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第386回 定期演奏会 プログラムノート

奥田 佳道(音楽評論家)

ラヴェル(1875~1937)
組曲「マ・メール・ロワ」

作 曲  1908年~1910年(ピアノ連弾版)、1911年(オーケストラ組曲並びにバレエ版)
初 演  1910年4月20日パリ、サル・ガヴォー(ピアノ連弾曲版)
     1912年1月28日パリ、テアトル・デザール(バレエ版)
     1912年8月ロンドン、プロムナードコンサート(オーケストラ組曲版)

 シンプルな創りが醸す音彩のうつろいに魅了される。そこはかとなく漂う異国情緒も夢幻の境地もキーワードとなる。フィナーレは壮麗でオーケストラがまさに光り輝く。究極のメルヘンが開演をことほぐ。
 子供の世界を愛した才人モーリス・ラヴェルの傑作のひとつが「マ・メール・ロワ」で、オリジナルのピアノ連弾曲のほか、オーケストラ組曲、バレエ音楽も愛されている。
 曲は、ラヴェルの友人ゴデブスキ夫妻の子どもたち──ミミ・ゴデブスキとジャン・ゴデブスキへのプレゼントとして創られた。
 タイトルの「マ・メール・ロワ」は、17世紀から18世紀のフランスの作家シャルル・ペロー(1628~1703)の童話集「ガチョウおばさんの話(マ・メール・ロワ)」から採られた。これ、英語だとマザー・グースである。
 創作に際し、ラヴェルはペローの童話集のほか、やはり17世紀のドーノワ伯爵夫人マリー・カトリーヌ、ならびにボーモン夫人ジャンヌ=マリー・ルプランスの著作から5つのメルヘンを選び出す。1908年のことだ。
 5曲から成るピアノ連弾曲「マ・メール・ロワ」は1910年4月、パリ・サル・ガヴォーにおける独立音楽協会の公演で、名ピアニストにして名教師だったマルグリット・ロンの教え子たちにより初演された。ラヴェルは、曲を献呈したゴデブスキの小さな子どもたち──ミミとジャンに弾いて欲しかったようだが、さすがにそれは無理な相談で、彼らより少し年上の10代前半の「ピアニスト」によってお披露目されたようである。
 1911年、ラヴェルはこの愛すべきピアノ連弾曲をオーケストラ組曲に編曲。その後パリのテアトル・デザール(芸術劇場)支配人ルーシェの依頼で曲を追加、曲順も入れ替えてバレエ音楽を完成させた。その際台本も書いている。
 ピアノ連弾曲ならびにオーケストラ組曲は次の5曲から成る。
 
第1曲「眠りの森の美女のパヴァーヌ」 ゆったりと
第2曲「親指小僧(一寸法師)」 とても、ほどよい速度で
第3曲「パゴダの女王レドロネット」 行進曲のテンポで
 ※ここでのパゴダとは、仏塔ではなく、首を振る中国製の陶磁器人形のこと
第4曲「美女と野獣の対話」 ほどよいワルツのテンポで
第5曲「妖精の園」 ゆっくりと重々しく

ラヴェル(1875~1937)
歌曲集「シェエラザード」

作 曲  1903年
初 演  1904年5月17日パリ、ヌーヴォー・テアトル、ジャンヌ・アットのソロ、
     アルフレッド・コルトー指揮国民音楽協会コンサート

 東方への憧れの眼差し、それに妖艶な官能性が私たちをとらえて離さない。。テーマは夢想。時空を超えた「異国」を愛でた音の匠ラヴェルは、1912年に発表したバレエ音楽「ダフニスとクロエ」で古代ギリシャ、ロンゴス(生没年不詳)による「恋愛劇/小説」を舞台音楽化したが、そのずっと前からイスラム説話集「アラビアンナイト」(千夜一夜物語)の音楽化を考えていた。古代ギリシャよりも、さらに「東」に関心を抱いていたのだ。
 自伝でも、幼少の頃から東洋が私を魅了した、と述べている。オリエントへの憧れを明らかにしたゲーテの「西東詩集」(West-östlicher Divanヴェスト‐エストリッヒャー・ディヴァン 1819年刊)ではないが、中欧西欧の芸術家はいつの時代も「南」か「東」をそれぞれの流儀で描きたくなるのだ。
 それでラヴェルは1890年代に「アラビアンナイト」に基づくオペラを構想する。しかしオペラ化は断念。1898年におとぎの国への序曲「シェエラザード」のみが創られ、翌1899年5月に自身の指揮で初演されるも、この序曲は酷評の憂き目に遭う。曲が蘇るのは何と1970年代前半になってからだ。
 オペラ化を諦めたラヴェルだったが、1903年に友人の詩人トリスタン・クリングゾル(レオン・ルクレア、1874~1966)の詩集から、音楽化が困難とされた長短まちまちの3篇を選び、連作歌曲集を創った。これが独唱を交えた交響詩とみなす解釈もある「シェエラザード」だが、この歌曲集は「アラビアンナイト」から自由な霊感を受けて書かれたクリングゾルの詩に付けられた音楽である。

第1曲「アジア」
 アジア、アジア、アジアよ。昔の話に出てくる不思議な国に私は出かけたい。ダマスカス、ペルシャの街を見てみたい。ペルシャ人、インド人、中国人を見てみたい…。
第2曲「魔法の笛」
 優しく注ぐ日陰のなかで、私の主人は眠っている。でも私は起きていて、笛の音に耳をすませている。吹いているのは私の愛しい恋人…。
第3曲「つれない人」
 見知らぬ異国の人よ、あなたの目は乙女のように優しく、顔の曲線も魅力的だ。あなたの唇が、我が家の扉で歌っている。調子外れの音楽のような、私の知らない素敵な言葉で。どうぞ入って。私のお酒で力をつけて。でもあなたは行ってしまう…。

