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2018/06/22

第320回定期演奏会<終了しました>【プログラムノート】

第320回定期演奏会 公演情報はこちら→

藤田 茂 (音楽学者)

 

第320回の定期演奏会は、音楽、ひいては、ヨーロッパ文化全体の精神的故郷であるイタリアを見つめている。イタリアに生まれたレスピーギ、イタリア名をもったモーツァルト、そしてイタリアを賛美したシベリウス。南国の太陽は西洋音楽を貫き通し、あるときは自然の声として、あるときは人間の若さとして、あるときは英雄の力として現れ出てくる。その輝きをぜひ皆さんに!

 

 

レスピーギ 組曲「鳥」

ポ・ポ・ポ、チュン・チュン・チュン、ホーホケキョ。わたしたちがカタカナで鳥たちの声を真似ようとするように、古くから音楽家たちは音符で鳥の声を写し取ろうとしてきた。有名なところではベートーヴェンの《田園交響曲》、その第2楽章からもサヨナキドリのチコ・チコやカッコウ・カッコウが聴こえてくる。オットリーノ・レスピーギ(1879-1936)はこれに目をつけ、この組曲《鳥》で、さらに古いバロック音楽のレパートリーから鳥にまつわる曲をあつめてくる。

 

レスピーギは、この組曲の額縁として第1曲「前奏曲」に自国イタリアのベルナルド・パスキーニ(1637-1710)の鍵盤のための「アリア」を用いたあと、第2曲「ハト」にはフランスのジャック・ガロ(1690年頃没)のリュート曲、第3曲「メンドリ」にはフランスのジャン=フィリップ・ラモー(1683-1764)の鍵盤曲、第4曲「サヨナキドリ」には17世紀イギリスの鍵盤楽器、ヴァージナルのための曲(作者不詳)を置く。そして、第5曲「カッコウ」で再びパスキーニの鍵盤楽曲から今度は「トッカータ」を用いて、全体を締めくくる。

 

選曲や配置のセンスは、古楽研究者としても有名であったレスピーギならではであるが、なんといっても度肝を抜かれるのは、彼のオーケストレーションのきらめきである。ロシア滞在中にリムスキー=コルサコフから指導を受けたというレスピーギの手腕は、原曲では「お約束」的な表現にすぎないのでは、と思わせる鳥たちの声の模写を、かなりリアルな音像へと作り変えていく。組曲《鳥》からは、もはやハトのクルクルでも、メンドリのコ・コ・コ・コケコでも、ウグイスのチコ・チコでも、カッコウ・カッコウでもない、レスピーギの魔法によって長い眠りから目覚めた鳥たちの命の歌が聴こえてくる。

 

この組曲は1927年に作曲されたものだが、数年前の《ローマの松》でレスピーギがレコードに録音された鳥たちの歌を演奏中にスピーカーで流すようにしたことが思い出される。彼は、リアルな鳥たちの歌と音楽作品としての鳥たちの歌のあいだを、やすやすと行き来することができたのだ。

 

 

モーツァルト ピアノ協奏曲第9番 変ホ長調 K.271 「ジュノム」

モーツァルト(1756-1791)のピアノ協奏曲第9番には、長らく解けない謎があった。それはこの協奏曲の愛称「ジュノム」をめぐるミステリーである。「ジュノム」が、その輝かしい演奏でモーツァルトを驚かせた若い女性ピアニストの名前から来ていることは分かっていた。しかし、当時の記事のどこを探しても「ジュノム嬢」というピアニストは見当たらないのである。

 

有力な仮説には次のようなものがあった。このピアニストは実はヴィローム嬢のことではないか。なるほど彼女は1780年代の半ばにパリでモーツァルトのピアノ協奏曲を演奏したという記録がある。ヴィロームという名前は「ヴィユオム(フランス語で「老人」)」を思わせるから、ジョーク好きのモーツァルトは彼女をふざけて「ジュノム(フランス語で「若人」)と呼んだのだろう。

 

けれども、モーツァルトがこのピアノ協奏曲を作曲したのは1770年代後半だからこの説では時代が合わないし、そもそも、モーツァルト自身はこのピアニストを「ジュノメ」や「ジュノミ」と呼んでいたのである。

 

そこで21世紀のはじめにより実証的な説が提出された。それによると、この幻のジュノム嬢は、結婚してジュナミ夫人となったヴィクトワール・ノヴェーレである。1768年、モーツァルトがまだ12歳の頃、父レオポルドは息子をオペラ作曲家としてデビューさせるべくヴィーンの有力者と積極的にコンタクトを取っていたが、そのなかにノヴェーレ家があった。9月に結婚してジュナミ夫人となった一家の娘、ヴィクトワール・ノヴェーレ=ジュナミはピアニストであり、やがてモーツァルトは彼女のためにピアノ協奏曲を書くことになる。それが1776年の終わりから1777年のはじめに書かれた「ジュノム」協奏曲だった。

 

この新事実に従うならば、モーツァルトのピアノ協奏曲第9番は今後、「ジュナミ」と呼ぶのが適当だ。けれども「ジュノム」の愛称に史実を越えた不思議な説得力があるとはいえまいか。

