしたところがあるのだろう。第1楽章はアンダンテの序奏こそニ長調だが、アレグロ・コン・フォーコの本体は第9と同じニ短調であり、その後、第(オーソドオクスな順序とは逆に)9と同じように第2楽章にアレグロ・ヴィヴァーチェのスケルツォを置き、第3楽章に緩徐楽章としてのアンダンテを聞かせる。そして、最後の第4楽章をニ長調で華々しく歌い上げる。

 

もっとメンデルスゾーンらしい甘い歌が聞きたかった、それが当時の人々の概ねの感想だったのだが、いやいやどうして、この交響曲には、メンデルスゾーンでしかありえない歌が、甘いばかりではない、ロマンティックな雄大さをもって歌い上げられるのだ。

 

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