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コンサート情報

第311回定期演奏会

日程
2017年7月21日(金)・22日(土)
21日/午後7時開演(午後6時30分開場)
22日/午後3時開演(午後2時30分開場)
場所

日立システムズホール仙台
コンサートホール

出演

指揮:ガブリエル・フェルツ
ヴァイオリン:有希 マヌエラ・ヤンケ

プログラム

ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲 作品56a
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77
ベートーヴェン:交響曲第5番 ハ短調 作品67 「運命」

料金
【全席指定】
S席:¥5,000
S席ユース:¥2,000
A席:¥4,500
A席ユース:¥1,500
Z席:¥2,000
※ユース券は、ご来場の演奏会当日に25歳未満の方が対象
※未就学児童のご入場はできません
※ご来場の際には、近隣の駐車場には限りがございますので、公共交通機関をご利用ください。

※21日(金)
 Z席は、売り切れました。
※22日(土)
 チケットは、売り切れました。


※メールによる受付は終了いたしました。ご希望の方は、仙台フィルサービスまでお問い合わせください。演奏会当日は、完売の場合を除き会場窓口にてチケットを販売いたします。


■22日(土) 当日券のご案内
仙台フィルでは、関係者、取材等でご入場なさるお客様については指定席引換券で対応しております。そのため、指定席引換券をご利用なさらないお客様がいらっしゃった場合は、当日券に振り替えて発売いたします。
その場合には、午後2時より整理券を配布いたします。その後、午後2時50分以降に整理券の番号順に当日券発売の窓口よりお呼びいたしますのでそれまでにお待ちいただく事となります。
ただし、券種はご指定いただけない場合もございます。また、お並びになると必ずご入場できるというものではございませんのでご理解くださいますようお願い申し上げます。
詳しくは仙台フィルサービスまでお問い合わせください。

お問い合わせ

仙台フィルサービス
TEL:022-225-3934
※お電話でのお申込みは、7月21日(金)の正午まで

 プログラムノート

寺西 基之

ブラームス ハイドンの主題による変奏曲 作品56a

ヨハネス・ブラームス(1833-97)が変奏形式を好んでいたことは、ピアノのための変奏曲を幾つも書いていることにも窺えるが、その彼が管弦楽のために書いた変奏曲作品が、この「ハイドンの主題による変奏曲」である。1873年に作曲されたこの変奏曲は、当時ヨーゼフ・ハイドンの作(今日の研究ではハイドンではなく、ハイドンの弟子プレイエルか、または同時代の他の作曲家の作と考えられているが)として伝えられていた管楽器のための野外用ディヴェルティメント(パルティータ)から主題をとったものである。ブラームスはこのディヴェルティメントを友人のハイドン研究家カール・フェルディナント・ポールから知らされ、その第2楽章の主題を用いて変奏曲を作り上げた。この主題は「聖アントニーのコラール」と呼ばれる賛美歌風の主題で、その旋律自体はオーストリアの巡礼歌に由来するといわれる。

 

作品はその主題に続いて8つの変奏および終曲が続くという構成で作られており、ひとつひとつの変奏ごとに変化に富んだ性格付けを施しつつ、全体をあたかも交響曲ともいえる緻密な形式感と論理的な構築性で纏め上げている。奥行きのある重厚な響きを生み出す楽器法、対位法的な書法の巧みな用法も彼らしく、のちの交響曲作家ブラームス(交響曲第1番の完成はこの変奏曲の3年後)を先取りした傑作となっている。さらに注目されるのは第8変奏のあとに置かれた終曲で、元の主題の冒頭を低音主題としてこの終曲自体を壮大なパッサカリア変奏(パッサカリアとはバロック時代の舞曲形式で、短い低音主題の反復の上で変奏を行なう)としているのである。つまりこの終曲そのものが、元の主題の冒頭を低音主題としたひとつの変奏曲(いわば“変奏曲の中の変奏曲”)となっているわけで、伝統的な厳格な変奏形式の中でこうした凝った工夫を凝らしているところにブラームスの独創性が窺える。なおブラームスはパッサカリアをはるか後の交響曲第4番(1885年)の終楽章にも用いており、この「ハイドンの主題による変奏曲」の終曲はその先駆けといえるだろう。

