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異種楽器対談

第35回、第36回
ホルンの中村隆司さん、フルートの安田不二夫さん
ホルンの中村隆司さんが、フルートの安田不二夫さんになにやら尋ねています

中村
(中村)いやいやいやいやー!長かったようで短かったようですけど、来年の3月で終わりなんて、なんかさみしいような…。
安田
 (安田)終わりっていうか、オケの定年を迎えるっていうことだよね。
中村
あ、そうですね。
安田
 別に、僕が終わるわけじゃ…(笑)
中村
あっ、失礼しました!(笑)そういう意味じゃなくて…ごめんなさい(笑)ここは何年ぐらい…?
安田
 ここのオケに来たのは、33の時かな、確か。
中村
うわー、そうですか。
安田
 33だとすると…27年。
中村
27年間。すごいっすねえ。
安田
 でも、10代でオケに入った人もいるわけだから…仮に定年伸びたら、45年以上勤めるんだよ。
中村
はーっ!いやいやいやいや!
中村
安田さんは仙台フィルに入る前に確か、山響におられたんですよね?
安田
 そうそう。山形には27の時に入ったの。
中村
僕の大先輩にあたるんですけど、国立音楽大学卒ですね。
安田
 国立を出て、5年間は都内でフリーでいたんだよ。その頃はラジオはキー局で配信じゃなくて、各局で全部作ってたんだよ。今みたいにほら、録音技術もそんなないもんだから、全部収録してたわけ。
中村
なるほどねー。そうかあ。
安田
 それがオイルショックの頃、キー局から配信するようになったんだね、中央のテレビ局から全部配信が始まって、オイルショックの新聞記事が出てから3ヶ月は仕事が無くなった。
中村
ああ、そうですか。
安田
 それで困ったなと思ってたら、山形のオケができることになった。
中村
あ、じゃあ、山響が設立当時の楽団員?
安田
 そうそうそう。
中村
初代フルーティスト。すごいですねえ。
安田
 すごいかどうかは分かんないけど(笑)
中村
じゃあ、大学卒業してからのフリーの期間っていうのは景気が良くて、仕事とかけっこう色々あったんですね。
安田
 一番忘れらんないのはね、巌本真理さんっていたじゃない。ヴァイオリンの。あと黒沼さんってチェロの人(=黒沼俊夫氏。巌本氏と共に巌本真理弦楽四重奏団を結成。日本の弦楽四重奏の草分け的、指導的存在であった)。仕事を何度か、一緒にしてくれたんだよ。それが一番の思い出だね、フリーの時代の。
中村
ああ、そうですか。
安田
 山形に移ってから久しぶりに会って…山形大学のコンサートで。それが一番だね。
中村
そうですか…。都内で、5年ぐらい。
安田
 5年。22から27までフリー。で…しょせん、島流しみたいにさ、東京にいらんなくなっちゃって(笑)
中村
いやいやいや、そんな(笑)
安田
 それで山形行ったんだよ。最初は泣いてたよ。あんまり違うから。
中村
あ、東京と?
安田
 うん。4月に行ったんだけど、舗道に雪がいっぱい残ってんだよ。で、東京を出る時にさ、色んな思いを断ち切ってくるわけでしょ。音楽的な思いもあるし、経済的な思いもあるし。もっと違う精神作用のこともあるわけじゃない。それを全部、思い残してきて…その雪を見た時にね、今から40年ぐらい前の話でしょ?すごいこう…辛かったね。
中村
はあ。なるほどねえ。それで山形交響楽団に入られて、山響での思い出とか、そういうのは?
安田
 山響の思い出はね、それは一言では言えないぐらいあるんだけど…。
中村
何年間いたんですか?
