第392回 定期演奏会 プログラムノート
奥田 佳道(音楽評論家)
ベートーヴェン(1770~1827)
劇音楽「エグモント」序曲 作品84
作 曲 1809年~1810年
改 訂 1810年6月15日ウィーン、ブルク劇場
メッセージ性豊かな古典と近代の名作を軸に、オーケストラの素晴らしさを分かち合う下野竜也渾身の選曲。26年前に東京国際音楽コンクールで指揮した武満も響く。課題曲のひとつだった。ソリストはそのときも山崎伸子だった。
フェルマータや休符を交えたおごそかな序奏が開演を彩る。緊迫感や闘争性が見え隠れするアレグロの主部、それに烈しいコーダ(終結部)も私たちを魅了してやまない。短調から長調への転換も鮮やかだ。
エグモントとは、16世紀オランダ独立戦争の際に反体制の烙印を押され、処刑された民衆派のラモラール・ファン・エフモント伯(1522~1568)のこと。この実在の貴族は、1780年代後半に、文豪ゲーテ(1749~1832)の戯曲「エグモント伯爵」によって知られるようになる。
かねてからこの戯曲に関心を寄せていたウィーンの宮廷劇場を管轄する貴族ヨーゼフ・ハルトルなる人物は、当地に駐留していたナポレオン軍が撤退を始めた1809年夏、ベートーヴェンに劇付随音楽「エグモント」の作曲を依頼する。
自由と正義のために暴政と闘ったフランドルの悲劇の英雄「ラモラール・フォン・エフモント伯」。彼の生き様を描いたゲーテの戯曲が、時代も次代も切り拓くベートーヴェンの創作心を鼓舞したことは想像に難くない。
結果、序曲を含む都合10曲の劇付随音楽が創られる。ヒロインのクレールヒェン(ソプラノ)が歌う「リート」や「幕間の転換音楽」「メロドラマ」、それに終曲「勝利のシンフォニア」などだが、実は有名な序曲のコーダは、その「勝利のシンフォニア」を予告する音楽なのだ。
フェルマータや休符を交えたおごそかな序奏が開演を彩る。緊迫感や闘争性が見え隠れするアレグロの主部、それに烈しいコーダ(終結部)も私たちを魅了してやまない。短調から長調への転換も鮮やかだ。
エグモントとは、16世紀オランダ独立戦争の際に反体制の烙印を押され、処刑された民衆派のラモラール・ファン・エフモント伯(1522~1568)のこと。この実在の貴族は、1780年代後半に、文豪ゲーテ(1749~1832)の戯曲「エグモント伯爵」によって知られるようになる。
かねてからこの戯曲に関心を寄せていたウィーンの宮廷劇場を管轄する貴族ヨーゼフ・ハルトルなる人物は、当地に駐留していたナポレオン軍が撤退を始めた1809年夏、ベートーヴェンに劇付随音楽「エグモント」の作曲を依頼する。
自由と正義のために暴政と闘ったフランドルの悲劇の英雄「ラモラール・フォン・エフモント伯」。彼の生き様を描いたゲーテの戯曲が、時代も次代も切り拓くベートーヴェンの創作心を鼓舞したことは想像に難くない。
結果、序曲を含む都合10曲の劇付随音楽が創られる。ヒロインのクレールヒェン(ソプラノ)が歌う「リート」や「幕間の転換音楽」「メロドラマ」、それに終曲「勝利のシンフォニア」などだが、実は有名な序曲のコーダは、その「勝利のシンフォニア」を予告する音楽なのだ。
武満 徹(1930~1996)
チェロとオーケストラのためのオリオンとプレアデス
作 曲 1984年
初 演 1984年5月7日パリ、シャンゼリゼ劇場 堤剛のチェロ、尾高忠明指揮東京フィルハーモニー交響楽団(ヨーロッパツアーの一環)
日本初演 1984年6月13日東京文化会館、堤剛、岩城宏之指揮NHK交響楽団(サントリー音楽財団主催作曲家の個展)
