プログラムノート(第379回定期演奏会)
2025-02-14
カテゴリ:読み物
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奥田 佳道(音楽評論家)
スメタナ(1824~1884)
連作交響詩「我が祖国」
連作交響詩「我が祖国」
作 曲 1872年頃~1879年 全曲初演 1882年11月5日プラハ、スラヴ(スロヴァンスキー・オストロフ)島ジョフィーン宮殿ホール アドルフ・チェフ指揮プラハ国民劇場管弦楽団 ※各曲は1875年3月から1880年1月にかけて、ほぼ創作順に初演 |
ハープの音色に導かれ、内に外に烈しいドラマが始まる。15世紀チェコの英雄ヤン・フスを信奉するフス教徒(ヤン・フス、フス教徒については後述)が歌った讃美歌の調べも曲の終盤で主役を演じる。
高関健と仙台フィルハーモニー管弦楽団は2023年暮れ、恒例の<第九>公演に「我が祖国」の終曲「ブラニーク」を添えた。ニ短調の壮大な交響曲を導くニ短調の劇的な交響詩。2024年のスメタナ生誕200年を予告する心憎い選曲だった。
2024年度の定期演奏会も、のこすところ今月と来月。日頃「ヴルタヴァ(モルダウ)」のみか、2、3曲の抜粋で知られる「我が祖国」全曲演奏への期待は増すばかりである。
チェコ国民音楽の創始者のひとりにして、チェコ国民楽派を代表する作曲家ベドルジヒ・スメタナの「名刺」曲を聴く。
国民音楽、国民楽派を端的に申せば、1848年以降、ヨーロッパ全域、とくに中欧から眺めた場合の周縁(東欧、北欧)で沸き起こった民族主義的な考え方に基づく音楽となる。
各地域の歴史、心の遺産としての民俗文化や伝承に想いを寄せる過程のなかで、民族の独自性を明らかにする音楽、あるいはそうした機運を明らかにする愛国的な調べが必要とされていったのだ。
スメタナの時代、国家としてのチェコは存在しなかった。名ばかりのボヘミア王国はあったものの、チェコはオーストリア・ハプスブルク帝国(1867年以降はオーストリア=ハンガリー帝国)の属領下にあった広大な地域だった。
しかし時代は動き始める。チェコの文化人、芸術家も自分たちの出自やあるべき姿を追い求め、それを言葉、音楽などで表すようになる。
チェコでは「チェコ的なるもの」が求められたわけだが、チェコ国民楽派内でも、その方法論は当然ながら様々である。そもそも、ひとくちにチェコといっても、「西側」のボヘミア(チェヒ)と「東側」のモラヴィア(モラヴァ)では、舞曲のリズムも民謡の旋法も異なる。
百塔の街と呼ばれたボヘミアの古都プラハで学び、一時北欧スウェーデンで活動したスメタナは、1860年代以降、プラハを拠点に愛国的な精神を映し出す音楽、つまり国民主義的な音楽の創造を目指すようになる。
チェコの伝説、歴史、思想、さらに自然の情景を歌い上げた国民主義的な「オペラ」と、標題音楽の一種である「交響詩」の作曲に勤しむのだ。実は進歩的な音楽観を携えていたスメタナは、1850年代の半ばにフランツ・リスト(1811~1886)が考案したばかりの交響詩のスタイルに魅了されていた。
いっぽう、ボヘミアの舞曲リズムや古謡の旋法をスメタナ以上に愛でた旋律作家のドヴォルザーク(1841~1904)は、ワーグナー(1813~1883)好きだった。3月の定期は、ドヴォルザーク晩年の逸品、交響詩「真昼の魔女」で始まる。
さてスメタナがオペラと交響詩を書き始めるのと呼応するかのように、1862年にプラハにチェコの作品を主なレパートリーとする暫定的な歌劇場(国民劇場の前身)が建てられ、同劇場の指揮者となるスメタナは人気作「売られた花嫁」を書く。続いて15世紀の騎士を民族解放の英雄として描いた歌劇「ダリボル」、ボヘミア王国建国時の伝説的な女王を扱った「リブシェ」も完成をみた。