シューマン(1810~1856)
交響曲第2番 ハ長調 作品61

作 曲  1845年12月、1846年10月 改訂 1847年10月
初 演  1846年11月5日ライプツィヒ・ゲヴァントハウス会館
     メンデルスゾーン指揮ゲヴァントハウス管弦楽団

 信号音のように響くトランペットからドラマが始まる。
 聴こえてくるのは、ウィーン古典派の交響曲や劇音楽に通じる穏やかな序奏だが、背景の弦楽は半音階を交え、どこか不安げである。ほどなく音楽はアレグロ・ノン・トロッポで駆け出す。
 その音楽も生き様も19世紀ドイツ・ロマン派の化身といえるロベルト・シューマンは、オーケストラの各楽器をオーケストレーション(管弦楽法)のセオリー以上に重ね合わせて独自の多層的音彩を創ったかと思えば、鍵盤芸術や歌の調べ、詩の韻から派生したと思われるパッセージも愛した人である。
 交響曲第2番は、彼がこまめにつけていた家計簿/日記によれば、1845年12月12日にドレスデンで書き始められた。「交響曲の楽想像」(を得た)と記されている。シューマンこのとき35歳。前年までザクセン(州)の商都ライプツィヒで創作や指導に勤しんでいたが、この悩める天才は静かな環境を求めていたのか、同じザクセンの古都ドレスデンに移っていたのだった。かの地でピアノ協奏曲イ短調作品54が完成している。
 シューマンは交響曲第2番の創作と呼応するかのように、親友メンデルスゾーンに次のような手紙を書いている。
「数日来、私の頭のなかで、ずっと太鼓(ティンパニ)とハ調のトランペットが鳴っています。ここから何が生まれるのでしょうか」
 いっぽうシューマンと言えば、1839年にウィーン楽友協会の司書から筆写譜を譲り受けたシューベルトの交響曲第8番ハ長調通称「ザ・グレート」に、誰よりも想い入れがある。メンデルスゾーン指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団による「ザ・グレート」の歴史的蘇演(1839年3月21日)には立ち会えなかったが、ややあって聴く機会に恵まれ、美しい言葉で感想もつづった。そして何と交響曲第2番の創作が始まろうかという1845年12月にも、ドレスデンで「ザ・グレート」を耳にしている。芸術の理想郷を示す晴朗なハ長調で交響曲を書くことは、シューマンにとって芸術的な必然にしてひとつの帰結だった。
 しかし、かねてから患っていた幻聴に悩まされ、完成までには思いのほか歳月を要する。自身の「春」をも映し出す交響曲第1番変ロ長調(1841年3月31日にメンデルスゾーン指揮ゲヴァントハウス管弦楽団が初演、後に改訂)のように一気呵成に書くわけにはいかなかった。
 スケッチは1845年12月下旬に書き終えたようだが、体調不良や芸術上の葛藤もあり、オーケストレーションは見送られる。曲がいちおう完成したのは、それから10か月後の1846年10月で、同年11月5日にメンデルスゾーン指揮ゲヴァントハウス管弦楽団により初演され、再演後に出版の話が進む。その過程でトロンボーンが添えられるなど改訂が施された。幻聴を克服し、シューマンが好んだ言葉で言えば、ついにheiter(ハイター)な──明るく晴朗な交響曲が誕生したのだ。
 以上のような創作の経緯や楽想から、19世紀中葉以降のドイツ語圏では、ベートーヴェンの通称「運命」や“第9”との関連で語られることも多かった。自身が置かれた過酷な状況(苦悩)を克服し、歓喜、勝利に至るベートーヴェン的な方法論で創られた交響曲と見なされたわけだが、ウィーン古典派の流儀を遵守しつつ魔境的な調べを紡いだシューマンは、そうした声を否定しなかったようである。
 実際、鍵盤芸術から派生したかのようなアレグロ・ヴィヴァーチェの第2楽章に、ベートーヴェンからの好ましい影響が見て取れる。2つのトリオ(中間部)を挟んだ5部構成のスケルツォ。交響曲第4番、第6番「田園」、第7番から受け継いだ筆致だろう。ベートーヴェンのスケルツォは同じトリオを2回繰り返すスタイルとはいえ、関係性は明らかである。
 内なる尽きせぬ音楽への想いがついに溢れ出たのがアダージョの第3楽章で、あの胸をうつ跳躍音型はバッハの「音楽の捧げもの」トリオ・ソナタ ハ短調から採られた。
 巧緻な筆致と推進性をあわせもつ第4楽章も素晴らしい。終盤には、ベートーヴェンの連作歌曲集「はるかな恋人に」の終曲<(お別れに)この歌を聴いて、愛する君のために歌ったこの歌を>の主題がさりげなく舞う。妻クララへの想いだろうか。
 偉大な先人たちの様式を受け継ぎつつ、有機的な管弦楽法に自信を深めた交響曲作家シューマンがここにいる。逸品だ。
 
第1楽章 ソステヌート・アッサイ~アレグロ・マ・ノン・トロッポ ハ長調 序奏:4分の6拍子、主部:4分の3拍子
第2楽章 スケルツォ、アレグロ・ヴィヴァーチェ ハ長調 4分の2拍子
第3楽章 アダージョ・エスプレッシーヴォ ハ短調 4分の2拍子
第4楽章 アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ ハ長調 2分の2拍子

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