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退団のお知らせ(1st Vn.松山 古流、2nd Vn.大友 靖雅、Vla. 梅田 昌子、Tp.森岡正典)
2025-03-12
カテゴリ:お知らせ
重要
2025年3月31日付けで、下記の4名が退団いたします。

 松山 古流(第1ヴァイオリン奏者 )
 大友 靖雅(第2ヴァイオリン奏者 )
 梅田 昌子(ヴィオラ奏者 )
 森岡 正典(トランペット奏者 )

今後の更なる活躍を祈念いたしております。
卒団に寄せて
松山 古流(第1ヴァイオリン奏者)
今年度で、40年のオーケストラ団員としての活動を卒業する事になりました。
入団当時は、こんなにも長く演奏活動が続けられるとは思えませんでしたが、多くの先輩団員・ステージスタッフに恵まれ、なんとか務める事が出来ました。
もともと、アンサンブルが好きで学生時代より弦楽合奏を楽しんでおり、師の誘いで新ヴィヴァルディ合奏団のコンサートに、ヴァイオリン・ヴィオラ奏者として数多く出演させて頂いた事もあり、当時の宮城フィルハーモニー管弦楽団に入団させて頂きました。
入団当時はスクール・コンサート以外の出番は少なくのんびりしてましたが、仙台フィルハーモニー管弦楽団に移行した頃から本格的なコンサートがお客様の目に止まる様になり、今年度、定期演奏会が全て完売となる奇跡の様な後押しを頂き、深く記憶に残る締めくくりとなりました。
オーケストラからは離れますが、これからも好きなアンサンブル等の演奏活動を十分楽しんで参ります。
ありがとうございました。

大友 靖雅(第2ヴァイオリン奏者)
1977年、「宮城フィルハーモニー第5回定期演奏会」が初めてのオーケストラでの演奏でした。48年前、昨日のことのようですと言うには少々時間が経ち過ぎた気もします。
その後、法人化した宮城フィルの楽団員となり活動を始めた頃は、未だオーケストラが社会的地位を確立していない時代でした。「皆さんは、普段はどんなお仕事をされているのですか?」そう質問された経験を持つメンバーも少なくありませんでした。
リハーサル会場の確保が容易ではなく、市内の小学校の体育館や私立高校の講堂をお借りすることもありました。
過渡期ならではの苦労が多い時代ではありましたが、今となっては皆が街の音楽文化の担い手となることに希望を持ち懸命に活動を続けた素晴らしい時間だったと感じています。
あの頃の望みどおり、仙台フィルは成長を遂げ仙台の文化向上に貢献する存在となったと感じます。生まれ育った仙台のオーケストラで、最後まで演奏できたことに言葉に尽くせない幸せを感じています。
長年の悲願であった新ホール建設も、紆余曲折を経てようやく実現しそうです。新たな環境で更に発展してゆく仙台フィルの姿を楽しみにしています。
これからの仙台フィルを担うメンバーの皆さんが活動を続けた時間を思い起こすとき、それがいい時代であることを心から願っています。
末筆ではございますが、いつも演奏会に足を運んでくださる皆様にあらためて感謝申し上げます。演奏を終え、皆様からいただく笑顔と拍手が大きな支えでした。
これからも仙台フィルへのご支援をお願いし、退団のご挨拶といたします。ありがとうございました。
梅田 昌子(ヴィオラ奏者)
37年間勤めたオーケストラをこの3月で卒団となります。私が入団した時はまだ宮城フィルハーモニー管弦楽団と名乗ってましたが、まもなく(1989年)仙台フィルハーモニー管弦楽団と改名されました。
この年からが今の仙台フィルに向かう大進歩でした。
思い返せば、初のサントリーホールでの公演、他のオーケストラとのジョイントコンサート、ヨーロッパ公演、震災復興コンサート、ロシア公演、仙台国際コンクールの開催など、どれも刺激的で有意義な経験でした。
1990年には仙台ジュニアオーケストラも結成されました。初代講師として10年間勤めましたが、指導者として良い経験をさせていただきました。今となってはその頃の生徒さんたちがママとなりオーケストラと遊んじゃおうコンサートに聴きに来てくれるなど交流が続いていることも嬉しく思います。
今、仙台フィルは新入団員オーディションが続いています。若い素晴らしいメンバーが入団して、新しいホールが完成したら、さらに魅力的なサウンドが生まれると思います。早く新しいホールで聴きたいとワクワクしてます。いつもは舞台上からお客様の反応が気になり、拍手の大きさや笑顔がモチベーションになっていましたが、これからは仙台フィル一ファンとして客席からたくさんの拍手を送りたいと思います。
思えば本当に長い年月休まず毎日楽器を弾いていたのだと感じています。卒団後は興味があった古楽器やバロック音楽に触れてみたいと思ってます。趣味のお菓子作りもレパートリーを増やして、低山登山も楽しみ、やりたいことが多い私ですが、元気に楽しみたいと思っております。オーケストラの団員ならではの貴重な経験に感謝しつつまだまだ精進して行きたいと思います。
長い間、たいへんお世話になりました。ありがとうございました。
森岡 正典(トランペット奏者)
1982年、東北新幹線開業の年に宮城フィルハーモニー管弦楽団に入団し、これまで長い年月演奏する機
会をくださったこのオーケストラに深く感謝いたしております。
自分がいつまで演奏出来るかわからないといつも思いながら、気がつけば43年と長い時間を過ごさせて頂きました。
演奏会では理想を追い求め、四苦八苦の繰り返しだったように思います。これまでオーケストラ団員として沢山の経験を積ませて頂き、本当にお世話になりました。
当時の宮城フィルは楽譜や譜面台等を自分達でセッティングし、練習会場は東北音楽学校、東北放送等転々としていたのを思い出します。
演奏旅行の宿泊では大部屋雑魚寝だったり、音楽を聴くのはレコードやカセットまたはCDで、当時は出版の曲数も少なく探すのに苦労したり…今日のような便利さはありませんでしたが、それゆえに密で濃い時間があったように思います。
初任給は9万円、ボーナスは餅という時代でしたので、食べる為に家業の手伝いの二刀流をする時期もありました。
音楽教室で学校の先生から「普段はどんなお仕事なさっているんですか?」といった質問は日常茶飯事で…(笑)
東日本大震災のような苦難もありましたが、本当に様々な時流の変化の中で仙台フィルハーモニーの日々の成長は嬉しいものでした。今では定期演奏会・東京公演・海外公演・国際音楽コンクール等の演奏会が普通に開催されていることが信じられない思いです。
私自身、アメリカへ留学する時間を持たせて頂いたことは、音楽においても大きな転機となっていました。
これまで素晴らしい指揮者、素晴らしい演奏家の方々と沢山の貴重な経験を持たせて頂き、当時ご一緒していたプレイヤーの皆様、現メンバーの皆さん、事務局スタッフ、現場裏方スタッフには感謝せずにはいられません。
そして何よりも有り難かったのは、いつも温かく応援してくださるファンクラブの皆様、演奏会に足を運んでくださるお客様の存在でした。本当に有り難うございました。
忘れることの出来ないこれまでの沢山の出会いに、心から感謝申し上げます。
これからも益々発展し続ける仙台フィルハーモニーを陰ながら応援していきたいと思っております。
(入団後すぐの定期演奏会、宮城フィルハーモニー管弦楽団 第42回定期演奏会パンフレットより「オフ・ステージ③」はこちら
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