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プログラムノート(第347回定期演奏会)
2021-07-06
カテゴリ:読み物
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奥田 佳道(音楽評論家)
シューマン(1810~1856):ピアノ協奏曲 イ短調 作品54
作曲:1841年、1845年、1853年改訂
初演:1845年12月4日ドレスデン、クララ・シューマンのピアノ、フェルディナント・ヒラー指揮
公開初演:1846年1月1日ライプツィヒ ゲヴァントハウス会館 クララ・シューマンのピアノ、
     フェルディナント・ヒラーまたはニルス・ゲーゼ指揮ゲヴァントハウス管弦楽団

 冒頭から劇的だ。音楽への内なる尽きせぬ想いが、ついに溢れ出る趣。
 この極めて愛すべきコンチェルトには、19世紀中葉を代表するピアニストだった妻クララ・ヨゼフィーネ・シューマン(1819~1896)への愛の呼びかけが織り込まれている。
 クララは、ロベルト・シューマンのピアノの師フリードリヒ・ヴィーク(1785~1873)の令嬢だった。ピアニスト志望の青年シューマンと、ウィーン楽友協会の名誉会員にも叙せられたヴィルトゥオーゾ・ピアニストのクララは、結婚を頑として認めなかったクララの父ヴィークとの法廷闘争にも勝利・勝訴し、1840年9月に晴れて結ばれる。結婚の年に歌曲、翌年オーケストラ曲が書かれた。

 クララClaraの愛称は、イタリア語風にキアーラChiaraまたはキアリーナChiarinaだった。キアーラは、シューマンの<音楽評論集>に登場する架空の女性の名前。キアリーナは、シューマン若き日のピアノ曲「謝肉祭」作品9の第11曲目のタイトルでもある。
 ChiarinaまたはChiaraから音名になる文字を抜き出すとC-H-A-A(ドイツ語の発音でツェー・ハー・アー・アー)つまりド・シ・ラ・ラとなり、このピアノ協奏曲を彩る重要な動機となる。シューマンは、四度上昇し、三度下降する音型、シンプルに言えば、ド~ファ、ミ・レ・ドを愛した。これも「クララの動機」で、他のピアノ曲にもたくさん現れる。後にクララと親しくなるブラームス(1833~1897)も「クララの動機」をここぞという場面で用いた。

 もうひとつ。シューマンのピアノ協奏曲を彩る「クララの動機」は、ベートーヴェン唯一の歌劇「フィデリオ」の調べにも通じる。
 無実の罪で地下牢に幽閉されているフロレスタンが、妻レオノーレとの憩いの日々を回想する第2幕のアリア<人生の春の日々に>との接点は、さて。シューマンは、ゲヴァントハウスで盟友メンデルスゾーン指揮のベートーヴェンを結構聴いている。

 曲は、1841年に手がけた「ピアノとオーケストラのための幻想曲」(第1楽章の原型)を基に、1845年に完成。後に改訂された。その数年前に書かれたメンデルスゾーンのピアノ協奏曲第2番ニ短調作品40や、楽壇のご意見番的な存在だったイグナーツ・モシェレス(1794~1870)のピアノ協奏曲から刺激を受けたようである。
 弦楽器がリズミカルに歌い出す、第3楽章の第2主題が凝っている。休符や音の連結を巧みに操り、拍節感を消す(弱拍を強拍に感じさせる)作曲法はシューマンのお家芸。シューマン夫妻に見出されたブラームスにも受け継がれた筆致である。シューマンは、バロック音楽の時代から愛されたシンコペーション・リズムの匠なのだ。

第1楽章:アレグロ・アフェトゥオーソ(アフェトゥオーソは愛情深く、優しく、の意) イ短調
第2楽章:間奏曲、アンダンティーノ・グラツィオーソ(続けて第3楽章へ) ヘ長調
第3楽章:アレグロ・ヴィヴァーチェ イ長調
レスピーギ(1879~1936):交響詩「ローマの祭」
作曲:1928年
初演:1929年2月ニューヨーク、カーネギーホール
   アルトゥーロ・トスカニーニ指揮ニューヨーク・フィルハーモニック定期公演

 古代劇場を埋め尽くす人々の熱狂が聴こえてくるかのよう。
 大編成のオーケストラが奏でる壮麗この上ない音のドラマ、めくるめく色彩感に酔いしれ、祈りの情趣に抱かれる。
 管弦楽法の達人オットリーノ・レスピーギと言えば、古都ローマに想いを寄せた通称<ローマ3部作>──交響詩「ローマの噴水」「ローマの松」「ローマの祭」だ。
 心象風景をも映し出すこれらの音絵巻は1916年から1928年にかけてひとつずつ作曲、初演された。今日は三番目に書かれた「ローマの祭」と二番目の「ローマの松」を聴く。歴史的名匠アルトゥーロ・トスカニーニ(1867~1957)ゆかりの名曲たちである。

