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第382回 定期演奏会 プログラムノート

奥田 佳道(音楽評論家)

カバレフスキー(1904~1987)
組曲「道化師」 作品26

作 曲  1938年または1939年
初 演  1940年レニングラード(現在のサンクト・ペテルブルク)

 小気味いい調べが開演をことほぐ。管弦打楽器が醸す鮮やかな音彩、疾走、「響宴」に胸ときめく。親しみやく機知に富んだ楽想がホールを舞う。この曲、欧米での題はThe Comedians、Les Comediens 、Die Komödiantenだ。
 サンクト・ペテルブルクの学術一家(数学者の家庭)に生れたドミトリー・カバレフスキーは、少年の頃からピアノが上手く、サイレント(無声)映画の劇場でよく弾いていたという。そして1925年、21歳の年にモスクワ音楽院に入学。交響曲作家として名高いニコライ・ミャスコフスキー(1881~1950)に師事した。
 モスクワ音楽院では、芸術の大衆化を目指した「学生作曲家創造組合」通称Prokollプロコルに所属した。学生作曲家たちの本音や心情はともかく、プロコルはソヴィエト政府の「ご意向」を具現化するサークル。実は何を意味、表現したいのかよく分かっていない「音楽における社会主義リアリズム」を推進する機関のひとつだった。
 結果として、カバレフスキーは児童や大衆を対象とした教育・啓蒙的なピアノ曲、親しみやすい劇音楽、表情豊かな協奏曲、体制を讃えるカンタータやオペラで頭角を現す。
 24のこどものためのやさしい小品集、あるいはピアノのための組曲「道化師」に収められた小品を、発表会で弾いた、聴いたという方もいらっしゃることだろう。ピエロ、トッカティーナ、騎士、ワルツのように、吹雪、スケルツォが人気だったか。いや定番はソナチネ第1番だったという声も聞こえてくる。カバレフスキーは1963年、東京で開催された第5回国際音楽教育会議(ISME)に招かれ、NHK交響楽団の指揮台にも立った。

 そんなカバレフスキーが1938年か1939年に、モスクワ中央児童劇場の児童劇「発明家と道化役者」のために創った全16曲の劇付随音楽からドラマが始まる。彼は劇音楽から10曲を厳選、改訂を施す。シロフォン(木琴)ほか打楽器セクションの活躍も際立つオーケストラ組曲はこうして誕生した。
 第2曲ギャロップは、古き良き時代の運動会や体育祭のBGMランキングで不動の1位を誇った名曲である。

第1曲 プロローグ
第2曲 ギャロップ
第3曲 行進曲
第4曲 ワルツ
第5曲 パントマイム
第6曲 間奏曲
第7曲 小さな叙情的なシーン
第8曲 ガヴォット
第9曲 スケルツォ
第10曲 エピローグ

カプースチン(1937~2020)
ピアノ協奏曲第2番 作品14

作 曲  1972年
初 演  1980年モスクワ、モスクワ音楽院大ホール、作曲者自身のピアノ、ボリス・カラムイシェフ指揮

 ブラスセクションの上行する4音に導かれ、ピアノがジャジーに駆け出す。スコアに記されたテンポは二分音符120、アレグロ・モルト。さあ進むべき道は決まった──そんなポップなオープニングから興奮を誘うフィナーレまで、見どころ、聴きどころは尽きない。
 冒頭、そして第1楽章で弦楽が何度も奏でる下降フレーズは、もちろんビッグバンド風で粋だが、ショスタコーヴィチが晩年のチェロ協奏曲第2番の第2・第3楽章に織り込んだオデーサ/オデッサの民謡「ブーブリキ(揚げパン)の歌/ブーブリキを買ってね」の調べに、どこかで通じているかのよう。ウクライナ出身のカプースチンが、オデーサ湾岸に伝わる“揚げパン売り”の古謡を意識したとしても不思議ではない。

 角野隼斗は昨年8月、サントリーホールでの東京交響楽団<オール・カプースチン・スペシャルナイト>でサクソフォーンの上野耕平とともに主役を演じ、プログラムの最後にこのコンチェルトを弾いた。
 ニコライ・カプースチン。1937年ウクライナ(当時は旧ソヴィエト連邦の構成国のひとつ)のドネツィク/ドネツク州に生れ、2020年夏にモスクワで亡くなったピアニスト、作曲家である。
 日本では1999年頃からピアニストの川上昌裕が弾くようになり、彼の尽力で、それまでヴェールに包まれていたカプースチンの演奏家像、作曲家像も浮き彫りになった。近年は辻井伸行、角野隼斗のステージや動画でもおなじみだ。
 モスクワ音楽院の附属音楽学校時代にジャズに目覚めたカスープチンは、同音楽院卒業後、ソヴィエトで初めて公認されたオレグ・ルンドストレム率いるジャズバンド(国立のジャズ音楽室内オーケストラ)に11年ほど所属。1972年頃からは別のジャズバンドや映画音楽のオーケストラで多彩な演奏、創作活動を展開し、1980年代の半ば以降、ほぼ作曲に専念するようになった。カプースチンは「オーケストラ」時代、クラシックとジャズのフィールドをひらりと行き来した22歳年上の作曲家で指揮者のボリス・カラムイシェフ(1915~2003)と恐らく意気投合、多くを得たようである。
 ピアノ協奏曲は全部で6曲を数える。現代の人気作になりつつある第2番の魅力といえば、やはりジャズのイディオム、ピアノとビッグバンドが醸すグルーヴ感(高揚感)で、オーケストラの編成もフルート1、クラリネット1、アルト・サクソフォーン2、テナー・サクソフォーン1、バリトン・サクソフォーン1、トランペット4、トロンボーン4、ドラムセット、ギター、弦楽と、いつもと違う。でもそこがいい。
 ドラムとギター、ピアノのセッションも美しい第2楽章もこのコンチェルトの華。8分の8拍子(3+2+3拍子)から4分の3拍子への転換を告げるピアノソロ、それにテンポアップする同楽章後半も味わい深い。冒頭のフレーズがさりげなく回帰する場面の、何と洒脱なこと。
 ハ短調と変ホ長調、2つの主題が16分音符で(ときに無窮動的に)駆け抜ける第3楽章には、ロシアの民俗楽器バラライカ(三角形の胴体に3本の弦が張られた弦楽器)の演奏を思わせるフレーズも添えられた。曲の終わりがまたクールだ。拍手の花束を。

