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コンサート情報

第310回定期演奏会

日程
2017年6月9日(金)・10日(土)
9日/午後7時開演(午後6時30分開場)
10日/午後3時開演(午後2時30分開場)
場所

日立システムズホール仙台
コンサートホール

出演

指揮:下野 竜也
オーボエ:セリーヌ・モワネ

プログラム

ロッシーニ:歌劇「アルジェのイタリア女」序曲
モーツァルト:オーボエ協奏曲 ハ長調 K.314
ドヴォルザーク:交響曲第6番 ニ長調 作品60

料金
【全席指定】
S席:¥5,000
S席ユース:¥2,000
A席:¥4,500
A席ユース:¥1,500
Z席:¥2,000
※ユース券は、ご来場の演奏会当日に25歳未満の方が対象
※未就学児童のご入場はできません
※ご来場の際には、近隣の駐車場には限りがございますので、公共交通機関をご利用ください。

※両日ともにS-1ブロックはメール受付を終了いたしました。
※10日(土)のZ席はメール受付を終了いたしました。

お問い合わせ

仙台フィルサービス
TEL:022-225-3934

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『若き日のドヴォルザークとの出会い』 下野竜也
――ライブでこそ味わいたい、若き日の情熱と才能――

(聞き手:正木 裕美)

 

「ドヴォルザークって良い意味で田舎っぽい音がするじゃないですか。土臭いような自然のにおいが感じられて、私たち日本人にぴったりのフィーリングに親近感を覚えるんです」

 

そう語り、ドヴォルザークが大好きだと公言する下野竜也。およそ1年振りの定期演奏会では、前半にロッシーニ「アルジェのイタリア女」と話題のセリーヌ・モワネによるモーツァルトのオーボエ協奏曲、そして後半にはドヴォルザークの交響曲第6番を取り上げる。

 

「メロディー・メーカーとして知られるドヴォルザークは、実は緻密な構成力もあって作曲家としての技術も高く、ベートーヴェン、シューベルトに並ぶ交響曲作曲家でもありました。8番や『新世界』は本当に無駄がなくて完璧ですよね。これらに比べると6番は確かに未熟な面があるかもしれませんが、大作曲家への憧れと、チェコへの祖国愛と、才能の芽、そういったものが全編にわたって散りばめられています。2楽章なんてベートーヴェンの第九の3楽章と同じですよね。それだけベートーヴェンやシューベルト、先人たちへの尊敬の念が詰まっているんです。でもどこかチェコ風で、踊りのニュアンスだったりメロディーが民謡のようだったり、そういうのに出ちゃう。僕も田舎育ちなので、またそこに親しみを感じているんですけれどね」

 

ドヴォルザークの交響曲中最初に出版されたこともあり、第6番は未熟な印象がつきまとう。そのためか、他の交響曲に比べ耳にする機会も少なく、「食わず嫌い」の方々も多いかもしれない。

 

「定期演奏会って、例えば自分のひいきにしているレストランでメニューを見ずに『今日何か食べさせて』って言っているようなものだと思うんです。だから『定番メニューもあるけれど、実はこんなもの作ってみたのでどうですか』と、お客さんの好奇心をくすぐりたいんですよね。目の前にいるオーケストラが今、生まれたばかりの曲として演奏していると、沁みてくる、伝わるものが違うはずです。だからぜひ、未知の曲ほど生で聴いて欲しいと思いますね。これは有名な『新世界』を書いたドヴォルザークの、言ってみればスタート、これから国際舞台に立つ第一歩を宣言する曲です。どんな巨匠も名人も、カラヤンが言ったように最初があるわけですから『若いなぁ』と思うかもしれませんがいいじゃないですか。隠れた名曲を聴いて、若き日のドヴォルザークの、むせかえるような若々しさとエネルギーをぜひ、感じて頂けたらと思います」

 


 

プログラムノート

寺西 基之

ロッシーニ 歌劇「アルジェのイタリア女」序曲

イタリアの作曲家ジョアキーノ・ロッシーニ(1792-1868)は19世紀前期において数々のオペラのヒット作を世に出し、イタリアのみならずヨーロッパ各地で大変な人気を得た。今日ではオペラ全曲は「セビリアの理髪師」や「シンデレラ」など限られた作品だけが頻繁に上演されているが(もっとも最近はヨーロッパを中心に彼の様々なオペラのリバイバルが起こっている)、オペラの序曲の幾つかはオーケストラの演奏会で単独でよく取り上げられている。

 

そうしたロッシーニの序曲は一部の例外を除いてお決まりの型がある。形式的には序奏付きのソナタ形式だが、実質的な展開部を省いて提示部と再現部だけでなり、その中でロッシーニらしい躍動するリズムと快適なカンタービレが効果的に発揮される。とりわけ特徴的なのがロッシーニ・クレッシェンドと呼ばれる長いクレッシェンドで、これは第2主題のあとに現れて大きな高揚感を作り出す。

