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プログラムノート(第371回定期演奏会)
2024-03-12
カテゴリ:読み物
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奥田 佳道(音楽評論家)
ミヨー(1892~1974)バレエ音楽「世界の創造」作品81
作曲 1922年、1923年
初演 1923年10月パリ、シャンゼリゼ劇場、バレエ・スエドワ(スウェーデン・バレエ)の公演、ウラディ
   ーミル・ゴルシュマン指揮

 摩訶不思議な叙情が立ち昇る。序奏で浮かび上がってくるのはアルト・サクソフォン、ピアノ、ソロ・ヴァイオリン2、チェロ、コントラバス、それにティンパニ、打楽器の音色(ねいろ)。ほどなく寄り添う2本のトランペットの旋法が素晴らしい。
 曲は「創造の前の混沌」へと向かう。ジャズのイディオムを興味本位ではなく、心から愛した作曲家がここにいる。コントラバス、トロンボーン、サクソフォン、トランペットのソロに拍手を。音楽的に「きしむ」響きやフーガ風のつくりに驚く。

 ステージに演奏家は17人(または18人)。ミヨーは楽譜の書き方にもこだわった。アルト・サクソフォンのパートを、2つのソロ・ヴァイオリンの下部に記した。そこはいつもならヴィオラが書かれている場所である。

 洒脱な音楽を数多く書いたフランスの鬼才ダリウス・ミヨーは、個性派が顔を揃えたフランス6人組のひとりである。フランス6人組は、伝統に根差したアカデミズム(パリ音楽院のエクリチュール=書法)と距離を置いた、置かざるを得なかったエリック・サティの音楽を称え、詩人ジャン・コクトーをいわば後見人とした作曲家のグループである。
 全員の名前を挙げられなくても何の問題もないが、デュレ、オネゲル、ミヨー、タイユフェール、プーランク、オーリックという6人。ちょっとなじみのない人もいる。音楽史では6人組と呼ぶが、彼らは基本的には別々に活動していた。
 いっぽうミヨーは、フランスの劇作家、詩人で外交官としても優れたポール・クローデルと親しく、クローデルが1917年にブラジル公使としてリオデジャネイロに赴任した際に、秘書官として同行。熱狂も哀愁もお任せあれのブラジル音楽に魅了される。
 1920年代にはロンドン、ニューヨークに赴き、ジャズ、黒人音楽、黒人が育んできた民俗、文化に心奪われる。なによりもマンハッタン・ハーレムのミュージシャンと親しくなり、ニューオリンズ・ジャズと不可分のブルーノートのスケール(音階)に夢中になった。音楽に独特の陰影をもたらすブルーノート/ブルースの筆致は、ミヨーの十八番でもある。

 1922年、パリで喝采を博していたスウェーデン・バレエ(バレエ・スエドワ)から新作を依頼されたミヨーは、ハーレムで惚れこんだジャズ、それにアフリカの神話や物語をキーワードに6つの場面から成る1幕物のバレエ音楽を紡ぐ。ジャズの故郷アフリカ、そして黒人文化全般に関心を抱いていたことが生きた。

 フルートのフラッター・タンギング(舌や口の奥を震わせる特殊奏法、ジャズでおなじみ)が聴こえてくる。シンコペーションのリズム、ドビュッシーも曲に織り込んだケークウォークのリズムも粋。ミヨーならではの精緻に飛翔する音彩、リズムの乱舞に酔いしれたい。
 アフリカ、黒人を仲立ちに世界の起源、天地創造に想いを寄せたミヨーの「世界の創造」は、クラシックのセオリーとジャズ・バンドのグルーヴ感を初めて高次元で融合させた佳品なのだ。

序曲「創造の前の混沌」~「動植物の創造」~「男女の誕生」~「男女の色恋」~「春または充足感」
ドビュッシー(1864~1918)/ビュッセル(1872~1973)編 交響組曲「春」
作曲 1887年
初演 1913年4月パリ、サル・ガヴォーでの国民音楽協会の公演、ルネ=エマニュエル・バトン指揮

 ドビュッシー若き日の「肖像」を聴く。フランス人芸術家の登竜門、ローマ大賞のプルミエ・グランプリ第1等をカンタータ「放蕩息子」でようやく受賞したドビュッシーは1887年、ボッティチェリ(1445?~1510)の名画「プリマヴェーラ/春」から霊感を受け、作曲に勤しむ。ローマ大賞絵画部門の受賞者マルセル・バッシェの「春」からも多くを授かった。
「苦しげに誕生し、しだいに花咲き、歓喜に達する自然の姿を描こうとした」(ドビュッシーの言葉、とされる)
 オリジナルの編成は、合唱、2台ピアノ、オーケストラだったが、楽譜製本所の火災でスコアは消失。作曲から25年後の1912年にドビュッシーの指示により、アンリ・ビュッセル(ビュセール)が合唱パートをオーケストラに編曲し、翌年パリで初演された。タクトを執ったのは通称ルネ・バトン(1879~1940)。ルーセル、ラヴェル、オネゲルとも関わった名匠である。

第1楽章 トレ・モデレ(とても穏やかに)
第2楽章 モデレ(中ぐらいの速さで)
オネゲル(1892~1955)交響詩「夏の牧歌」
作曲 1920年
初演 1921年2月パリ、サル・ガヴォー、ウラディーミル・ゴルシュマン指揮ゴルシュマン管弦楽団