安田
 5年。
中村
あ、意外と…短くもないけど…仙台フィルに比べると。
安田
 一番の思い出はね、マルタンのフルートコンチェルトをやったんだよ。それがね、絵の具をさ、色んな色の絵の具を、パレットにぶちまけたような音だったんだよね。当時20代の後半だったから、自分の精神作用と似てるようでね。それは忘れることができないっていうか。豪華絢爛でもあるし、別の見方すれば錯乱してる…狂乱の世界。
中村
ピカソみたいな。
安田
 そんな思い出が残ってる。当時出会った人達ってね、まだ高校生の森岡(正典さん)とかね、トランペットの。
中村
その当時は森岡さん、まだ高校生だったんですか?!うわっ…そうかぁ。
安田
 あとは、チェロのね…。
中村
(山本)純さん。
安田
 うん。あと石井(忠彦)君とか。
中村
えっ、学生だったんですか。
安田
 そうそう。山形大学で。
中村
うわー…。
安田
 あとは、トロンボーンの矢崎(雅己)君とか。あとは…副島(謙二)君とかさ。みんな、若かったんだよ。…それでね、これは言っとかないといけないんだけど、当時すごく優秀なホルンがいたの。ある時チャイコの5番(=チャイコフスキー作曲:交響曲第5番)があったんだけど、今でもその音を憶えてるんだけど…ビロードみたいなね。それが印象深かったんだけど、2、3年前に電話が来たんだよ。仙台にね。今、旅をしてるって。住んでた所を色々旅をしてて、山形に来て当時の仲間たちと呑んでるって電話が来たわけよ。で、僕にも会いたいって電話来たわけよ。その時言ってくれたのがね、「安田節が聞きたい」っていう。
中村
(笑)安田節。いいっすねえ。
安田
 そしたらね、それから1週間後に急に亡くなっっちゃって。
中村
えっ?!
安田
 仙台フィルでもチャイコの5番結構よくやるじゃない。色んな人がソロ吹いてくれたんだけど、ああいうソロってのはもう聴けないから、すごいさみしい。
中村
あー、そういう思いもあったんですか。
安田
 僕が生まれたのは昭和22年。戦後の。戦後で世の中が究極の危険からみんな脱出したわけよ。で、色んな所で子どもも生まれてきたし、いわゆる「ベビーブーム」。一つの教室に50人60人いてさ、それが1学年11クラス12クラスあるっていう。常に競争社会だった、何やるにしても。もちろん成績とか、運動会で走るとか、そういった競争は当然なんだけど、日常の中も常に競争だったわけよ。電車に乗るのも、プールに飛び込むのも。常に競争してたわけ。それが僕はすごい嫌だったんだよ。それで音楽の道に行こうと思ったわけよ。音楽に進めば、そういった競争社会からはぐれることができると思ったわけよ。そしたら一番競争の激しいとこだった。
中村
そうですよ。
安田
 でも、人と争うのはすごい嫌なんだよ。
中村
そうですか。なんか…イメージと違うっていうか…(笑)パッと見、ヤスさんって何か「おおっ」って引いちゃうようなところあるんですけど(笑)
安田
 そう見えるらしいんだけど…自分の本当の姿ってさ…争いごとがものすごい嫌なんだよ。常に平和でいたいわけ。
中村
そうなんですか。意外…。
安田
 それはもう生まれた環境がね、非常に不安定だしさ、常にこう…人と葛藤があって。それがすごい嫌なんだよ。今でもそう。それでこの世界に来たんだけど、この世界はもっと激しかったね。でも常に忘れないことは、誰かが倒れたら、とにかく手を差し伸べてさ、それで立ち上がってもらうことだよ。それは、僕は子どもの時から常にそうだった。
中村
…分かります。
安田
 それで、最終的には自分がすごい不利益を被るんだよ。
中村
いやいやいや(笑)そんなことないですよ。見てる人はちゃんと見てます。僕、実はね、ヤスさんの何気ない、あったかい言葉にすごく励まされたんですよ。ちょっと落ち込んでる時に、ポッと言ってくれる。それで随分、助かりましたよ。
安田
 なんかこう、今さ、倒れたらみんなで寄ってたかってさ、踏んづけて沈めてしまう…。
中村
(笑)弱肉強食っていうか、そういう風潮…。
安田
 そうそう。でも僕が生まれた昭和22年から30年前後までは本当にそういう社会だった。だから、それが嫌だったわけ。それは今でもそうなんだよ。でもなんか、僕のイメージが逆に取られるのは、すごくさみしい。
中村
いやでもね、そういう風に見てるようで、みんなヤスさんの人柄っていうのは分かってると思いますけどね。
安田
 そうかなあ。親しみを持って接すると、常に反撃されるけどね(笑)例えばある人にね、親しみを込めて喋る。すると向こうは何故か怒ってしまう。そういうことが何度もあるのよ。多分、人とのコミュニケーションの方法を知らないんだね。それが結局直んないでこの年になってしまった。
中村