 

「アルジェのイタリア女」の序曲もこうしたロッシーニの序曲の典型的なスタイルをとっている。このオペラは初期の1813年の所産で、アルジェリア大守に無理やり妻にされそうになったイザベッラが、大守の奴隷となっていた恋人リンドーロと逃亡を企て無事脱出するという喜劇。序曲は弦のピッツィカートに始まり、オーボエが伸びやかな旋律を歌う序奏の後、歯切れよい木管群の導く第1主題が示されて、生気に満ちた主部が発展していく。

 


 

モーツァルト オーボエ協奏曲 ハ長調 K.314

古今のオーボエ協奏曲の中でヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-91)のこの作品は、今日オーボエ奏者のとりわけ重要なレパートリーとなっているが、実は今から100年前まではその存在が明らかでなかった。ことの始まりは1920年、指揮者で音楽学者のベルンハルト・パウムガルトナーが、ザルツブルクにおいてハ長調のオーボエ協奏曲の筆写パート譜を発見したことだった。その作品はそれまでモーツァルトのフルート協奏曲第2番ニ長調として広く親しまれてきた作品と同一の曲だったので、大きな論議を巻き起こした。そして様々な考証の結果、モーツァルトはこのオーボエ協奏曲を先に書き、のちにそれをフルート協奏曲に編曲したのだろうと結論付けられたのである。

 

モーツァルトが1777年にオーボエ協奏曲を作曲したという事実は前々から知られていた。というのも彼自身が手紙の中で、当時ザルツブルクのオーボエ奏者を務めていたベルガモ出身のジュゼッペ・フェルレンディスのためにオーボエ協奏曲を書いたと記しているからである。その協奏曲はその後マンハイムにおいてもオーボエ奏者フリードリヒ・ラムによって演奏されたことがやはりモーツァルトの手紙に記されており、1778年2月14日にマンハイムから父レオポルトに宛てた手紙においても「ラム氏が、フェルレンディスのために書いた僕のオーボエ協奏曲の5回目の演奏を行なって、このマンハイムで大好評を博した」と書いている。しかしそのオーボエ協奏曲は行方不明となってしまい、消失してしまったと長らく考えられていたのだった。

 

一方で、モーツァルトは1778年初めにマンハイムにいたオランダ人のフルート愛好家フェルディナント・ドジャンから、フルート協奏曲3曲とフルート四重奏曲2ないし3曲(数についてはモーツァルト自身の手紙によるが、手紙によって記述が異なる)の依頼を受けた。結局モーツァルトは2曲のフルート協奏曲と3曲の四重奏曲をドジャンに渡したのだが(これも彼の手紙による)、ドジャンは約束の半分にも満たない報酬しか彼に払わなかった。たしかに約束の協奏曲の数より1曲少ないわけだが、それにしても半分以下の報酬というのは少なすぎる。そしてまた奇妙なことに、モーツァルト自身1778年10月3日の父宛の手紙では、ドジャンのために協奏曲を1曲しか作曲していないということも述べているのである。

 

こうした謎も、オーボエ協奏曲が発見されたことで説明がつくことになった。つまり長らくフルート協奏曲第2番として知られていた曲は、もともとは1777年にフェルレンディスのために作曲されたオーボエ協奏曲であり、1778年にそれがフルート用に直されてその形でのみ伝わっていた、というわけである。だからこそモーツァルト自身はフルート協奏曲を1曲しか書いていないと告白しているのであり、またドジャンが報酬を半分しか払わなかったのも、これが編曲で新作でないことを知ったからと考えられるのである。

 

これは理に適った推論ではあるが、だからといって発見されたこのオーボエ協奏曲が本当にフェルレンディスのために書かれた協奏曲と同一かどうかの絶対的な確証があるわけでなく、そのためフェルレンディスのための協奏曲が別にあった可能性も否定できない。一方で先年亡くなった古楽界の泰斗フランス・ブリュッヘンは、もともとこの曲はフルートのために書かれたものをオーボエ用に編曲したもので、それがさらにドジャンのために再度フルート用に直されたのでないかという可能性を指摘している。いずれにせよ、パウムガルトナーの再発見以来、この作品はオーボエ協奏曲の中でもとりわけの人気作品として、フルート版とともに広く親しまれている。

 

第1楽章 アレグロ・アペルト、ハ長調 溌剌とした主題を持つ明朗な協奏風ソナタ形式の楽章である。表記のアペルトとは“はっきりした”という意味のイタリア語である。
第2楽章 アダージョ・ノン・トロッポ、ヘ長調 伸びやかな歌に満ちた美しい緩徐楽章。
第3楽章 ロンド、アレグレット、ハ長調 性格的にはロンドに相応しい軽妙なフィナーレで、冒頭からオーボエの躍動的で軽快な動きが快活な気分を作り出すが、形式的には独自なものがあり、変則的なソナタ形式とみなす考え方もある。