1872年の構想当初は「祖国」というタイトルだった連作交響詩「我が祖国」が見えてきた。全6曲からなるこの交響詩は、チェコの神話・伝説(第1曲、第3曲)、自然賛歌(第2曲、第4曲)、愛国の情(第5曲、第6曲)で構成されている。
チェコのこれまで、と、これからを行き来する音楽。あるいは、奇数曲が過去・歴史、偶数曲が現在・未来を映し出す、との解釈も成り立つ。
第1曲 交響詩「ヴィシェフラド(高い城)」 変ホ長調
高い城。チェコ語でヴィシェフラド。ヴィシェフラドは、プラハ近郊の城跡およびその地域名でもある。
建国の女王リブシェが、ヴルタヴァ(モルダウ)河畔にそそり立つ岩の上の城で、ボヘミアの未来を予言した、とされる。歴代のボヘミア国王もヴィシェフラドを居城とした。
2台のハープの調べに導かれ、中世の吟遊詩人ルミールがチェコの栄枯盛衰(えいこせいすい)を語り出す。ルミールはムハ(ミュシャ)の絵でもおなじみだ。
スメタナが1879年、なじみの音楽出版社に宛てた手紙によれば、この交響詩で描かれているのは、チェコの起源、災難、栄光、祭禮、戦争、そして要塞の陥落、国の没落となる。
曲は、シの♭とミの♭、2音によるモットー動機で創られている。変ロ音と変ホ音。ドイツ語音名だとB(ベー)とEs(エス)。完全4度の音程によるヴィシェフラドの動機。この2音動機はD(デー、レ音)、B(べー、シの♭)へと続く。
2番目の音EsをSに置き換えて最初の2音をみるとB→S
つまりベドルジヒ・スメタナのイニシャルだ。都合4音から成る〈ヴィシェフラドの動機〉は、連作交響詩の、ここぞという場面に織り込まれている。まさにスメタナ(B.S)自身が「我が祖国」を語り、奏でているのだ。
第2曲 交響詩「ヴルタヴァ(モルダウ)」 ホ短調
2本のフルートとクラリネットが奏でるのは、プラハを悠々と流れるヴルタヴァ(ドイツ語でモルダウ)の2つの源流。この源流はほどなくひとつに。そしてあの主題が響く。ちなみにヴルタヴァはエルベ川の上支流にあたる。
狩りの角笛がこだまする。農民の結婚式ではダンスが踊られる。水面に映り、ゆらぐのは月。スラヴ神話を彩る水の精/女性の霊ルサルカの幻想的な物語も添えられた。
夜が明け、聖ヤンの流れと呼ばれる急流を経て、ヴルタヴァは流れてゆく。それを見守るヴィシェフラド(高い城)。
第3曲 交響詩「シャールカ」 イ短調
冒頭から壮絶だ。シャールカはチェコの伝説「乙女戦争」の主役。
かつて恋人に裏切られたシャールカは、男すべてに復讐すべく、女戦士となっていた。彼女は哀れを演出するため、自らの身体を木にしばる。クラリネットがそんなシャールカを描く。
騎士ツチラド(またはツチラト)らが進軍してきた。シャールカを助けようとして近づいてきたのか。ツチラドはシャールカの美貌に夢中になり、彼女が用意した酒に酔う。チェロがツチラドを描く。愉しい夜宴が催される。しかし「乙女戦争」では、それはシャールカの罠。酒に酔った騎士ツチラドたちは、気分良く眠りにつく。ファゴットがいびきを描く。
さあ、泥酔した男たちに復讐するときがきた。シャールカたちは、ホルンの角笛を合図に集まり、ツチラドらを全滅させる。
これがチェコの伝説「乙女戦争」の概略だが、スメタナの狙いは「乙女戦争」の描写云々にあったのではなく、大国の身勝手に翻弄されたチェコ史のある一面を、伝説に託して活写することだった、と見る向きも多い。
第4曲 交響詩「ボヘミアの森と草原から」 ト短調
ボヘミアの広大な草原をわたる「風の音」が聞こえてくるかのよう。神秘的な森の情景、そして収穫の喜びも浮かび上がってくる。チェコ/ボヘミア発祥の舞曲ポルカも織り込まれた。管弦打楽器の見せ場、魅せ場が続く。
曲について、作曲者は次のように述べている。