ずっと一緒にいる人は分かると思いますけどね。
安田
 うーん、でも、誤解されることが多かった。
中村
そうですか(笑)
安田
 なんか、このオケにおとといぐらいに入ったような気がするんだけどな(笑)
中村
え?!(笑)
安田
 おととい入って、昨日何か仕事して、明日卒業みたいな感じになってきたね。
中村
あっと言う間、ってことですね。
安田
 だね。
中村
仙台フィルに入ってからの何か、印象に残るような思い出っていうのは。
安田
 芥川(也寸志)さんだね。
中村
芥川さんの時代。懐かしいですねえ。
安田
 もしあの人がもっと長く生きていれば、このオケはもっと違う状況になっていたかもしれない。すごく印象的な言葉があったんだよ。当時は僕、運営委員やってたから、このオケの将来について話し合ったことがあって。「安田君、世界には上手いオケって沢山あるんだ。上手いオケ目指すんだったら、ベルリンフィルをお金出して呼べばそれで済むでしょ。でも上手いの目指すだけじゃダメだ。」こっちはもう、若いからさ、ただ上手くなりたいだけじゃん。人より上手くなりたい。「誰が聴いても仙台のオケだって分かるような特徴を持ってくれ。」ってね。「上手いオケなんていくらでもある。君が知らないオケで上手いオケなんてゴマンとある。いかに仙台の音を作り上げるか。それを考えてくれ。」って言ってた。ずいぶん徹夜で話したことあるんだよ。
中村
あ、そうなんですか。芥川さん…懐かしいですねえ。
安田
 この短い時間では語り尽くすことはできないけど…今の若い世代は当然、知らないしさ。だからその辺を、もう1回みんな見つめ直して欲しいんだ。上手いオケになりたいのは当然なんだよ。それにプラス、仙台の特徴、仙台オケのパーソナリティーっていうかさ、それが欲しい。上手いオケって、例えばアンサンブルができてるオケ…それだけ求めちゃうとみんな小粒になってしまう。そうじゃなくて、その中でいかに仙台の特徴を作っていくか。彼がチラッと言ってたのは「個人の思惑で団体が動くと、あまりうまくいかないことがある。」っていうことを言われたことがある。つまり常に全体の意志で動けっていうこと。
中村
独善的ではダメと…。
安田
 ま、声が大きい人とか、あるいは優位な立場の人とか、そういった人が全体を動かしてしまうと、その全体が崩壊する恐れがあるっていうことだよ(笑)それをある時ボソッと言ったんだけど、その時はだいぶお体の具合が悪くてね。だからかなり弱気になってたのかもしれないね。
中村
その芥川さんのやってる最後ぐらいに僕入団したんですけど、演奏旅行があって、演奏会終わった後でね、何人かで近くのお店で呑んでたんですよ。そしたら芥川さんも入ってきて、こんなペーペーの若者までビールかなんか注いでもらって、あれには感激したっていうか…ああ、この人の人柄って…あったかい人なんだなって、個人的には感じたんですけど、その時。
安田
 …そういった人が少ないのは残念だね(笑)
中村
(笑)今の日本の世の中もそういう、殺伐とした…。
安田
 だから、音楽も必要だしオーケストラも必要だと思うんだよ。
中村
ですよね。音楽っていうのはやっぱりこう、人の心を癒して…。
安田
 心っていうか、自分たちは社会の土台の上に成り立ってるんだから、自分たちは、もっと音楽的にも人間的にも社会的にも、もうちょっとグレードアップできたらいいな。そんなようなことを感じる。あと数ヶ月でこのオケを卒業するんだけど…芥川さんじゃないけど、誰が聴いても仙台のオケだなっていう、そんな音を作り上げてくれたら、うれしいかなって思ってるんだけどね。だって何の特徴もなかったらさ、それは自分たちの街オーケストラじゃないわけじゃん。そうでしょ? 楽天という野球チームがあるじゃん。負け続ける…でもなんでみんなあんなに応援してくれるんだろう。あんな情けないチームじゃん。でもお客さんは喜んでくれるんだよ。このオケに必要なのはそれなんだよ。上手いだけじゃダメなんだって。そんなようなことを最近感じてんだけどね。
安田
 僕は名古屋の生まれだから、東北の風土って全然知らなかったんだよね。で、18まで名古屋にいて、あと東京に9年いて、そのあとこっちだから、今はこっちの人間なんだけど、温かいよね、空気が。人の触れ合いっていうか。すごい、きれいだよ。東北は美しい。きれいっていうのはもちろん見た目がきれいっていうのもあるんだけど、全てが美しいんだよ。「美しい」っていうのは、精神的な意味で美しいんだよ。人間っていうか…それはもう、みんな美しいんだよ。そこが肝心なんだよ。仙台は美しいんだよ。

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