 

音楽学者、アルフレート・アインシュタインは、モーツァルトのピアノ協奏曲第9番を「モーツァルトの《英雄》」と考えた。この協奏曲が、ベートーヴェンの《英雄》と同じく、変ホ長調の楽章でハ短調を挟み込む構成をしているからだろうか。それもある。しかし、何よりもこのピアノ協奏曲の活力、つまり、若さと熟練を高度に結びつけたこのピアノ協奏曲の力が、ベートーヴェンにおける《英雄》に相当する、というのが最大の理由だった。モーツァルトがピアノ協奏曲第9番を完成させたとき、彼は20歳そこそこだったが、完全に熟練した作曲家でもあった。モーツァルトは、内にみなぎる力を絶対的な集中力で外に向けて発揮しうる幸福な‪一時‬期を生きる「ジュノム=若人」だったのだ。

 

実際、この「ジュノム」協奏曲は、これまでのピアノ協奏曲の常識を実にエレガントに踏み越える。モーツァルトは、第1楽章(アレグロ)では、オーケストラだけで奏されるのが普通の冒頭部分にピアノ独奏を組み込んでいるし、第2楽章(アンダンティーノ)では、独奏ピアノを歌手に見立て、まるでオペラのワンシーンのような雄弁な語りを作り出しているし、第3楽章(ロンド:プレスト)では、ロンド部分の規模を拡大するだけでなく、それと交替するクープレ部分のひとつにメヌエットを配し、音楽における劇中劇を演出してみせる。

 

このように若さが端々から溢れ出てくる協奏曲であるならば、これからも愛情を込めて「ジュノム=若人」と呼んでいきたい。

 

 

シベリウス 交響曲第2番 ニ長調 作品43

現在、素晴らしい音楽家を数多く輩出するフィンランド。その国民的音楽家といえば、まず間違いなくジャン・シベリウス(1865-1957)の名前があがるだろう。この国の音楽院にシベリウスの名前が冠されているように、彼は現代フィンランド音楽界の礎を築いたひとであった。

 

シベリウスが音楽家としてデビューしたとき、フィンランドはいまだロシアの圧政下にあった。祖国独立の気運が高まる19世紀末、彼のペンから生まれてくる音楽が人々の希望になったことは想像に難くない。のちに《フィンランディア》と呼ばれることになる《フィンランドの目覚め》、フィンランド創生の叙事詩『カレワラ』にもとづく《レンミンカイネン組曲》、これらから放射される熱はたしかに圧倒的だ。しかし、これらの作品を超えてシベリウスをフィンンランドの文化的英雄にまで高めたのが、20世紀の夜明けとともに作曲された《交響曲第2番》であった。

 

1902年3月、首都ヘルシンキにおいてシベリウス自身の指揮で初演された《交響曲第2番》について、当時のある有力紙の批評家は実際にこの交響曲をシベリウスの《英雄交響曲》と讃えたし、また、シベリウスの親友でもあったある指揮者はこの交響曲に救国の物語を読み取った。それによれば、最初にあったフィンランドの人々の幸福な生活が(第1楽章)、ロシアの圧政を受けるが、人々は国民意識に目覚め(第2楽章と第3楽章)、やがて決定的な勝利を収める(第4楽章)、という。

 

しかし、当時の政治・社会的な状況を離れてもなお、シベリウスの《交響曲第2番》がかくも胸を打つのはなぜだろう。《交響曲第2番》には、フィンランドというひとつの国を超えた、より普遍的なメッセージへの飛翔があったのではなかろうか。

 

このとき興味深い事実として浮かんでくるのが、シベリウスがこの交響曲の大部分を南国イタリアで着想したことである。そのきっかけを与えたのはカルペラン男爵というひとだった。男爵の言葉では「イタリアはカンタービレや節度や調和、線の柔らかさやシンメトリーを教えてくれる国」である。イタリアは、ギリシアとならぶヨーロッパ文化の精神的故郷である。オーストリアのモーツァルトがイタリア風のアマデウスの名を与えられたのも、ロシアのストラヴィンスキーが亡命後イタリアを題材にした作品を書いたのも偶然ではない。イタリアは国民性を越えた普遍性(ユニヴァーサリティ)の象徴なのである。かくしてシベリウスは1901年の1月から5月にかけてジェノヴァ県ラパッロで《交響曲第2番》の作曲を進める。しばらしてく帰国したシベリウスに再会したカルペラン男爵は、彼がいまや「太陽の輝きと青い空、そして歓喜に満たされた交響曲」を準備していることを知り、深い満足を覚えたという。

 

シベリウスの《交響曲第2番》は、第1楽章(アレグレット)をいわば長大な導入として扱いながら、力を内に秘めて進む第2楽章(テンポ・アンダンテ, マ・ルバート)を挟んで、スケルツォの第3楽章(ヴィヴァーチッシモ)からフィナーレの第4楽章(アレグロ・モデラート)へと休みなく音楽を推し進めていく。その大きな上昇曲線は、フィンランドという歴史的・地理的な境界を超えて、解放を願う人間全体を勇気づけるものになっているのではなかろうか。

 

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