本文へ移動

第386回 定期演奏会 プログラムノート

奥田 佳道(音楽評論家)

モーツァルト(1756~1791)
交響曲第1番 変ホ長調 K.16

作  曲  1764年12月~1765年1月ロンドン?
初  演  1765年2月21日ロンドン、ヘイマーケット劇場?

 ハ短調の第2楽章が始まってほどなく、ホルンがミ♭・ファ・ラ♭・ソの4音を奏でる。モーツァルトは、グレゴリオ聖歌の調べに基づくこの4音動機(ド・レ・ファ・ミに相当)をこよなく愛し、器楽、室内楽、交響曲、宗教曲のここぞという場面に織り込んだ。交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」の第4楽章を彩ったことから「ジュピター・モティーフ」とも呼ばれる動機だ。
 神に愛されたモーツァルトが、厳格な音楽家だった父レオポルト(1719~1787)の指導を仰ぎながら8歳のときに創った変ホ長調の交響曲を聴く。モーツァルトは旅先のロンドンで、大バッハの末の息子ヨハン・クリスティアン・バッハ(1735~1782)の流儀から多くを授かった。第1番とされるが、最初に創られた交響曲とは限らない。

第1楽章
 モルト・アレグロ 変ホ長調 4分の4拍子
第2楽章 アンダンテ ハ短調 4分の2拍子
第3楽章 プレスト 変ホ長調 8分の3拍子

モーツァルト(1756~1791)
オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットと管弦楽のための協奏交響曲
変ホ長調 K.297b

作  曲  1778年4月パリ
初  演  不明

 愉悦の楽の音がホールを満たす。協奏交響曲と訳されるSinfonia concertanteシンフォニア・コンチェルタンテは、バロック時代のコンチェルト・グロッソ(合奏協奏曲)の流れをくむ華やかさ、親しみやすさが身上で、腕自慢の演奏家やプロ級の腕前を誇った貴族、商人が行き交った18世紀中葉のパリ、そして優れたオーケストラを擁していたドイツのマンハイムで持て囃されたジャンルである。複数のソロ楽器の妙技が愉しめる上、祝祭的だ。

 4人の管楽器奏者のために書かれた協奏交響曲も、当時のパリ音楽界の趣味を映し出す晴れやかな佳品とストレートに記したいところだが、少々ミステリアスなお話をしなければならない。
 曲は、優れた演奏水準を誇ったパリの演奏団体<コンセール・スピリチュエル>の監督で声楽家、作曲家でもあったジョゼフ・ルグロ(ル・グロ 1739~1793)の求めに応じ「フルート、オーボエ、ホルン、ファゴット」のソロとオーケストラのために書かれた。
 故郷ザルツブルクの父レオポルトに宛てた手紙に次の一節が出てくる。
「フルートのヴェンドリング、オーボエのラム、ヴァルトホルンのプント、ファゴットのリッターのために協奏交響曲をひとつ作曲するところです」(1778年4月5日付)。
 しかしどういう訳か写譜(清書)されず、正式に演奏されることもなかった。モーツァルトはライヴァル音楽家による陰謀、妨害説をほのめかしているが、さてどうだろうか。
 自筆譜は委嘱したルグロの手に渡ったまま、行方不明となってしまった。モーツァルトはザルツブルクに帰郷後、記憶を頼りに書き直そうとした──そしてそれは彼にとって難しいことではなかった──と思われるが、新たに作曲されることはなかった。ルグロの依頼で、2管編成による交響曲第31番ニ長調K.297「パリ」は書いているのだが。

 それから84年の歳月が流れ、1862年に刊行されたケッヘル目録※の初版は「フルート、オーボエ、ホルン、ファゴットのための協奏交響曲」を失われた作品として記載した。
 ※ケッヘル目録 オーストリアの法学者・博物学者・音楽学者ルートヴィヒ・フォン・ケッヘルLutwig von Köchel(1800~1877)が作成した「モーツァルト全作品の時系列(年代順)主題別目録」のこと。この目録はケッヘル没後も改訂されている。最新版は2024年に刊行。真偽がはっきりしない断片や消失作をカウントしK.721まであって驚くが、その話はまた別の機会に。

 協奏交響曲に戻せば、失われたと思われていた同曲の「筆写譜」が、1869年、ドイツの音楽学者で伝記作家でもあるオットー・ヤーン(1813~1869)の遺品から発見される。ただしソロ楽器は「オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴット」だった。フルートがクラリネットに変わっていたのである。
 19世紀から20世紀への世紀転換期の音楽学は、ヤーンの遺品に埋もれていた筆写譜を一応モーツァルト作または編曲と認定。1937年のケッヘル目録第3版でK.297bが与えられ、この表記で知られるようになる。いまは偽作扱いだが、音楽家の同曲への愛は変わらない。
 そうした経緯とは別に、1970年代半ばにアメリカの鍵盤楽器奏者で指揮者、音楽学者でもあるロバート・レヴィン(1947~)らが、統計学などを交えて従来の楽譜を解析し新たな校訂譜を作成する。ソロとオーケストラのパート双方を「元の形に近づけた」レヴィン版の誕生で、そのスコアを用いた演奏、録音も存在する。
 今回は伝統的な出版譜による演奏だ。仙台フィルの名手「響宴」に拍手を。

第1楽章 アレグロ 変ホ長調 4分の4拍子
第2楽章 アダージョ 変ホ長調 4分の4拍子
第3楽章 アンダンティーノ・コン・ヴァリアツィオーニ 変ホ長調 4分の2拍子 主題と10の変奏