 

初演は1873年11月2日にウィーンの楽友協会の大ホールにおいて、ブラームス自身の指揮によって行なわれた。ブラームスはこの変奏曲を作曲するにあたって2台ピアノ用のヴァージョンも並行して作っており、この2台ピアノ版もしばしば演奏されている。

 


 

ブラームス ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77

ブラームスは夏には避暑地を訪れて作曲に専念することを常としていたが、1878年の夏は前年に引き続いて南オーストリア・ケルンテン地方にあるヴェルター湖畔のペルチャッハに赴き、ここの美しい自然に囲まれながらヴァイオリン協奏曲に着手した。彼がヴァイオリン協奏曲の作曲を思い立った背景には、前年にバーデン=バーデンで聴いた名ヴァイオリニストのパブロ・サラサーテの演奏に刺激を受けたことがあるともいわれるが、ベートーヴェン以来のドイツ的伝統を重んじていたブラームスがサラサーテ好みの華麗なヴィルトゥオーゾ風協奏曲を書こうとしたわけではないことは勿論である。すでに2曲の交響曲の大作を書き上げ、交響曲作家としての自信を得ていた彼は、協奏曲においても交響曲風の構築的作品を求めていた。そのことは当初このヴァイオリン協奏曲がスケルツォを含む4楽章制の作品として構想されたことにも現れている。最終的には伝統的な3楽章構成とされたが、全体の確固たる造型と、独奏と管弦楽の絡みが重厚な響きを作り出す作風には、ブラームスの意図する協奏曲のあり方がはっきり窺えよう。彼の2曲のピアノ協奏曲はしばしば“ピアノ独奏付きの交響曲”といわれるが、このヴァイオリン協奏曲もまた、ヴァイオリン独奏付きの交響曲というべき性格の作品といってよい。

 

もちろん交響曲風といっても独奏が軽んじられているわけでなく、それどころかこの協奏曲は(ピアノ協奏曲もそうだが)独奏にきわめて高度な技量が求められている。重量感のある管弦楽に立ち向かう独奏には並外れた力量が要求されるし、重音の多用など技巧的な難所が随所に散りばめられるなど、演奏者に真の名技性が求められる協奏曲なのだ。しかしそうした要素が、多くの19世紀ヴィルトゥオーゾ・スタイルの作品のように技巧の誇示に向かうのでなく、音楽のシンフォニックな展開に有機的に結び付いた必然的な表現となっているところにブラームスらしさがある。

 

こうしたヴァイオリンの技巧表現を取り入れるにあたって、自身ヴァイオリニストでなかったブラームスは親友の名ヴァイオリン奏者ヨーゼフ・ヨアヒムに助言を求めながら作曲を進めていった。こうして一通り出来上がった協奏曲は、1879年元日にライプツィヒにおいてヨアヒムの独奏、ブラームスの指揮によって初演されたが、ヨアヒムはこの初演や続く各地での再演における演奏経験を踏まえた上で、さらに細部の多くの箇所の変更を提案していった。ブラームスもそれに沿いながら改訂の手を入れていき、決定稿へと仕上げていく。この曲の成立にヨアヒムが果たした役割はきわめて大きなものだったといえよう。

 

第1楽章 アレグロ・ノン・トロッポ、ニ長調。協奏的ソナタ形式。2つの主要主題そのものの性格は実におおらかながら、楽章全体は雄渾なダイナミズムとデリケートな感情表現との間を揺れ動きつつ、重厚で緊張感に富んだ展開を織り成していく。全曲の半分以上の時間を占める長大な楽章である。

第2楽章 アダージョ、ヘ長調。3部形式の緩徐楽章。管楽器のデリケートな響きをバックにオーボエ独奏が息の長い美しい旋律を歌い、独奏ヴァイオリンがこれを発展させる。この牧歌的な主部に対し、中間部は不安定に移り行く情感を表し出す。

