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第388回 定期演奏会 プログラムノート

奥田 佳道(音楽評論家)

フォーレ(1845~1924)
組曲「ペレアスとメリザンド」 作品80

作 曲  1898年(劇付随音楽として)、1898年~1900年(オーケストラ組曲として)
初 演  1898年6月21日ロンドン、プリンス・オブ・ウェールズ劇場 作曲者自身の指揮 
     (劇付随音楽として)
     1901年2月3日パリ、コンセール・ラムルー カミーユ・シュヴィヤール指揮ラムルー管弦楽団
     (現在とは曲数の異なるオーケストラ組曲として)
     1912年12月1日パリ、アンドレ・メサジェ指揮パリ音楽院管弦楽団
     (4曲構成のオーケストラ組曲として)

 ハープとフルートが紡ぐ、あの舞曲を知らぬ者はいない。
 ベルギー象徴派の詩人で劇作家のモーリス・メーテルランク(メーテルリンク 1862~1949)が1892年にブリュッセルで発表した戯曲「ペレアスとメリザンド」全5幕は、翌1893年5月にパリのブッフ・パリジャン劇場で上演され喝采を博していたが、劇場街をもつロンドンでも上演が待ち望まれていた。戯曲はイングランドの女優らの要望もあり英訳され、その劇付随音楽がロンドンに滞在中だったフランスの叙情派ガブリエル・フォーレに委ねられる。
 しかし1898年春、フォーレは締め切りのある作曲、パリ音楽院での教授活動、マドレーヌ教会でのオルガン演奏で多忙だった。それで急ぎスケッチを仕上げた後、オーケストレーション(管弦楽化)をパリ音楽院の優秀な愛弟子で歌心をもった作曲家のシャルル・ケクラン(1867~1950)に委ねている。ただし指示は与えており、決して人任せにはしていないのが精妙な調べを愛でたフォーレというべきか。
 
 全部で19曲の小品で構成されていた劇付随音楽「ペレアスとメリザンド」を自らの指揮で初演したフォーレはその後、劇の展開とは関係なく、標準的な2管編成(木管楽器各2本、ホルンは4本、ハープ含む)のオーケストラ組曲の作成を思い立つ。
 選ばれたのは、第1幕への「前奏曲」、第3幕でメリザンドが古城の一室で糸を紡ぐ「糸を紡ぐ女」、第5幕への前奏曲「メリザンドの死」の3曲。ややあって声楽を交えた「メリザンドの歌(王の3人の盲目の娘たち)」と例の「シシリエンヌ」が追加され、都合5曲の組曲となったが、オーケストラ公演では「メリザンドの歌」を除いた4曲版での演奏が多い。
 フォーレの名刺曲といえる「シシリエンヌ」は、もともとチェロとピアノのための小品だったが、第2幕、庭園の泉で戯れるペレアスとメリザンドを彩る音楽となり、1909年にオーケストラ組曲に加えられた。
 
 中世の架空の国アルモンドの王子ゴロー、泉のほとりで泣いていたメリザンド(ゴローの妻となる)、ゴローの異父弟ペレアスが織り成す妖艶な神秘劇で、嫉妬もキーワードとなる「ペレアスとメリザンド」から育まれた音楽と言えば、1902年4月にパリ・コミック座で初演されたドビュッシーのオペラも有名だ。昨年10月に尾高忠明指揮仙台フィルが奏でたシベリウスの組曲、それにシェーンベルク若き日の交響詩を思い出す方もいらっしゃることだろう。
 太田弦も「ペレアスとメリザンド」を愛してやまない音楽家である。
 
第1曲「前奏曲」 クアジ・アダージョ ホ短調 4分の3拍子
第2曲「糸を紡ぐ女」 アンデンティーノ・クアジ・アレグレット ト長調 4分の3拍子
第3曲「シシリエンヌ/シチリアーノ(シチリア舞曲)」 アレグレット・モルト・モデラート ト短調 8分の6拍子
第4曲「メリザンドの死」 モルト・アダージョ ニ短調 4分の3拍子

