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楽団員リレーコラム

リレーコラム<第16回>

チコ:ヴァイオリン 熊谷洋子さん

犬やら猫やらペット自慢が続いていたようで…実は何を隠そう私も無類のねこ好きでして、猫ネコねこ寝子、…の話をさせたらきりがないのですが、御供さんに先を越されてしまったのでここでは別の話をひとつ。

私が生まれた頃父は貧乏教師で、私たち一家は二間続きの木造でお風呂とトイレは外という築…年の貸家に住んでいた。大家さんは町中にもかかわらず広大な敷地を所有していて、持ち家である4、5軒の貸家をのぞいてもさらにあまりある土地に広い庭と広い邸宅があったのを思い出す。貧富の差を身をもって感じていた幼い頃だったが、狭いながらも楽しい我が家、父が連れてくる大人たちがせま~い居間で繰り広げる酒宴の席に混じりながら遊ぶのが私の楽しみだった。

ある日、いつものように酒宴の席の無駄話で、母が「真夜中の泣き声」という怪談話を始めた。近所の奥様方の井戸端会議で「この頃夜になると縁の下から変な声が聞こえるのよ~~。」「私も聞いたわ!!それ赤ん坊の声じゃな~い?」「えっ!だって真夜中よ!!しかも縁の下!近所に子ども生まれたなんて話聞かないし~~。」「じゃあ何の声?」「わからな~~い。とにかく薄気味悪いわねええ。」と言う話題で盛り上がったらしい。(一部脚色あり)みんなしばらくフムフムと真剣に聞いていたが、その辺は合理的な考えの研究者揃いだったので、「とどのつまりはネコの盛りじゃあないか!」っということで話はあっさりと終わってしまった。

ところがそれから何日かした静かな晩、突然その声が家のまわりから聞こえはじめ、家族でびっくりするやらひやっとするやら。とにかく確かめてみようということで外に出てみた。部屋から出るとお風呂場、トイレと続く渡り廊下、その先は真っ暗闇だったが、目を凝らすとかすかに二つの小さな小さな光が見えた。一瞬身をひくとその光は瞬く間に闇に消えた。

大人たちのその後の会話によれば、それは都会では見るはずのない小動物で、イヌにでも追われてこの辺に迷い込んできたのだろうということだった。

父は農家育ちであることと生来の好奇心から、この動物を餌付けしてみようという気になってみたらしく、次の日の晩から廊下の端に晩のおかずの残りなどをおいてみることにした。するとその〈子〉はだいぶお腹がすいていたらしく、次の日の朝には食べ物はきれいになくなっていた。何日か続いたある晩、私はどうしても様子が見たくてドアの隙間からそっと見つめていると、闇の中から光る二つの輝きが現れ、まわりをしばらく警戒した後夢中で餌を食べ始める茶色い生き物を発見した。その目は私の姿を見つけるとあっという間にいなくなってしまった。

しかし何回か攻防戦を続けるうちに私とその〈子〉の距離は徐々に縮まり始めた。そのころになると大人たちはそれがはっきりと「タヌキ」であることを認識し、私とその〈子〉がその後いかなる関係になるかを興味を持って観察し始めた。

相変わらず続く酒宴の席で必ず一回はタヌキの話題がでて、すると私の出番がやってくる。〈チコ〉と名付けられたタヌキに私がどれだけ近づけるようになったか試されるのである。「チコ、チコ」と何回か呼ぶと闇の中からゆっくりと二つの輝きが現れやがてはっきりとその姿をみせる。〈チコ〉は自分が〈チコ〉と呼ばれているのをそのころにはすっかり理解していた。理解していたように思う。

徐々に縮まった距離は私の手から直接食べる、というところまでいきついた。そうなると私はもう彼(彼女?)がかわいくてたまらなくなり、毎晩〈チコ〉にあげるため晩のおかずを残して会える時をうきうきしながら待った。

しかしその逢瀬は長くは続かなかった。ある晩、いつものように晩のおかずを残して時間がくるといつものようにいそいそと廊下へ出かけ「チコ、チコ」と呼びかけた。ところが待てど暮らせど二つの光はやってこない。もう一度「チコ、チコ」と呼んだ。…来ない。次の日も、その次の日も、〈チコ〉はやってこなかった。

突然の出会い、そして突然の別れは幼心にしっかりと焼き付き、その後の大人たちの尾鰭がついた後日談を聞かされ続け、成長した私の心にはいつも毛並みの良い輝くようなブラウンの〈チコ〉の姿があった。

たぶんその記憶が短毛より長毛のネコを好む私の趣味につながっているのだろうか?

今も私の手の平には〈チコ〉のざらついた舌の感触が残っている。

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