今年没後30年、武満徹がチェロとオーケストラのために紡いだ、精妙かつ幻想的な逸品を、演奏家としても教育者としても素晴らしい山崎伸子の独奏、下野竜也指揮仙台フィルの「環」で味わう。
場面によっては、思いのほか動的なチェロ独奏は申すに及ばず、弦楽、オーボエ・ダモーレを含む木管、趣ある金管、多彩な打楽器、それにハープ2台、チェレスタが醸す夢幻の響きにいだかれる。
武満は曲のタイトルとして「水、河、海、雨」そして「夢」「数」を好んだ。「ウォーター・シリーズ」「ドリーム・シリーズ」として彼の音楽を分析、研究する論考も多い。このキーワードに「秋」「樹」「弧(アーク)」「庭」を添えたい方もいらっしゃることだろう。
そしてもうひとつ、いや「水」「夢」以上に愛した美学がある。
「星、星座」だ。
小澤征爾指揮トロント交響楽団、ピアノ高橋悠治の録音により世界に知られるようになった鮮烈な「アステリズム」(星群、1968年)。パーカッショニスト、ツトム・ヤマシタの名と不可分の「カシオペア」(1971年)。そしてチェロとオーケストラのための「オリオンとプレアデス」(1984年)。40年前のサントリーホール開館記念委嘱作としてようやく初演されたオーボエ、トロンボーン、2つのオーケストラ、2人の指揮者のための「ジェモー」(フランス語で双子座)。いずれも独奏楽器とオーケストラのための協奏的作品である。今秋ラトル指揮バイエルン放送響が奏でる「鳥は星形の庭に降りる」(1977年)、さらに「星・島」(1983年)も素敵だ。
武満徹の「星座シリーズ」の逸品「オリオンとプレアデス」は、切れ目なく演奏される3部構成で創られている。作曲者の言葉に耳を傾けよう。
「私の音楽は自然から多くを学んでいる。自然が謙虚に、しかし無類の精確さで指し示すこの宇宙の仕組みに対して、私の音楽は、その不可知の秩序への限りない讃歌なのだ」
※Sony Music武満徹~作曲家の個展~84コンサート・ライヴ盤から抜粋
私論をお許しいただければ、チェロ独奏が夜空に輝く星座を自在に行き交うナヴィゲーター、あるいは語り手と捉えてもいいかも知れない。
タイトルの「と、and」にあたる場面が「オリオン」「プレアデス」と同じように大切で、深淵な宇宙、永遠の星空に想いを寄せた武満がここにいる。なおこの曲、チェロとピアノ版でも愛されている。
場面によっては、思いのほか動的なチェロ独奏は申すに及ばず、弦楽、オーボエ・ダモーレを含む木管、趣ある金管、多彩な打楽器、それにハープ2台、チェレスタが醸す夢幻の響きにいだかれる。
武満は曲のタイトルとして「水、河、海、雨」そして「夢」「数」を好んだ。「ウォーター・シリーズ」「ドリーム・シリーズ」として彼の音楽を分析、研究する論考も多い。このキーワードに「秋」「樹」「弧(アーク)」「庭」を添えたい方もいらっしゃることだろう。
そしてもうひとつ、いや「水」「夢」以上に愛した美学がある。
「星、星座」だ。
小澤征爾指揮トロント交響楽団、ピアノ高橋悠治の録音により世界に知られるようになった鮮烈な「アステリズム」(星群、1968年)。パーカッショニスト、ツトム・ヤマシタの名と不可分の「カシオペア」(1971年)。そしてチェロとオーケストラのための「オリオンとプレアデス」(1984年)。40年前のサントリーホール開館記念委嘱作としてようやく初演されたオーボエ、トロンボーン、2つのオーケストラ、2人の指揮者のための「ジェモー」(フランス語で双子座)。いずれも独奏楽器とオーケストラのための協奏的作品である。今秋ラトル指揮バイエルン放送響が奏でる「鳥は星形の庭に降りる」(1977年)、さらに「星・島」(1983年)も素敵だ。
