楽団員インタビュー~ハーモニーな楽屋~
構成 / 西大立目 祥子
Vol.68 ヴィオラ 長谷川 基

メンバーみんなの気持ちが重なると、とてつもなくいい音を出す。
その先に、仙台フィルならではの独自の音を創りあげたいですね。
自分の夢を、というわけじゃないけれど、息子がベガルタのスクールに通ってるんです。試合の送り迎え、毎日のメニューづくりとその指導もやってます(笑)。
やめたいといいながら続けたヴァイオリン
5歳上の兄がヴァイオリンをやっていたんです。母は兄の手を引き、僕をおんぶしてレッスンに通うしかない。来るついでにどう?と誘わ れて習い始めたんですね 。たぶん、2歳か3歳のときです。実は兄もいま、仙台フィルのメンバー(Vn.長谷川 康)なんですよ。
でも、小4からサッカーを始めてスポーツ少年団に所属していたので、練習も試合もハード。だから、ヴァイオリンは、しょっちゅうやめたいといってました。先生にやめる、と話しては考え直す。その繰り返しです。やっぱり好きだったのかなあ。小5のとき、あるオーケストラが演奏しているテレビ番組を見たんです。オケって何でもできるんだな、音楽やるならオケに入りたいな、と思ったのを覚えていますね。
サッカーの盛んな静岡で暮らしていたので、高2のときこのままやってもプロになれるわけじゃないし、とサッカーはすっぱりとやめ、音楽大学に行くことにしました。いざ、受験ということになって、先生に勧められたのがヴィオラでした。
いま思えば、自分の性格からいってもヴィオラ向きだったのかもしれません。どっちかというと、人見知りで、自分が目立つよりはまわりを見る。ヴィオラって、まわりを引き立たせてあげながら、アンサンブルの中心となってテンポをコントロールし、響きをつくり上げる楽器です。やる中で、その魅力をつかみながら、ここまできました。
コッホ先生に学んだヴィオラの魅力
ヴィオラの魅力を教えてくださったのは、大学で学んだウルリヒ・コッホ先生です。僕にとってはいちばんの先生ですね。直接教えを受ける中、─ああ、こういう音で弾きたい─心からそう感じていました。忘れられないのは、「人間に耳が2つあるのはなぜか?」と問いかけ、先生自身がこうおっしゃったこと。「1つは自分の音を聴くため、もう1つはみんなの音を聴くため」。大学を卒業してすぐに仙台フィルに入団したのですが、そのわずか2ヵ月後に先生は亡くなられて、何というのか、もう一人でやっていきなさいといわれたような気がしました。
入団当時は、練習も始めていない曲をのせた演奏会のチラシが出ていることに、プロって大変なものだな、と驚きました。つぎつぎと新しい曲が来て、いつも5、6曲を宿題のようにかかえ、もうやっていけないんじゃないか、と思うこともあるほど必死でした。
この20年、仙台フィルは成長しましたね。震災のときは、お金をいただいてステージの上で演奏することにとどまらない音楽のあり方を考えさせられました。当初、音楽家って役に立たないなあと無力感を感じたけれど、三陸をまわって泣きながら聴いてくださる人を見たとき、演奏の意味はあるんだ、と思いました。
オケはやはり生きものだから、みんなの力が集まるととてつもなくいい音になります。すごいな、このオケでよかった!と思う瞬間があるんですよ。これからは、仙台フィルの音はこういうものだという世界を創り上げ、遠くからお客さんをよべる、そういうレベルになれたらいいな、と思っています。
- はせがわ もとい
- 3歳からヴァイオリンを始め、17歳でヴィオラに転向し磯良男に師事。武蔵野音楽大学で、U・コッホにヴィオラと室内楽を学ぶ。同大を1996年に卒業し、同年、仙台フィルに入団。1974年、静岡県沼津市生まれ。
第289回定期演奏会(2015年2月20日,21日)プログラムより