ラヴェル(1875~1937)
ピアノ協奏曲 ト長調

作 曲  1929年~1931年
初 演  1932年11月14日パリ、サル・プレイエル マルグリット・ロンのピアノ、ラヴェル? 指揮
     ラムルー管弦楽団

 拍子木のようなムチ(ウィップ)の響きに導かれ、軽やかなピッコロ、ピアノの分散和音、それにトランペットが早くも見せ場を創る。ピッコロは、ラヴェル芸術の原風景バスク地方の笛の調べだろうか。そしてジャズ、アメリカ演奏旅行(後述)で親しくなったガーシュウィンを意識した響きが舞う。さらに南欧へのオマージュ、あるいは自らの歩みを回顧するかのような調べも聴こえてくる。
 
 1928年1月から4月にかけて行なったアメリカ演奏旅行が成功を収めたことから、ラヴェルは次のツアーの計画をたて、そのメインディッシュとして翌年からピアノ協奏曲に取り組む。しかし完成したのは1931年、ラヴェルこの年56歳。創作に思いのほか歳月を要したわけだが、ラヴェルはその時期、第一次大戦で右腕を失ったウィーンのピアニスト、パウル・ヴィトゲンシュタイン(1887~1961)の依頼による「左手のためのピアノ協奏曲」を優先的に作曲している。
 ちなみに1928年のアメリカ演奏旅行で、ラヴェルはボストン響、シカゴ響、(ニューヨーク・フィルに合併される)ニューヨーク響、クリーヴランド管を指揮したほか、室内楽公演でピアノを弾いている。
 
 「両手のための」ピアノ協奏曲は1932年1月、当時最高峰のフランスのピアニスト、マルグリット・ロン(1874~1966)のソロにより初演、彼女に献呈された。
 全3楽章。オーケストレーション(管弦楽法)の匠ラヴェルならではの巧緻かつ明晰な筆致が身上で、彼が愛したジャズのイディオムも舞う。とくにブルース。音楽の流れに独特の陰影をもたらすブルーノートのスタイルにもご注目を。
 アダージョ・アッサイの第2楽章がまた独創的で、ピアノのたっぷりとしたモノローグを木管群が受け継いだ後、オーボエ属の楽器イングリッシュホルン、フランス語ではコーラングレが摩訶不思議な郷愁を誘う調べを奏でる。コーラングレに寄り添うピアノがまた詩情豊かで素晴らしい。
 
第1楽章 アレグラメンテ ト長調 2分の2拍子
第2楽章 アダージョ・アッサイ ホ長調 4分の3拍子
第3楽章 プレスト ト長調 4分の2拍子

ブルックナー(1824~1896)
交響曲第0番 ニ短調 WAB.100

作 曲  1869年1月24日ウィーン~9月12日リンツ(自筆譜に記載)
初 演  1924年5月17日オーストリア、ウィーン近郊ドナウ河畔クロスターノイブルク
     フランツ・モイスル指揮クロスターノイブルク・フィルハーモニー管弦楽団(第3、第4楽章)
     1924年10月12日クロスターノイブルク 同じ演奏家(全曲)

 低弦によるくっきりした八分音符に導かれ、曲は
始まる。一定のリズムを繰り返すオスティナート?
分散和音? ブラームスの親友でもあった歴史的な
指揮者デッソフは「主題はどこ?」と尋ねたとか。
誤解を恐れずに言えば、小気味いい。
 これが長編交響曲で名高い、あのアントン・ブルックナーなのか。いや、これもブルックナーなのだ。ほどなくヴァイオリンが紡ぐ清らかな調べに、ホルンのフレーズに、チェロの歌心に魅了される。
 