 ボローニャ出身の鬼才レスピーギは、イタリアにワーグナーの楽劇を広めた指揮者でピアニストのジュゼッペ・マルトゥッチ(1856~1909)に師事した後、ヴァイオリン、ヴィオラ奏者として赴任したサンクト・ペテルブルクでリムスキー=コルサコフ(1844~1908)から教えを受けている。1913年から1920年代の半ばまで、伝統と格式を誇るローマのサンタ・チェチーリア音楽院の作曲科教授を務めている。
 いっぽうレスピーギほど母国の歴史、宗教、美術、音楽史に想いを寄せ、それを創作に生かした人はいない。「オペラの国イタリアに器楽の時代を、交響楽の復興を」も身上だった。当時の国民主義的な思潮とも共鳴し、民謡や古代旋法、キリスト教典礼音楽の様式を巧みに織り込んだ名曲を紡ぐ。

 そんなレスピーギは「ローマの祭」と「ローマの松」で、ブッキーナという古代仕様の──つまり20世紀初頭には存在しない──金管楽器を指定した。ブッキーナのパートは通常、トランペットで演奏される。
第1曲:「チルチェンセス(娯楽、サーカス)
 野外の円形大劇場の上には、あたりを威圧するかのような空が広がる。皇帝万歳。今日はアヴェ・ネローネ(皇帝ネロ万歳!)という市民の祝日だ。鉄の扉が開き、聖歌が、野獣の雄叫びが聴こえる。群衆は興奮するも、殉教者たちの歌が広がり、喧噪の中に消えてゆく。
第2曲:五十年祭(大赦が与えられる聖年)
 巡礼者たちが祈りを捧げながら街道を歩く。彼らはついにモンテ・マリオの丘の頂上に達した。渇望した永遠の都、聖なる都が映し出される。ローマだ!ローマだ!沸き起こる歓喜の声。教会の鐘もそれに応え、鳴り響く。
第3曲:十月祭
 ぶどうの蔓(つる)で覆われたカステッリ・ロマーニでの十月祭。カステッリ・ロマーニはローマの南25キロの皇帝ゆかりの街で、ワインの里としても名高い。狩りの角笛がこだまし、鐘の音も聞こえる。夕暮れ、マンドリンによるロマンティックなセレナードが流れる。
第4曲:主顕祭(1月6日)
 ナヴォーナ広場での主顕祭(東方の三賢人がイエス・キリストを礼拝した日)の前夜。木管、金管、打楽器が狂乱、喧騒を演出。魅せ場の連続だ。田舎風の歌、回転木馬のリズムを感じさせる手回しオルガンの音が聴こえ、物売りや客引き、酔っ払いの声もとどろく。熱狂を誘う南欧舞曲サルタレッロも添えられた。「道を開けろ、ローマ人さまのお通りだ!」。救世主の降誕を祝う、賑やかな祭りの風景。
レスピーギ(1879~1936):交響詩「ローマの松」
作曲:1924年
初演:1924年12月ローマ、アウグステオ劇場 ベルナルディーノ・モリナーリ指揮

 冒頭から音彩がきらめく。華やかだ。しかし「ローマの松」は、ローマの公園や街道沿いの松が浮かんだとしても、描写音楽ではない。巧緻な管弦楽法を駆使した物語である。
レスピーギ十八番の教会旋法が舞う。ホールを満たすのは、古代ローマへの憧憬に満ちた眼差し、郷愁の念、それに幻影だ。いにしえの空間を創るために、録音という当時最新鋭のテクノロジーも必要とした。光彩陸離たるエンディングに胸ときめく。

 初演は別掲の通りだが、1926年以降トスカニーニがアメリカで演奏した。レスピーギ自身もフィラデルフィア管弦楽団でタクトを執っている。
第1曲:「ボルゲーゼ荘の松」
 ボルゲーゼ荘がある公園。松の木立の間で、子どもたちが無邪気にも戦争ごっこをしている。おもちゃのラッパが鳴れば、機関銃を真似したガラガラの音も届く。子どもたちの動きに想いを寄せたのか、低音の要コントラバス、それに荘重なトロンボーンはここではお休み。
第2曲:「カタコンブ付近の松」
 地下墓地カタコンブの入り口付近にある松。その木陰から亡霊たちの歌声が聴こえてくる。嘆きの聖歌は厳かな讃歌のよう。天上から響くのは、グレゴリオ聖歌を吹くトランペット。オルガンが加わる。亡霊たちの合唱もそれに呼応する。
第3曲:「ジャニコロの松」
 そよ風が大気を満たす。満月のもと、ローマの街並みを一望出来る丘の上に立つジャニコロの松が、くっきりと浮かび上がる。 月光が降り注ぐ夜明け前。ピアノに導かれ、クラリネットが郷愁に満ちた調べを奏でる。美しく歌う弦、木管。録音によるナイチンゲール(夜鶯)の鳴き声が聴こえ、やがて静かな朝を迎える。
第4曲:「アッピア街道の松」
街道の霧の夜明けに、行進のリズムが続き、新たに昇る輝かしい太陽のもとで、執政官の軍隊が勝ち誇ったカピトーレの丘へと登ってゆく。
 ローマと各都市を結ぶアッピア街道に立つ松。街道の向こうから、古代ローマ軍の進軍の足音が近づいてくる。凱旋だ。彼らを歓迎するバンダ(金管楽器の別動隊)も高らかに響く。
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