「ボヘミアの風景を眺めたときに、湧き起こって来る情感。この音楽を聴いた誰もが、それぞれの思い、幻想に応じて絵を描くことが出来る」
スメタナは当初、この色彩豊かな「音画」を連作交響詩のフィナーレにするつもりだった。
第5曲 交響詩「ターボル」 ニ短調
ターボルは街の名。プラハから南に80キロほど、南ボヘミア州の古都である。15世紀に反カトリックを唱え、火刑に処せられた国民的な英雄ヤン・フス(1369~1415)を信奉する改革派フス教徒が拠点としていた街である。神聖ローマ帝国(カトリック)の支配に抵抗し、最後まで信と己を貫いた宗教思想家にして宗教改革(プロテスタント)の先駆者でもあるヤン・フス。彼の処刑後、神聖ローマ皇帝のボヘミア王兼任を機に、いわゆるフス戦争(一般的には1419年から1434年)が起こった。フス戦争および改革と抵抗を唱えたフス教徒の精神は、19世紀チェコ民族復興運動の象徴となった。
交響詩「ターボル」は、15世紀のフス派が歌った、3連から成る讃美歌「汝らは神の戦士なり」に基づく変奏曲。同音反復が鍵を握る。3部形式で創られている。スメタナは楽想の分割、変奏に凝った。
第6曲 交響詩「ブラニーク」 ニ短調
交響詩「ターボル」から交響詩「ブラニーク」へ。その有機的な連結、同音反復の効果に驚く。この2曲は1880年1月に同じコンサートで初演された。
ブラニークはボヘミア中南部にある山の名。標高638メートル。チェコの伝説によれば、ブラニークには国の危機を救う騎士たちが眠っている。スメタナはその伝説を次のように解釈し、標題として掲げた。
「戦いに敗れたヤン・フス派の戦士たちは、いったんブラニークに身を隠した。彼らは立ち上がるべき時の到来を待ち、眠っている」
ヤン・フス派の讃美歌「汝らは神の戦士なり」の最後、第3連の歌詞は「汝は終には神とともに勝利を得ん(最後には、神とお前たちが勝利とともにある)」
高揚するグランド・フィナーレで「ヴィシェフラド(高い城)」の動機も舞うが、なかほどには、ボヘミアの豊かな自然や平穏な時を映し出すかのような羊飼い(牧童)の調べも添えられている。パストラール(田園)へのオマージュか。オーボエ、クラリネット、ホルンが味。
壮麗、決然と形容したくなる熱きコーダ(終結部)まで聴きどころは尽きない。
高関健と仙台フィルハーモニー管弦楽団は2023年暮れ、恒例の<第九>公演に「我が祖国」の終曲「ブラニーク」を添えた。ニ短調の壮大な交響曲を導くニ短調の劇的な交響詩。2024年のスメタナ生誕200年を予告する心憎い選曲だった。
2024年度の定期演奏会も、のこすところ今月と来月。日頃「ヴルタヴァ(モルダウ)」のみか、2、3曲の抜粋で知られる「我が祖国」全曲演奏への期待は増すばかりである。
チェコ国民音楽の創始者のひとりにして、チェコ国民楽派を代表する作曲家ベドルジヒ・スメタナの「名刺」曲を聴く。
国民音楽、国民楽派を端的に申せば、1848年以降、ヨーロッパ全域、とくに中欧から眺めた場合の周縁(東欧、北欧)で沸き起こった民族主義的な考え方に基づく音楽となる。
各地域の歴史、心の遺産としての民俗文化や伝承に想いを寄せる過程のなかで、民族の独自性を明らかにする音楽、あるいはそうした機運を明らかにする愛国的な調べが必要とされていったのだ。
スメタナの時代、国家としてのチェコは存在しなかった。名ばかりのボヘミア王国はあったものの、チェコはオーストリア・ハプスブルク帝国(1867年以降はオーストリア=ハンガリー帝国)の属領下にあった広大な地域だった。
しかし時代は動き始める。チェコの文化人、芸術家も自分たちの出自やあるべき姿を追い求め、それを言葉、音楽などで表すようになる。