武満徹の「星座シリーズ」の逸品「オリオンとプレアデス」は、切れ目なく演奏される3部構成で創られている。作曲者の言葉に耳を傾けよう。
「私の音楽は自然から多くを学んでいる。自然が謙虚に、しかし無類の精確さで指し示すこの宇宙の仕組みに対して、私の音楽は、その不可知の秩序への限りない讃歌なのだ」
※Sony Music武満徹~作曲家の個展~84コンサート・ライヴ盤から抜粋
私論をお許しいただければ、チェロ独奏が夜空に輝く星座を自在に行き交うナヴィゲーター、あるいは語り手と捉えてもいいかも知れない。
タイトルの「と、and」にあたる場面が「オリオン」「プレアデス」と同じように大切で、深淵な宇宙、永遠の星空に想いを寄せた武満がここにいる。なおこの曲、チェロとピアノ版でも愛されている。
第1部 オリオン Orion(三つ星で有名なオリオン座のオリオン、ギリシャ神話の狩人から採られた名)
レント、クアジ・ウナ・ファンタジア
第2部 と and
インテルメッツォ
第3部 プレアデス Pleiades(おうし座の散開星団すばる、ギリシャ神話7人姉妹から)
アレグレット
ベートーヴェン(1770~1827)
序曲「コリオラン」 作品62
作 曲 1807年
初 演 1807年3月ウィーン、ロプコヴィツ邸
アレグロ・コン・ブリオ(活き活きとしたアレグロ)、ハ短調で書かれたドラマティックな序曲を聴く。この作曲家の音楽は、五線譜に♭記号3つの変ホ長調およびハ短調の時、いつも特別だ。宿命の調性と言っていい。「コリオラン」はハ短調。この序曲、交響曲第5番ハ短調作品67通称「運命」と創作時期も近い。
1802年の晩秋、ベートーヴェンが31、2歳の頃、ウィーンの宮廷劇場では、古代ローマ共和国の悲劇の英雄コリオラヌス(ローマの敵コリオリを攻め落としたマルキウス)を題材としたお芝居「コリオラン」が人気を博していた。台本を書いたのは、ウィーンの劇作家で宮廷秘書官でもあったハインリヒ・フォン・コリン(1771~1811)なる人物。「コリオラン」はコリオラヌスのドイツ語読みである。コリンが創った劇「コリオラン」。ちょっとややこしい。
音楽を伴わない劇だったが、ベートーヴェンは舞台の評判を耳にし、あるいは実際に劇場に足を運び、オーケストラ序曲の作曲を思いつく。そして1807年3月に、パトロンのロプコヴィツ邸で私的に披露。感銘を受けたコリンは翌月からこの序曲を付けた舞台上演を行なったとの説と、劇上演時には演奏されなかったとの説がある。
フォルティッシモで響く弦楽器のユニゾンを断ち切る冒頭の楽想から創造のエネルギーに満ち溢れ、ゲネラルパウゼ(全休止)の効果も絶大だ。第1ヴァイオリンが導く美しい第2主題はコリオランの母または妻の描写だろうか。
曲は、ベートーヴェンならではの緊密なコーダ(終結部)を経て、最終的にはローマを追放される英雄コリオランの無念を象徴するかのようなハ音のピッツィカートで閉じられる。
1802年の晩秋、ベートーヴェンが31、2歳の頃、ウィーンの宮廷劇場では、古代ローマ共和国の悲劇の英雄コリオラヌス(ローマの敵コリオリを攻め落としたマルキウス)を題材としたお芝居「コリオラン」が人気を博していた。台本を書いたのは、ウィーンの劇作家で宮廷秘書官でもあったハインリヒ・フォン・コリン(1771~1811)なる人物。「コリオラン」はコリオラヌスのドイツ語読みである。コリンが創った劇「コリオラン」。ちょっとややこしい。