第1楽章 アレグロ・モルト
第2楽章 アンダンテ
第3楽章 ロンド - トッカータ、ヴィヴァーチェ

ショスタコーヴィチ(1906~1975)
交響曲第15番 イ長調 作品141

作 曲  1971年6月~7月
初 演  1972年1月8日モスクワ、モスクワ音楽院大ホール、マクシム・ショスタコーヴィチ(1938~)
     指揮モスクワ放送交響楽団

 謎が謎呼ぶショスタコーヴィチ最後の交響曲を聴く。曲はグロッケンシュピール(鉄琴)とフルートで始まり、「チャカポコ・チャカポコ」と鳴る打楽器、ピッコロ、チェレスタ、ティンパニ、シロフォン(木琴)、トライアングル、弦楽の澄んだ響きで終わる。逸品だ。
 「拡大された打楽器群」(ショスタコーヴィチ自身の言葉)を巧みに操るのはこの作曲家の得意技。いわばお家芸だが、自らの交響曲芸術の集大成である交響曲第15番での打楽器の用法は、それ自体研究対象になるほど多彩だ。
 ソロを交えた管弦打楽器の巧緻な筆致と呼応する形で重要なのが、他の作曲家からの引用、暗示だ。
 第1楽章では、ロッシーニ最後の歌劇「ギヨーム・テル」(ウィリアム・テル)序曲のスイス軍の行進動機がはずみ、ショスタコーヴィチ自身のチェロ協奏曲第2番の第2、第3楽章に顔を出す「ブーブリキを買ってね」(カプースチンのピアノ協奏曲第2番の曲目解説参照)の調べもほのめかされる。マーラーの交響曲第5番冒頭のファンファーレもほんの少し聴こえる。自身の機知に富んだ交響曲第9番やチェロ協奏曲第1番に通じるディヴェルティメント風の楽想がまた意味深長だ。
 最後の第4楽章では、ワーグナーの楽劇「ワルキューレ」の運命の動機、「神々の黄昏」のジークフリートの葬送行進曲が聴こえ、さらに「トリスタンとイゾルデ」の冒頭部もこだまする。ショスタコーヴィチ自身の交響曲第14番の第5楽章“用心して、または心して”も、こだまする。
 引用をめぐる話題は尽きない。リムスキー=コルサコフの交響曲第2番「アンタール」冒頭の運命の動機が第2楽章終わりのファゴットに現れる。自身の交響曲第7番通称「レニングラード」の戦争の主題、1961年になってようやく日の目を見た交響曲第4番の第2楽章、前述チェロ協奏曲第2番を彩るいくつかの動機が、この交響曲第15番に内包されているのでは、との声も届く。
 時空を超えたロシアの作曲家が思いのほか好むグリンカの歌曲、ベートーヴェンの「田園」、さらにハイドン最後の交響曲第104番ニ長調「ロンドン」との関係性を探る向きも多い。グリンカについては、1838年の歌曲「疑惑(私を不必要に誘惑しないで)」の調べが第4楽章のアレグレット動機に引用されている、らしい。
 なんだ引用ばっかりじゃないですか、と言うなかれ。音楽は徹頭徹尾、ユーモアや謎めいたメッセージ性を愛でる才人ショスタコーヴィチなのだ。

 初演をめぐるドラマもあった。ショスタコーヴィチは当初、盟友の指揮者キリル・コンドラシン率いるモスクワ・フィルハーモニー管弦楽団による初演(1971年秋ごろ)を希望したようだが、コンドラシンが心臓疾患を患い、プランは白紙に。そうこうしている間にショスタコーヴィチ自身も(2度目の)心臓発作を起こし、初演は1972年1月に持ち越された。オーケストラも「全ソヴィエト連邦ラジオ・中央テレビ放送交響楽団」=モスクワ放送交響楽団に変わったが、タクトを執ったのは同放送響の当時の首席指揮者ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーではなく、息子のマクシム・ショスタコーヴィチだった。
 ちなみに日本初演は、モスクワでの初演から約4か月後の1972年5月10日にツアー中のロジェストヴェンスキー指揮モスクワ放送交響楽団が大阪フェスティバルホールで行なった(6月にも東京文化会館で演奏)。アメリカ初演は同年9月にユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団、イギリス初演は11月にマクシム・ショスタコーヴィチ指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団が担った。
 没後50年のショスタコーヴィチ・イヤー。高関健は2025年4月、東京シティ・フィルでも交響曲第15番に腕をふるった。

第1楽章 アレグレット イ長調
第2楽章 アダージョ~ラルゴ ヘ短調
第3楽章 アレグレット ト短調
第4楽章 アダージョ~アレグレット イ短調、イ長調
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