チェコでは「チェコ的なるもの」が求められたわけだが、チェコ国民楽派内でも、その方法論は当然ながら様々である。そもそも、ひとくちにチェコといっても、「西側」のボヘミア(チェヒ)と「東側」のモラヴィア(モラヴァ)では、舞曲のリズムも民謡の旋法も異なる。
百塔の街と呼ばれたボヘミアの古都プラハで学び、一時北欧スウェーデンで活動したスメタナは、1860年代以降、プラハを拠点に愛国的な精神を映し出す音楽、つまり国民主義的な音楽の創造を目指すようになる。
チェコの伝説、歴史、思想、さらに自然の情景を歌い上げた国民主義的な「オペラ」と、標題音楽の一種である「交響詩」の作曲に勤しむのだ。実は進歩的な音楽観を携えていたスメタナは、1850年代の半ばにフランツ・リスト(1811~1886)が考案したばかりの交響詩のスタイルに魅了されていた。
いっぽう、ボヘミアの舞曲リズムや古謡の旋法をスメタナ以上に愛でた旋律作家のドヴォルザーク(1841~1904)は、ワーグナー(1813~1883)好きだった。3月の定期は、ドヴォルザーク晩年の逸品、交響詩「真昼の魔女」で始まる。
さてスメタナがオペラと交響詩を書き始めるのと呼応するかのように、1862年にプラハにチェコの作品を主なレパートリーとする暫定的な歌劇場(国民劇場の前身)が建てられ、同劇場の指揮者となるスメタナは人気作「売られた花嫁」を書く。続いて15世紀の騎士を民族解放の英雄として描いた歌劇「ダリボル」、ボヘミア王国建国時の伝説的な女王を扱った「リブシェ」も完成をみた。
1872年の構想当初は「祖国」というタイトルだった連作交響詩「我が祖国」が見えてきた。全6曲からなるこの交響詩は、チェコの神話・伝説(第1曲、第3曲)、自然賛歌(第2曲、第4曲)、愛国の情(第5曲、第6曲)で構成されている。
チェコのこれまで、と、これからを行き来する音楽。あるいは、奇数曲が過去・歴史、偶数曲が現在・未来を映し出す、との解釈も成り立つ。
第1曲 交響詩「ヴィシェフラド(高い城)」 変ホ長調
高い城。チェコ語でヴィシェフラド。ヴィシェフラドは、プラハ近郊の城跡およびその地域名でもある。
建国の女王リブシェが、ヴルタヴァ(モルダウ)河畔にそそり立つ岩の上の城で、ボヘミアの未来を予言した、とされる。歴代のボヘミア国王もヴィシェフラドを居城とした。
2台のハープの調べに導かれ、中世の吟遊詩人ルミールがチェコの栄枯盛衰(えいこせいすい)を語り出す。ルミールはムハ(ミュシャ)の絵でもおなじみだ。
スメタナが1879年、なじみの音楽出版社に宛てた手紙によれば、この交響詩で描かれているのは、チェコの起源、災難、栄光、祭禮、戦争、そして要塞の陥落、国の没落となる。
曲は、シの♭とミの♭、2音によるモットー動機で創られている。変ロ音と変ホ音。ドイツ語音名だとB(ベー)とEs(エス)。完全4度の音程によるヴィシェフラドの動機。この2音動機はD(デー、レ音)、B(べー、シの♭)へと続く。
2番目の音EsをSに置き換えて最初の2音をみるとB→S
つまりベドルジヒ・スメタナのイニシャルだ。都合4音から成る〈ヴィシェフラドの動機〉は、連作交響詩の、ここぞという場面に織り込まれている。まさにスメタナ(B.S)自身が「我が祖国」を語り、奏でているのだ。
第2曲 交響詩「ヴルタヴァ(モルダウ)」 ホ短調
2本のフルートとクラリネットが奏でるのは、プラハを悠々と流れるヴルタヴァ(ドイツ語でモルダウ)の2つの源流。この源流はほどなくひとつに。そしてあの主題が響く。ちなみにヴルタヴァはエルベ川の上支流にあたる。
狩りの角笛がこだまする。農民の結婚式ではダンスが踊られる。水面に映り、ゆらぐのは月。スラヴ神話を彩る水の精/女性の霊ルサルカの幻想的な物語も添えられた。
夜が明け、聖ヤンの流れと呼ばれる急流を経て、ヴルタヴァは流れてゆく。それを見守るヴィシェフラド(高い城)。