 


 

ドヴォルザーク 交響曲第6番 ニ長調 作品60

19世紀半ばのヨーロッパでは、自国の特色を打ち出した民族主義的な芸術音楽を創造しようという動きが生れた。いわゆる国民楽派の運動である。ハプスブルク家のオーストリア=ハンガリー帝国下にあり、もともと音楽が盛んで18世紀から優れた作曲家や演奏家を輩出してきたチェコ(ボヘミア)においても、改めて民族的主張を前面に出したロマン的な国民音楽を創造しようという機運が高まる。そうしたボヘミアの国民楽派の動きを確立したのがスメタナで、彼はオペラや、交響詩をはじめとする標題音楽など、文学的な物語性を持つジャンルをとおして民族主義を具体的に訴えかけていった。

 

それに続く世代の作曲家がアントニン・ドヴォルザーク(1841-1904)である。彼は先輩スメタナの業績を受け継ぎ、やはりオペラや標題音楽で民族的題材を取り上げながらも、その一方で交響曲や室内楽曲などヨーロッパ本流の伝統的・普遍的な古典様式のジャンルも重んじ、伝統様式のうちにボヘミアの民族色を盛り込むやり方で独自の民族的な作風を打ち出した作曲家だった。彼は交響曲を9曲、弦楽四重奏曲に至っては14曲(編曲ものや断章を除く)も残しているが、これはロマン派の大作曲家の中では際立って多い数で、彼がいかに伝統ジャンルを重視したかが窺えよう。こうした彼のスタイルは国民的であると同時に普遍性を持つものであり、ボヘミアの国民主義をより国際的にアピールする役割を果たすことになるのである。

 

そうした交響曲や室内楽曲などにおける彼の作風の変遷には、古典的な形式をどのように民族性に結び付けるかという点でいかに苦心していったかが現れている。交響曲でいうと、初期の交響曲では、伝統的な交響曲様式を土台としつつ、その中に民族色を織り込みながらも、一方でロマン的な革新主義のリストやワーグナーなどの影響も色濃く示している。しかし伝統的なスタイルを基本に置く彼の行き方はやがてドイツ本流のブラームスや批評家ハンスリックに認められることとなり、それが自信に繋がったのだろう、中期のドヴォルザークは、交響曲のスタイルの中に直截に民謡や民俗舞曲の要素を旋律やリズムを取り入れることで、民族主義的な色彩をより鮮明に打ち出すようになる。ボヘミアやスラヴの民俗音楽の特徴を積極的に取り入れたこうした民族色濃厚なスタイルは、交響曲に限らずこの時期の彼の他のジャンルの作品にも現れており、ドヴォルザークの“スラヴ時代”といわれる。

 

そうした彼の“スラヴ時代”を締め括る作品のひとつが1880年に書かれた交響曲第6番である。スタイルの点では伝統に連なる明快な4楽章構成をとり、その中にボヘミア的情緒や民族感情をストレートに表し出した作品で(特にボヘミアの熱情的な農民舞曲フリアントの様式を交響曲では初めて取り入れている)、そのような民族表現を交響曲の伝統形式に見事に調和させている点に、ドヴォルザークの成熟した筆遣いが見て取れる。初演は1881年3月25日プラハにおいてアドルフ・チェフの指揮でなされた。この交響曲は時をおかずロンドンやニューヨークでも取り上げられ、ドイツの名指揮者ハンス・リヒターもこの曲を高く評価してロンドンで指揮している。伝統様式の中にボヘミア色を織り込むドヴォルザークの民族主義の道が広く国際的に受け入れられたことの現れといえよう。

 

第1楽章 アレグロ・ノン・タント、ニ長調 ソナタ形式をとり、冒頭の第1主題からしてボヘミアの田園風景が目の前に広がるかのよう。全体の明るい情感の中に織り込まれる蔭りなど、表情の変化に富んでいる。
第2楽章 アダージョ、変ロ長調 夢見るような夜想曲風の雰囲気の漂う美しい緩徐楽章。それだけに中ほどで一瞬悲劇的な響きが現れるのが効果的だ。
第3楽章 スケルツォ、フリアント、プレスト、ニ短調 ボヘミアの民俗舞曲フリアントの様式による活気に満ちたスケルツォで、土の香りが感じられよう。牧歌的な中間部も魅力的。
第4楽章 フィナーレ、アレグロ・コン・スピーリト、ニ長調 喜ばしさの迸り出るようなソナタ形式のフィナーレで、最後は熱気溢れるコーダに至る。

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