第389回 定期演奏会 プログラムノート

第389回 定期演奏会 プログラムノート

奥田 佳道(音楽評論家)

伊福部昭(1914~2006)
室内オーケストラのための土俗的三連画

作 曲  1937年
初 演  1939年3月13日または1月13日放送 小船幸次郎指揮日本交響楽団(現NHK交響楽団)
     1943年4月21日日比谷公会堂 ヨーゼフ・ローゼンストック指揮日本交響楽団(現N響)第245回定期公演

 伊福部昭芸術の原点を聴く。1935年に北海道帝国大学農学部を卒業後、林務官として現在の釧路市の東、厚岸町(あっけしちょう)の森林事務所に赴任した伊福部は、過酷な外勤を終えた後、ランプの灯りを頼りにスコアに向かったという。
 オーケストラ曲としては、夜と祭から成る1935年の「日本狂詩曲」に続く2番目の作品だ。大編成の「日本狂詩曲」に対し「土俗的三連画」は、フルート、オーボエ、クラリネット(in B)、ファゴット各1、ホルン2(in F)、トランペット1(in C)、ティンパニ、ピアノ、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの14名編成。原題はTRIPTYQUE ABORIGENE Trois Tableauxで、三連画/3楽章を意味するTRIPTYQUEトリプティクは、ポーランド出身の作曲家でパリを生涯の拠点としたアレクサンデル・タンスマン(1897~1986)の弦楽合奏/四重奏曲「トリプティク」(1930)から受け継がれたか。

第1楽章 「同郷の女達」 Payses Tempo di JIMKUU
JIMKUUとあるが甚句との関連は不明。かの地の女性たちの踊り、リズムの総称として使われたか。
第2楽章 「ティンベ」 TIMBE(nom regional)
ティンベ/チンベは厚岸(あっけし)半島の岬の名前。哀しいアイヌ伝説の地だった。5音音階のひとつで、半音を含む陰旋法(または都節音階、みやこぶし)が使われている。弱音器を付けたホルン2本の響き、調べに抱かれる。
第3楽章 「パッカイ」 Chant d’AINO  
パッカイは、アイヌ語で「おんぶする、背負う」の意味。アイヌの老人たちが酒に酔い、繰り返し歌い踊る様を描いたようである。

ルトスワフスキ(1913~1994)
チェロ協奏曲

作 曲  1970年
初 演  1970年10月14日ロンドン、ロイヤル・フェスティヴァルホール、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチのチェロ、エドワード・ダウンズ指揮ボーンマス交響楽団

 冒頭、独奏チェロが「レ」の音を執拗に繰り返す。長大なカデンツァの始まりで、この部分を含めて作曲者はマーチと呼んだ。
 1950年代中葉にアメリカ作曲界の鬼才ジョン・ケージ(1912~1992)が提唱した美学Aleatoric musicまたはchance music<(管理された)偶然性の音楽>に基づく筆致だろうか。この<偶然性の音楽>なる美学は、1960年代以降ヨーロッパの前衛作曲家たちに──姿、形を変えながら──大きな影響を与えている。

 内に外に烈しいこのチェロ協奏曲に対しては、Controlled chaos<制御された混沌>と記す文献も多い。作曲家の言い尽くせぬ心情を映し出すとともに、自由主義と社会主義が対峙・対立していた、いわゆる東西冷戦時代への警告的なメッセージだろうか。実際「レ」音を交えた冒頭のカデンツァ部は、3本のトランペットにより威嚇、攻撃される。弾圧と解釈する向きも多い。攻撃的な金管群はその後も私たちを驚かせる。弦、打楽器、ピアノによる叫び、悲鳴も聴こえてくる。

 ポーランド、ワルシャワ出身のヴィトルド・ルトスワフスキは、近代フランス音楽、それにストラヴィンスキー、母国の先輩シマノフスキの音楽に導かれながら作曲を志す。しかし憧れのパリ留学が決まったところで第2次世界大戦が勃発。ドイツ占領下のポーランドでは、近年再評価されている作曲家パヌフニクとともにカフェなどで反ナチスドイツのレジスタンス運動に参加するとともに先鋭的な演奏会を開く。第2次大戦後は自由に創作出来るかと思いきや、ソヴィエトの衛星国となったポーランドの社会主義政権下で有形無形の重圧に苦しむ。しかしややあって民俗主義的な要素を織り交ぜたオーケストラ作品、それに無調音楽で国際的な名声を博す。前述ジョン・ケージの音楽理論からも影響を受けた。
 なおルトスワフスキは1980年以降、ピアノのツィメルマン、ヴァイオリンのムター、指揮者スクロヴァチェフスキ、ショルティ、バレンボイム、サロネン、それにシカゴ響やロスアンジェルス・フィルと交歓しつつ、表層的には伝統的な様式に回帰。精妙かつ硬質な響きを紡いだ。
 
 名曲誕生の背景に名手あり。チェロ協奏曲は1970年、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチの作品誕生にも尽くした歴史的なチェリスト、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(1927~2007)の技と音楽性を意識して書かれた。
 ソヴィエト政府から反体制の烙印を押され、ほどなく亡命するロストロポーヴィチと、時の体制に翻弄され続けたルトスワフスキが意気投合したのは、あらゆる意味で必然だった。ルトスワフスキは作曲時、それこそ1ページごとに五線譜をロストロポーヴィチに送り、意見を仰いだという。
 壮絶な音響あり、緊張感を保ったままの叙情、瞑想ありの曲は、伝統的な楽章区分を持たず(4楽章構成と見る向きもある)、切れ目なく続けて演奏される。幾多のドラマを経て最後にチェロが連呼する高い「ラ=La」音も胸をうつ。Lはルトスワフスキ、そしてLiberty自由の頭文字だが、作曲者は何も語っていない。ロストロポーヴィチは「transcendence超越」との見解を示した。
 上野通明は2021年、第75回ジュネーヴ国際音楽コンクールの本選でルトスワフスキの協奏曲を弾き優勝、檜舞台に名乗りを挙げた。高関健、仙台フィルとのステージは、さて。期待は限りない。

