楽団員インタビュー~ハーモニーな楽屋~
構成 / 西大立目 祥子
Vol.70 ヴィオラ 清水 暁子

スコアを読み込み、耳で鳴っている音を全部キャッチし、感性で感じ取る。
瞬時に自分がやるべきことをやれるプレーヤーになりたいですね。
ひそかな楽しみは梅酒づくり。梅を買ってブランデーに漬けたり日本酒に漬けたり。氷砂糖ではなく黒糖にしたり。それを1年我慢してじっくり寝かせてから、ちびちびやってます(笑)。
きびしい母に反抗しつつ音楽の道へ
入団のきっかけは、2000年3月のヨーロッパツアーに、エキストラでよんでもらったことです。そのとき私の荷物が届かなくて困っていると、団員の方たちが助けてくれて、なんてあったかくてフレンドリーなオケなんだろうと思いました。翌月オーディションを受けて合格し、そのあったかな雰囲気を頼りに仙台にやってきました。ちょうどこの5月で、丸15年です。
ヴァイオリンを始めたのは小1のときです。「あなたがやりたいといったのよ」と母はいうけど、どうもあやしい。私、小さい頃アトピーがひどくて一生治らないといわれたらしいんです。思い詰めた母が何としてでも手に職を、とヴァイオリン教室に連れていったようです。そのせいか、ことヴァイオリンにはきびしい母でした。レッスンには毎回ついてくるし、放課後は友だちと遊ばせてもらえない。「芸高(東京藝術大学附属高校)に行くのよ」といわれ、とにかく練習、練習。こっちは「何、ゲイコーって?」という感じなのに。
反抗期を迎えた中2のとき、「やめさせて」と置き手紙し家出しました。それでも、やめさせてもらえなかったんですよ。反抗心から1年間まったく練習しませんでしたね。でも、中3になりいよいよ進路決定というときにやはり音楽しかないな、と自分で道を決めました。
音高を受けたのですが、学科点があまりに低くて不合格。浪人中、体が大きかったこともあって勧められたのがヴィオラでした。初めて触って惹かれたのは、そのあったかい音。「うん、私変わる」と即決し、受験はヴァイオリンで受けたのですがヴィオラ専攻に転向しました。入学後、本格的なヴィオラの練習が始まりました。
演奏家として自立したい一心で
芸大へと進み、卒業するときにまた進路で悩みました。留学するか、大学院に進むか。私はとにかく1人立ちしたかった。ひとまず芸大フィルハーモニアオケに籍を得て、両親には2年間で食べられるようになるから、と話しました。そのあと、思わぬ事が起こりました。父が57歳で急死したんです。亡くなる前、芸大オケを聴いてくれ、「娘がどんな仕事をしているのかわかったよ」といってくれたことが、私の支えになっていますね。もう誰にも甘えられない。演奏家として自立し、母を幸せにしなければと思いました。だから、仙台フィルに入団して健康保険証を受け取ったときはうれしかった。だって、正真正銘の自立の証でしょう?
電子レンジの使い方さえよくわからない初めての1人暮らし。オーケストラでは弾いても弾いても次々曲がくる。入団当時は、大変でしたね。
仙台フィルは変わっていきますね。平均年齢は上がってきたけれど、一方で上手な若い団員が増えてきた。今はしっかりと柱を立てて、攻めてるんじゃないしょうか。何が大切かどこに集中したらいいのかをみんながわかっている。「おぉ、そうきたか。じゃ、こういくよ」という本番中の掛け合いが何とも楽しいですよ。想像を超える展開になることもありますし。
私自身については、ひと言でいえばもっとうまくなりたい。今起こっていることの原因を瞬時に判断して対応できるプレーヤーをめざしたいです。これは一生の課題でもありますね。
- しみず あきこ
- 東京藝術大学卒業。同大学管弦楽研究部の非常勤講師を2年間務め、2000年に仙台フィルに入団。ヴァイオリンをケイコ・ラッシュランダー、故鷲見康郎、ヴィオラを兎塚俊之、菅沼準二の各氏に師事。仙台ジュニアオーケストラの講師も務める。1975年、石川県七尾市生まれ。
第291回定期演奏会(2015年5月22日,23日)プログラムより