 交響曲第0番とは何ぞや? 第1番よりも前なのか、零(れい)なのかゼロなのか。そもそも第0番という表記が有り得るのか。
 結論を記せば、交響曲第0番ニ短調は、1866年に最初のヴァージョンが創られ1868年に初演された交響曲第1番ハ短調よりも後に最終稿が完成した。では第2番ではないのか。第1番の前に習作といえる交響曲ヘ短調 があるので、3番目の交響曲ではないか、とのお声は別途承る。1960年代にスコアを校訂した著名なブルックナー学者レオポルト・ノヴァーク博士(1904~1991)が、交響曲第0番は第1番よりも前に手がけたとの見解を出したが、それは古い見解になりつつある。
 
 実はブルックナー、当初自筆譜に交響曲第2番と記したが、晩年そのナンバリングを取り消し、ドイツ語で無効、そして「Ø」と書き入れた。無効の表現はいくつかあるが、彼はやや堅い表現Annulliertも用いた。キャンセルの過去分詞である。
 曲はいま、交響曲ニ短調Nullte(ヌルテ)と表記される。ドイツ語でNullは0、Nullteは第0番だが、ここでは0以上に無効、無価値というニュアンスが強い。ではこの交響曲は無価値なのか。もちろんそんなことはない。その証拠にブルックナーはスコアを破棄しなかった。
 
 敬けんなカトリック教徒として神を崇(あが)め、オルガン演奏とりわけ即興の名手だったオーストリア音楽界の孤高の匠ブルックナーが、交響曲創作に本腰を入れるのは40歳台になってからである。このジャンルに関する限り、大器晩成を地で行く人だった。
 故郷に近いドナウ河畔の古都リンツを離れ、ハプスブルクの帝都ウィーンに移り住んだブルックナーは1868年、ウィーン楽友協会附属音楽院(現在の国立音楽演劇大学)の対位法(作曲理論)の教授に迎えられ、オルガンの演奏法や対位法の美学を生かした長篇交響曲を書き始める。
 しかしブルックナーが手がけた交響曲は、古典的な音楽観や交響曲の概念を超越していたために、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団や同フィルゆかりの指揮者、ウィーン楽友協会の要人を戸惑わせることも多かった。
 それで作曲者は改訂という名の旅に出る。指揮者や弟子筋による、ブルックナー愛ゆえの改訂、改ざんもあった。その経緯、背景は実に様々である。第0番の背景が見えてきた。
 この愛すべきシンフォニー、ブルックナーの生前に公開のコンサートで演奏されたことはなかったが、オーケストラが使用するパート譜一式は作成されている。伝統と格式を誇るウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が、定期公演の前に実施していた内輪の“試演会”で全曲か曲の一部を演奏した可能性も指摘されている。
 
 曲完成時、ブルックナー45歳。後の交響曲以上に躍動感、しなやかさが際立ついっぽう、深遠な楽想もコラール(聖歌)風の調べも届けられる。金管楽器の輝かしい響きにも事欠かない。
 第1楽章に3つの主題が存在するのもいつものブルックナーだ。祈りの情趣に満ちた第2楽章、音符の粒子が鮮やかに舞うかのような第3楽章スケルツォ、味わい深い導入部からまぶしいコーダ(終結部)まですべてがドラマといっても過言ではない第4楽章から成る。交響曲第3番ニ短調に通じる響きも聴こえてくる。
 大局的に眺めれば、曲はニ短調からニ長調へ劇的に展開する。そこにベートーヴェンの交響曲第9番の存在を感じる歴史家も多い。
 
第1楽章 アレグロ ニ短調 4分の4拍子
第2楽章 アンダンテ 変ロ長調 4分の4拍子
第3楽章 スケルツォ、プレスト トリオ(中間部)ドイツ語で、よりゆっくりと、より穏やかに ト短調~ト長調 4分の3拍子
第4楽章 フィナーレ、モデラート~アレグロ・ヴィヴァーチェ ニ短調~ニ長調 8分の12拍子

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