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楽団員リレーコラム

リレーコラム<第2回>

無題:フルート 安田不二夫さん

自分が最初に覚えた英語は“ギブミー、チョコレート”でした。

途切れ、途切れの記憶をさかのぼれば、何時の事やら、当時は本当に食べ物に不自由していました。梅干しならぬシソの葉を竹の子の皮で三角形状に巻いたのと、アルファベット型のビスケット、かりんとう、たまに売りに来るサトウキビ等が飢えた子供達のおやつでした。

自分も米兵のジープを追っかけた記憶があります。“ギブミー、ギブミー”とさぞかしうるさかったことでしょう。投げられた物はチョコレート、漫画の印刷された紙で包装されたチューインガム、野戦用戦闘食。中身は煙草、コンビーフ、コーヒー等が入っており、コンビーフは最高でした。残りはほとんど大人に取り上げられました。

ある昼下がり、子供達が遊び疲れ、皆してバラックと呼ぶべきであろう民家の塀によりかかってボーっとしていた時、何か得体の知れない緊張感というか、自分達とは違う異質な感覚が近づいて来るのを感じました。近づいてきたのは、15、6歳のアメリカ人の女の子とその弟でした。女の子を先頭にし、弟は後ろに隠れるように歩いてきました。我々一瞥もには振りませんでした。我々日本の子供達の視線のなかを激しい緊張と警戒心、日本人には何もさせないぞという決意をみなぎらせながら、我々のまえを通り過ぎようとしたのです。日頃軽蔑しきっていた日本人の子供達との数の無勢を感じたのでしょう。

その瞬間、我々は不思議な感覚に襲われました。皆全員が言葉もなくそのアメリカ人の後ろに、一列となり歩き出したのです。きっと悟ったのでしょう。この子について行けば何か食べ物にありつけるかもしれないと!アメリカ人の子供達は慎重に歩きました。決して早くなることはなく、歩調は一定でした。後ろを振り返る事もありませんでした。勿論、皆無言でした。

どれほど歩いたかは、今となっては記憶にありませんが、その子たちのいわゆるアメリカンハウスに着いても、何の言葉も発しません。黙って家に入っていったのです。我々も無言でその家に入りました。何故か左に曲がったのを覚えています。小さな部屋に不釣合いな大きな縦長のテーブルが有りました。皆無言でそのテーブルの椅子に座りました。しばらくして、やはり無言で母親らしき人が、何故か中華どんぶりにニッキ味の飴を山盛りにして持ってきたのです。お互い何の会話もありません。静かでした。我々は黙って口にいれ、残りはあらゆるポケットに、汚れるのもかまず飴を突っ込みました。

記憶はここまでです。きっと後で自分達の母親にきつく怒られたことでしょう。洗濯機もない時代に飴を洗うのは大変だったでしょうし、それより、なにより、無茶したこと、日本人の恥をさらしたことを嘆いたでしょうしね。しかし、無事に帰ってきた事を喜んだことでしょう。当時巷では、米兵による暴行事件が頻発していました。もし、母親でなく父親が帰宅していたらどうなっていたか。いずれにしても、遠い昔の無言劇のなかの1シーンのようでした。

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