チャイコフスキー(1840~1893)
交響曲第4番 へ短調 作品36

作 曲  1877年~1878年1月9日(旧ロシア暦では1877年12月28日)
初 演  1878年2月22日(旧ロシア暦では2月10日)サンクト・ペテルブルク、ニコライ・ルビンシテイン指揮ロシア音楽協会モスクワ支部交響楽演奏会

 三連符を交えた冒頭のファンファーレに胸ときめく。ホルンとファゴットのユニゾンにトロンボーン、テューバが加わり、トランペットと木管群が動機を受け継ぎ、呼び交わす──その重層的な創りにあらためて驚く。
 音楽史上屈指のメロディ・メーカー(旋律作家)といえるチャイコフスキーは、モーツァルト同様、同音反復や音階を巧みに織り込んだ才人である。華やかなファンファーレも実は彫りが深い。このファンファーレが、第4楽章の終盤で壮大に回帰する作劇法も心憎い。 
 チャイコフスキーは、くだんの動機について<これは運命です。交響曲全体の主要な楽想であり、(あのファンファーレは)幸福へ向かおうとする、私たちの熱望を妨げる宿命的な力を表わすのです>と手紙に記した。
 誰に宛てて記したのかと言えば、彼のプログラムノートにたいてい登場するパトロンのナジェジダ・フォン・メック(1831~1894)、通称メック夫人に、である。チャイコフスキーの創造活動を金銭と精神の両面で支えた大富豪の未亡人ナジェジダ・フォン・メック。
 曲が創られた1877年は、そのメック夫人による経済支援が始まった年。社会を見渡せば、ロシア帝国とオスマン帝国による(何度目かの)ロシア=トルコ戦争が勃発した年でもある。

 もうひとつ、1877年はプライヴェートにおいても、何かと揺さぶられた年だった。地主の娘で一時モスクワ音楽院に在籍したアントニーナ・ミリューコヴァ(1849~1917)からの突然の求愛を受け、踏み切った謎の結婚と破たん。心身ともに追い詰められ自殺未遂まで起こしたチャイコフスキーは、その傷を癒すために弟とスイス、イタリアへ旅立つ。
 運河の都ヴェネツィアのホテル、ロンドラ・パレスには“チャイコフスキーが1877年12月に滞在し、交響曲第4番を作曲した”との銘板が掲げられている。
 芸術家のプライヴェートと創作を結びつけてはいけないのだが、チャイコフスキーの場合、1877年は多くの場面で悲喜こもごものドラマを体感したわけで、それが交響曲第4番の構想やドラマティックな展開と関わりを持っていると見る向きは多い。

 メック夫人とチャイコフスキーが「私たちの交響曲」と記した交響曲第4番創作の背景を、もうひとつ記しておきたい。
 作曲の前年1876年、チャイコフスキーは長期にわたってヨーロッパに滞在。後にワーグナー上演の殿堂となる第1回バイロイト音楽祭に出席し「ニーベルングの指環」を鑑賞したほか、フランツ・リスト(1811~1886)と出逢い、意気投合したようである。
 そのリストの音楽観、ワーグナーの長篇楽劇に張り巡らされたライトモティーフ(示導動機)、あるいは9年前にモスクワで会ったベルリオーズの筆致イデ・フィクス(固定楽想)、さらにベートーヴェンの通称「運命」は、さてチャイコフスキーに何かを授けたか。
 楽章欄<>内の言葉は、チャイコフスキーがメック夫人に宛てた手紙から抜粋したものである。

第1楽章 アンダンテ・ソステヌート~モデラート・コン・アニマ(コン・アニマ=心をこめて) 4分の3拍子、8分の9拍子 ヘ短調
ワルツの動きで、と記された第1主題の浮遊感が独特。第2主題は<甘く柔らかい夢。でもその夢はただの夢ではない。運命は残酷。悩ましい現実と幸福な夢との交錯>

第2楽章 アンダンティーノ・イン・モード・ディ・カンツォーナ(歌うような気持ちで) 4分の2拍子 変ロ長調
オーボエ・ソロの魅せ場。弦のピッツィカートは、凍てつくロシアの冬を映し出すかのよう。
<哀愁の表現。甘く哀しい過去を想う楽しさ>

第3楽章 スケルツォ、ピッツィカート・オスティナート、アレグロ(ピッツィカートの反復で) 4分の2拍子 ヘ長調
弦のピッツィカートが主役。木管楽器にも注目が集まる。
<気紛れなアラベスク。とりとめのない空想>。中間部は<酔った農民と軍隊の行進>。

第4楽章 フィナーレ、アレグロ・コン・フオーコ(コン・フオーコ=炎のごとく) 4分の4拍子 ヘ長調
第2主題は、ロシア民謡<野に立つ白樺の木(白樺は野に立てり)に基づく。この民謡、もともとはホロヴォードという群舞に添えられた踊り歌である。
<自分に喜びを見出せないならば、無邪気に乱舞する民衆の中に入っていくがよい。彼らはなんと楽しそうであることか>
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