音楽を伴わない劇だったが、ベートーヴェンは舞台の評判を耳にし、あるいは実際に劇場に足を運び、オーケストラ序曲の作曲を思いつく。そして1807年3月に、パトロンのロプコヴィツ邸で私的に披露。感銘を受けたコリンは翌月からこの序曲を付けた舞台上演を行なったとの説と、劇上演時には演奏されなかったとの説がある。
フォルティッシモで響く弦楽器のユニゾンを断ち切る冒頭の楽想から創造のエネルギーに満ち溢れ、ゲネラルパウゼ(全休止)の効果も絶大だ。第1ヴァイオリンが導く美しい第2主題はコリオランの母または妻の描写だろうか。
曲は、ベートーヴェンならではの緊密なコーダ(終結部)を経て、最終的にはローマを追放される英雄コリオランの無念を象徴するかのようなハ音のピッツィカートで閉じられる。
ヒンデミット(1895~1963)
交響曲「画家マティス」
作 曲 1933年~1934年
初 演 1934年3月12日ベルリン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 日本初演 1936年6月24日日比谷公会堂、齋藤秀雄指揮新交響楽団(現在のNHK交響楽団)
20世紀ドイツ音楽界の才人パウル・ヒンデミットの佳品がプログラムを締めくくる。同名のオペラ(台本も本人)に先立って書かれ、1934年3月に初演された3楽章の交響曲である。
タイトルの「マティス」は、ヒンデミットより26歳年上のフランスの画家アンリ・マティスではなく、15世紀の後半から16世紀にかけて活躍したドイツの画家マティアス・グリューネヴァルト(本名マティス・ゴットハルト・ナイトハルト 1470~1528)のこと。
そのグリューネヴァルトが、独仏の歴史と文化が交わるアルザス地方イーゼンハイム修道院のために書いた代表作「イーゼンハイムの祭壇画」に魅了されたヒンデミットは、グリューネヴァルトの生涯と16世紀の農民戦争に基づくオペラと、そこから派生した交響曲を書く。盟友の指揮者フルトヴェングラー(1886~1954)のリクエストだった。
交響曲「画家マティス」の初演は、聴衆からも演奏したベルリン・フィルからも賞賛を博す。再演やオペラの上演も決まりかけた。しかしヒンデミットには、作品の本質とは離れたところで、理不尽な「逆風」が吹き始めていた。
彼が作曲した巧緻にして即物的な音楽、表現主義的な烈しい音楽、あるいはメディアや特定の演奏家との関わりをもつ実用音楽、メッセージ性のあるオペラが、政権与党ナチス・ドイツ(1933年1月にアドルフ・ヒトラーが首相に就任)により、民族共同体にそぐわないと見なされ、退廃音楽との烙印を押されてしまうのだ。
かねてからヒンデミットの演奏活動や創作の方向性を快く思っていなかったナチス・ドイツは、フルトヴェングラー指揮ベルリン国立歌劇場での初演が内定していたオペラ「画家マティス」の初演を禁止する通達を出す。ナチス・ドイツの管轄下に置かれていた、かの地の一部新聞も「堕落の担い手」「無調の騒音作曲家」と追い立てた。
これにフルトヴェングラーが抗議する。彼は別の新聞に次の内容を寄稿した。
「ヒンデミットを失うこと、それすなわち、ドイツ音楽の未来を失うことである」と。音楽家はもちろんフルトヴェングラーに賛同したが、いっぽうナチス・ドイツ側も「断固とした措置」を講ずる。「ヒンデミット事件」はこうして始まった。
結局ヒンデミットはベルリンでの公職を追われ、トルコ、スイスを経てアメリカに亡命。第2次大戦後はチューリヒ大学、米コネチカット州ニューヘイブンのイェール大学、ウィーン国立音楽大学で教え、1956年にはウィーン・フィル初来日公演に指揮者として同行した。