 チェロ、コントラバス、第2ヴァイオリンの味わい深い調べに導かれ、ホルンが「夏の牧歌」を奏で始める。オーボエが息の長いメロディを歌い、フルートとクラリネットがさえずり、ヴァイオリンが細やかな音符で応えた頃、私たちはフランス6人組のスイス人作曲家オネゲルの虜になっている。
 1920年夏、28歳のオネゲルは、スイスの名峰ユングフラウを仰ぎ見るベルン州ベルナー・オーバーランドのヴェンゲンという村(標高1270メートル)で、このかぐわしい牧歌を紡ぐ。美しい渓谷ラウターブルンネルンを見下ろすヴェンゲンは両親の故郷でもあった。
 スコアには詩人アルチュール・ランボーの未完の散文詩<イリュミナシオン>の一節「私は夏の夜明けにキスをした」が掲げられている。
 編成はフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン各1、弦楽で、ベートーヴェンの「田園」を、ほのめかすフレーズも舞う。
コープランド(1900~1990)交響曲第3番
作曲 1944年~1946年9月
初演 1946年10月ボストン、シンフォニーホール セルゲイ・クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団

 第4楽章の冒頭を彩るフルートとクラリネットの穏やかな調べに、思わず微笑む、胸ときめかせる方もいらっしゃることだろう。単独でも演奏されるコープランドの人気曲「市民(普通の人々)のためのファンファーレFanfare for the Common Man」の調べ。
 第2次世界大戦中の1942年に、アメリカ国民・市民を励まし、人々の意識を高揚させるため高揚させるために書かれた楽曲からの引用である。ほどなく、ティンパニの強打を交えて金管楽器による壮麗なファンファーレが響く。木管、弦楽の妙技も舞う。
 第3楽章から切れ目なく演奏される、その第4楽章は、オーケストレーション(管弦楽法)の匠コープランド芸術のひとつの昇華で、壮麗なファンファーレもジャズやラテンのリズム、イディオムも、まさにお任せあれ。開放的な響きがホールを満たすが、戦争の悲劇を映し出す強烈な不協和音もまたこの楽章の命となる。
 多様なスタイルも魅力となる交響曲第3番について、コープランドは次のように語っている。
 「ジャズや民謡は引用していない。それに似た響きがあったとしても、無意識になされたものである。言い古された表現だが、音楽そのものに語ってもらうことを望む」

 ニューヨークに生れ、パリでナディア・ブーランジェ(1887~1979)に学んだコープランドは、ジャズのイディオムや明晰な響きを掲げた「モダニスト」として楽壇に名乗りを挙げた。しかし1929年の世界恐慌を契機に、自ら「課された単純性imposed simplicity」と呼んだ作風への転換を図る。古き良き時代のアメリカを映し出す音楽、躍動感ばかりでなく、詩情に夜想、聖歌、それに雄大な風景もキーワードとなるバレエ音楽を書く。「ビリー・ザ・キッド」「ロデオ」「アパラチアの春」の誕生だ。メキシコ民謡を素材としたオーケストラ曲「エル・サロン・メヒコ」や初のオペラ「ザ・セカンド・ハリケーン」も創られた。素敵な映画音楽も書いた。いっぽう、経済的な事情もあり、交響曲という古典的なフォーマット、純音楽からは遠ざかっていた。

 そんなコープランドに1944年春、2年前に設立されたクーセヴィツキー財団から交響曲の委嘱話が舞い込む。ラヴェルに「展覧会の絵」のオーケストラ編曲を依頼したことでも音楽史に名を刻むユダヤ系ロシア人指揮者セルゲイ・クーセヴィツキー(1874~1951)が、妻ナタリーの他界を契機に創った音楽財団である。バルトークの「管弦楽のための協奏曲」、ブリテンのオペラ「ピーター・グライムズ」、メシアンの「トゥーランガリラ交響曲」、ややあって武満徹の「地平線のドーリア」もクーセヴィツキー財団の委嘱作だ。

 1946年10月の初演後、ややこしい問題が発生する。第4楽章の終結部が冗長ではないかとの声があがり、初演の指揮者クーセヴィツキーがコープランドにカットを提案。これをコープランドはしぶしぶ認めた。その翌年、レナード・バーンスタインがイスラエル・フィルで演奏した際、彼はさらに(最後の19小節のうち)10小節のカットを施す。これも(本音はどうあれ)コープランドが認めたことになり、1966年にそれらのカットに基づく改訂版スコアが刊行された。
 後にコープランドはオリジナル稿の交響曲第3番を聴き、盟友バーンスタインがカットした箇所には第1楽章の冒頭主題と第4楽章の第1主題が含まれていたと「不満」を表明。現在はバーンスタインがカットした10小節を元に戻した復元版(1966年版も別終結部として併記)が刊行されている。この復元版は、レナード・スラトキン指揮NHK交響楽団、スラトキン指揮デトロイト交響楽団によって親しまれるようになった。両端楽章の主要主題が回帰する壮麗なグランドフィナーレまで聴きどころは尽きない。

第1楽章 モルト・モデラート、シンプルな表情で
第2楽章 アレグロ・モルト
第3楽章 アンダンティーノ・クアジ・アレグレット
第4楽章 モルト・デリベラート(とても慎重に、冒頭は自由に)~ドッピオ・モヴィメント(2倍の速さで)、アレグロ・リゾルート(決然と)
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