第3楽章 アレグロ・ジョコーソ・マ・ノン・トロッポ・ヴィヴァーチェ、ニ長調。いわゆるハンガリー舞曲風(ジプシー舞曲風)の主題に基づく生気に満ちたロンド・フィナーレで、リズム的な面白さも強調しつつ華やかに運ばれる。

 


 

ベートーヴェン 交響曲第5番 ハ短調 作品67 「運命」

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)の中期の代表作であるこの交響曲は、何よりそのタタタターという動機で有名だ。この動機について「運命はこのように戸を叩く」とベートーヴェンが語ったという秘書役アントン・シントラーの言は今日では全くの作り話だとされているが、少なくともその動機を中心とする闘争的性格と、全体の暗→明という構図からみて、この作品が闘争の末の勝利といった内容を持っていることはたしかだろう。それは、続くロマン派の作曲家たちの好んだ闘争勝利型作品の範ともなった。ただベートーヴェンの場合、ロマン派の作曲家とは異なり、こうした闘争や勝利は必ずしも彼個人の運命に関わるものではない。たしかに耳の病への苦悩とその克服という彼自身を襲った不幸をそこに重ねたくなるが、この第5交響曲と並行して改訂を進めていたオペラ「フィデリオ」で彼が、フランス革命後の時代の思想に呼応して普遍的な意味での人間性の勝利を表現しているように、第5交響曲における闘争と勝利も個人を超えた高い次元で捉えられるべきだろう。

 

それにしてもこの第5交響曲におけるタタタターの4音動機(運命動機)の用法はきわめて画期的だ。運命動機を徹頭徹尾積み重ねることで劇的な激しさを生み出した第1楽章の大胆さ、その運命動機を他の楽章にも循環的に用いることで作品全体の統一性を図る斬新な手法など、全曲の軸とされているのが運命動機であり、それによって闘争から勝利へという理想主義的な理念が表現されているのだ。こうした思想的内容を表すためにたったひとつの単純な動機をここまで効果的に用いた例はかつてなかったといってよい。運命動機以外にも、勝利への移行を効果的に際立たせるべく第3楽章と第4楽章を緊迫感を孕んだ経過部(そこではティンパニが執拗に運命動機を奏する)で連続させるという試み、第4楽章において勝利を強調するために当時の交響曲にまだほとんど使われることのなかったトロンボーン、ピッコロ、コントラファゴットを導入したこと等々、この交響曲では様々な革新的手法が取り入れられているが、かかる手法の導入がすべて、ベートーヴェンのそうした思想上の理念の表現に結びついていることは忘れてはならないだろう。

 

すでに触れたようにスケッチは1804年頃からなされているが、本腰を入れての作曲は1807年から1808年にかけてのことである。スケッチの時期からかなりの年月を置いているということに、ベートーヴェンがこの革新的な交響曲のあり方をいろいろと模索していたことが窺える。初演は1808年12月22日ウィーンにおいて作曲者自身の指揮で行われた。

 

第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ、ハ短調。運命動機に支配されたソナタ形式楽章。運命動機そのものの提示である第1主題とつかの間の安らぎのような第2主題を持つが、この第2主題にも運命動機が纏わりついているなど、まさにこの楽章全体がこの動機によって築き上げられて、緊張感ある発展が紡ぎ出されていく。

第2楽章 アンダンテ・コン・モート、変イ長調。第1楽章とは対照的に、深い情趣に満ちた緩徐楽章。変奏の手法を用いた自由な形式をとる。

第3楽章 アレグロ、ハ短調。スケルツォ楽章で、またも劇的な緊張に覆われ、運命動機が不気味に鳴り響く。しかしトリオでは力強い明るさが示され、来るべき勝利を予感させる。ティンパニの運命動機を伴う緊迫した経過部を経て、そのまま次の楽章へなだれ込む。
第4楽章 アレグロ、ハ長調。単純明快な主題に始まる高らかな勝利宣言というべきソナタ形式の堂々たるフィナーレ。再現部直前に苦悩を回想するかのように運命動機が弱々しく現れるが、それも勝利の高揚感の中に消え去り、コーダではプレストにテンポを速め、ハ長調の主和音を強調して全曲を締めくくる。

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