第1楽章 「天使の奏楽/合奏」
タイトルの「マティス」は、ヒンデミットより26歳年上のフランスの画家アンリ・マティスではなく、15世紀の後半から16世紀にかけて活躍したドイツの画家マティアス・グリューネヴァルト(本名マティス・ゴットハルト・ナイトハルト 1470~1528)のこと。
そのグリューネヴァルトが、独仏の歴史と文化が交わるアルザス地方イーゼンハイム修道院のために書いた代表作「イーゼンハイムの祭壇画」に魅了されたヒンデミットは、グリューネヴァルトの生涯と16世紀の農民戦争に基づくオペラと、そこから派生した交響曲を書く。盟友の指揮者フルトヴェングラー(1886~1954)のリクエストだった。
交響曲「画家マティス」の初演は、聴衆からも演奏したベルリン・フィルからも賞賛を博す。再演やオペラの上演も決まりかけた。しかしヒンデミットには、作品の本質とは離れたところで、理不尽な「逆風」が吹き始めていた。
彼が作曲した巧緻にして即物的な音楽、表現主義的な烈しい音楽、あるいはメディアや特定の演奏家との関わりをもつ実用音楽、メッセージ性のあるオペラが、政権与党ナチス・ドイツ(1933年1月にアドルフ・ヒトラーが首相に就任)により、民族共同体にそぐわないと見なされ、退廃音楽との烙印を押されてしまうのだ。
かねてからヒンデミットの演奏活動や創作の方向性を快く思っていなかったナチス・ドイツは、フルトヴェングラー指揮ベルリン国立歌劇場での初演が内定していたオペラ「画家マティス」の初演を禁止する通達を出す。ナチス・ドイツの管轄下に置かれていた、かの地の一部新聞も「堕落の担い手」「無調の騒音作曲家」と追い立てた。
これにフルトヴェングラーが抗議する。彼は別の新聞に次の内容を寄稿した。
「ヒンデミットを失うこと、それすなわち、ドイツ音楽の未来を失うことである」と。音楽家はもちろんフルトヴェングラーに賛同したが、いっぽうナチス・ドイツ側も「断固とした措置」を講ずる。「ヒンデミット事件」はこうして始まった。
結局ヒンデミットはベルリンでの公職を追われ、トルコ、スイスを経てアメリカに亡命。第2次大戦後はチューリヒ大学、米コネチカット州ニューヘイブンのイェール大学、ウィーン国立音楽大学で教え、1956年にはウィーン・フィル初来日公演に指揮者として同行した。
第1楽章 「天使の奏楽/合奏」
聖なる三和音が響く。トロンボーンが導く第1主題はドイツ民謡「三人の天使が美しい歌をうたう」に基づく。オペラでは前奏曲にあたる。
第2楽章 「埋葬」
ヒンデミットが「和声的な振動」と呼んだ葬送行進曲ふうのフレーズが舞う。「イーゼンハイムの祭壇画」では、台座部に描かれた「墓に横たわったキリスト」(ピエタ)の部分だろうか。オペラでは最終景第7場への間奏曲にあたる。
第3楽章 「聖アントニウスの誘惑」
画家が観た幻想。祭壇画は地獄絵図だ。オペラでは第6場。音楽は5つの部分から成る。
グレゴリオ聖歌「シオンよ、救い主を讃えよ」が木管楽器によって奏でられた後、金管による「アレルヤ(ハレルヤ)」がホールを満たす。数々の誘惑を振り切った聖アントニウス(画家マティス)は、聖パウロの啓示に導かれ、自らの絵の道を確信したのだった。
グレゴリオ聖歌「シオンよ、救い主を讃えよ」が木管楽器によって奏でられた後、金管による「アレルヤ(ハレルヤ)」がホールを満たす。数々の誘惑を振り切った聖アントニウス(画家マティス)は、聖パウロの啓示に導かれ、自らの絵の道を確信したのだった。