第3曲 交響詩「シャールカ」 イ短調
冒頭から壮絶だ。シャールカはチェコの伝説「乙女戦争」の主役。
かつて恋人に裏切られたシャールカは、男すべてに復讐すべく、女戦士となっていた。彼女は哀れを演出するため、自らの身体を木にしばる。クラリネットがそんなシャールカを描く。
騎士ツチラド(またはツチラト)らが進軍してきた。シャールカを助けようとして近づいてきたのか。ツチラドはシャールカの美貌に夢中になり、彼女が用意した酒に酔う。チェロがツチラドを描く。愉しい夜宴が催される。しかし「乙女戦争」では、それはシャールカの罠。酒に酔った騎士ツチラドたちは、気分良く眠りにつく。ファゴットがいびきを描く。
さあ、泥酔した男たちに復讐するときがきた。シャールカたちは、ホルンの角笛を合図に集まり、ツチラドらを全滅させる。
これがチェコの伝説「乙女戦争」の概略だが、スメタナの狙いは「乙女戦争」の描写云々にあったのではなく、大国の身勝手に翻弄されたチェコ史のある一面を、伝説に託して活写することだった、と見る向きも多い。
第4曲 交響詩「ボヘミアの森と草原から」 ト短調
ボヘミアの広大な草原をわたる「風の音」が聞こえてくるかのよう。神秘的な森の情景、そして収穫の喜びも浮かび上がってくる。チェコ/ボヘミア発祥の舞曲ポルカも織り込まれた。管弦打楽器の見せ場、魅せ場が続く。
曲について、作曲者は次のように述べている。
「ボヘミアの風景を眺めたときに、湧き起こって来る情感。この音楽を聴いた誰もが、それぞれの思い、幻想に応じて絵を描くことが出来る」
スメタナは当初、この色彩豊かな「音画」を連作交響詩のフィナーレにするつもりだった。
第5曲 交響詩「ターボル」 ニ短調
ターボルは街の名。プラハから南に80キロほど、南ボヘミア州の古都である。15世紀に反カトリックを唱え、火刑に処せられた国民的な英雄ヤン・フス(1369~1415)を信奉する改革派フス教徒が拠点としていた街である。神聖ローマ帝国(カトリック)の支配に抵抗し、最後まで信と己を貫いた宗教思想家にして宗教改革(プロテスタント)の先駆者でもあるヤン・フス。彼の処刑後、神聖ローマ皇帝のボヘミア王兼任を機に、いわゆるフス戦争(一般的には1419年から1434年)が起こった。フス戦争および改革と抵抗を唱えたフス教徒の精神は、19世紀チェコ民族復興運動の象徴となった。
交響詩「ターボル」は、15世紀のフス派が歌った、3連から成る讃美歌「汝らは神の戦士なり」に基づく変奏曲。同音反復が鍵を握る。3部形式で創られている。スメタナは楽想の分割、変奏に凝った。
第6曲 交響詩「ブラニーク」 ニ短調
交響詩「ターボル」から交響詩「ブラニーク」へ。その有機的な連結、同音反復の効果に驚く。この2曲は1880年1月に同じコンサートで初演された。
ブラニークはボヘミア中南部にある山の名。標高638メートル。チェコの伝説によれば、ブラニークには国の危機を救う騎士たちが眠っている。スメタナはその伝説を次のように解釈し、標題として掲げた。
「戦いに敗れたヤン・フス派の戦士たちは、いったんブラニークに身を隠した。彼らは立ち上がるべき時の到来を待ち、眠っている」
ヤン・フス派の讃美歌「汝らは神の戦士なり」の最後、第3連の歌詞は「汝は終には神とともに勝利を得ん(最後には、神とお前たちが勝利とともにある)」
高揚するグランド・フィナーレで「ヴィシェフラド(高い城)」の動機も舞うが、なかほどには、ボヘミアの豊かな自然や平穏な時を映し出すかのような羊飼い(牧童)の調べも添えられている。パストラール(田園)へのオマージュか。オーボエ、クラリネット、ホルンが味。
壮麗、決然と形容したくなる熱きコーダ(終結部)まで聴きどころは尽きない。