シューベルト(1797~1828)
交響曲第8番 ハ長調 D.944「ザ・グレート」

作  曲  1825~1826年
公開初演  1839年3月21日ライプツィヒ・ゲヴァントハウス会館にて
      メンデルスゾーン指揮ゲヴァントハウス管弦楽団

 19世紀ドイツ・オーストリアの調べに一家言ある名匠ユベール・スダーンと仙台フィルハーモニー管弦楽団の交歓にいだかれる。シューベルト交響曲芸術の昇華を聴く。
 湧き出る歌心、移ろいゆく音彩は申すに及ばず、執拗な(失礼)繰り返しの美学、大胆この上ない転調も私たちを魅了してやまない。
 曲の規模からして、まさに独Die Grosse Sinfonie(大交響曲)、英The Greatで、第4楽章には、創作開始の前年1824年5月にウィーンのケルントナートーア劇場で初演されたベートーヴェン(1770~1827)の交響曲第9番の歓喜の主題もこだまする。シューベルトは1824年春、友人への手紙で、差し迫ったベートーヴェンの第9初演に言及しつつ、新たな交響曲創作への意欲をにじませている。
 管弦楽法では、ホルン、トロンボーンの筆致に注目したい。交響曲第7番ロ短調「未完成」同様、トロンボーンを第1楽章から響かせた。このローブラスの活用に関する限り、27歳年上のベートーヴェン、36歳年下のブラームス以上に積極的だ。

 創作、初演の背景にドラマあり。この壮大な交響曲は、シューベルトの三つ上の兄フェルディナント(1794~1859)のもとを訪ねたロベルト・シューマン(1810~1856)によって総譜が発見され、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の楽長メンデルスゾーン(1809~1847)の指揮で1839年春に初演された、と解説される。
 現在第8番と表記される、この「大」ハ長調交響曲は1839年3月21日、メンデルスゾーン指揮ゲヴァントハウス管弦楽団の1838年/1839年シーズンの第20回定期公演の1曲目に公開初演された。これは史実である。
 しかし、シューベルトが幹部役員として関わっていたウィーン楽友協会の文献やウィーン界隈の研究者によれば、上記の経緯は変わって来る。
 生粋のウィーンっ子で希代の「歌人」でもあったシューベルトが1826年暮れ、楽友協会に宛てた文面を抜粋でご紹介する。
「わたくしは、芸術の追求を、あらゆる方面から支えておられるウィーン楽友協会の崇高な理念に感銘を受けております。
 ひとりのオーストリア人作曲家として、わたくしは自作の交響曲(ザ・グレート)を皆さまに献呈するとともに、この作品にいつまでも皆さまのご加護があることを願っています」

 主に1825年夏にオーストリア、ザルツカンマーグート(湖水地方)の景勝地や温泉保養地で作曲され、愛するウィーン楽友協会に捧げられた交響曲第8番ハ長調「ザ・グレート」は、しかし、ただちに全容を表わすことはなかった。
 楽友協会内の“オーケストラの練習”と称されていた試演会で一部が演奏された後、同協会主催の演奏会にはそぐわない、協会が理念として掲げていた教育や啓蒙にはふさわしくない作品と判断されたのだろう。自筆譜はなんと放置されてしまう。楽友協会ゆかりのコピースト(自筆譜を清書する職人)による浄書筆写譜、並びにパート譜は作成された。

 この交響曲を「発見」したシューマンに戻る。作曲家、評論家として名を挙げたいと考えていた彼は、1838年10月から1839年4月にかけて、ベートーヴェンの交響曲第7番が初演されたウィーン大学講堂の近くに住む。ウィーンでの楽譜出版やジャーナル発行に意欲を示していたのだ。愛するクララ・ヴィーク(恩師令嬢)との対面を彼女の父親に禁止されたことで、ライプツィヒを離れざるを得なかったというプライヴェート上の理由もあった。
 シューマンは、シューベルトの兄フェルディナントのもとを訪ねるとともに、ウィーン楽友協会の幹部と交友。同協会のアルヒーフ(古文書資料室)に10年以上放置されていた「ザ・グレート」の自筆譜を研究する機会に恵まれた。
 その後、入手した筆写譜を盟友のメンデルスゾーンに送る──ウィーン楽友協会資料室の前室長オットー・ビーバ博士らによれば、これが史実(もしくは楽友協会の見解)となる。

 エピソードは別として、この長篇交響曲に価値を見出し、1839年暮れか1840年春にメンデルスゾーン指揮による再演を味わったドイツ・ロマン派の化身シューマンの言葉が示唆に富む。
「すべての楽器が人の声になっています。熟達の作曲技法に加えて、音楽のすべての組織の中に命が宿っているのです。
 最高に精妙な味わいの色彩があり、すべてのパートに意味があります。最後には、真にロマン的な気分が降り注ぎます。
 そして、どうしても言っておきたいのは、この交響曲の天国的な長さ(himmlische Länge der Symphonie、英heavenly length)のことです」。

第1楽章 アンダンテ~アレグロ・マ・ノン・トロッポ ハ長調 2分の2拍子
第2楽章 アンダンテ・コン・モート イ短調 4分の2拍子
第3楽章 スケルツォ、アレグロ・ヴィヴァーチェ ハ長調、トリオ(中間部)はイ長調 4分の3拍子
第4楽章 フィナーレ、アレグロ・ヴィヴァーチェ ハ長調 4分の2拍子

TOPへ戻る