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楽団員インタビュー~ハーモニーな楽屋~

構成 / 西大立目 祥子

Vol.85 ヴィオラ副首席:飯野 和英Interview

ヴィオラ 飯野 和英

回り道はしたけれど、ヴィオラに本気で向かいあってきました。
入団を認めていただけたうれしさを、演奏でお返ししていきたいです。

 

 

 

作曲もするし、いまハープ、サックス、フルートも学んでいるんです。表現の巾を広げ音楽家として活動したいですね。もちろん、バスケをかたわらに。

ヴァイオリンを再開し音楽の道へ

ヴァイオリンを自分でやりたいといって始めたのは5歳のとき。 でも中2のとき、一度やめたんですよ。親にも相談しないで。 「先生、今日でやめます…」意を決してそういって、外に出たとき のきれいな星空とすがすがしい気持ちをいまも覚えています。 でも先生からすぐ親に電話が入ったらしく、帰ったら大騒ぎ でしたが(笑)。

というのも、音大卒で中学の音楽教師をしていた母の目が きびしくて…(笑)。レッスンにも時々付いてくるし、家でさらう ときも付きっきり。そのかいあって小5でメンデルスゾーンのヴァイ オリンコンチェルトが弾けるようになったんですが、友だちと 遊ぶ時間はない、首も指も痛い。もう限界だったんですね。

でも、その3年後、高2のとき、通っていた高校で普通科から 音楽科に転科して再開するんです。物理とか漢文とか何の ために勉強するのかがわからなくなる中で、ヴァイオリンが むしょうに弾きたくなって。高3の夏には吉川朝子先生のレッ スンに通い、音大をめざす決心をしました。音程は悪いし、 指は動かない…3年のブランクを取り戻すためには、もうがむ しゃらにやるしかなかったです。

つらいときの息抜きは、もと国体選手だった父が教えてくれ たバスケットボールでした。気持ちのいい汗をかいてストレスを 発散する習慣は、小学生のときからずっと変わりません。高校の ときは地域のクラブチームでプレーしてたんですよ。いまも手元 にはいつもバスケットボールがあるんです。

回り道をしてヴィオラと出会う

東京音大に合格できたのですが、ヴァイオリンで受験した のにヴィオラ枠。“ヴィオラ落ち”といわれることもあって、屈折し まるでやる気を失いました。大体、譜面が違う。ぱっと見て、 読めなかったんですよ。金髪のメッシュにして、遊んでました。

でもあるとき、チェロをやってる同い年の従兄弟と再会した ら、東京藝大で真面目に勉強してすごく進化していて、衝撃を 受けたんです。自分は2年近くも何やってたんだろう、って。 やり直そうと大野かおる先生の師事を仰いだのですが、その ときいわれたことは忘れません。「頭を染め直してきなさい、 1日25時間さらいなさい」と。

僕は比較的からだが大きく指も太くて、取り組んでみると ヴィオラが合っていると気づきました。ヴァイオリンは弦と弦の 間がせまく半音押さえるのに苦労していたのに、それが楽にでき 指先の使い方で音色を変えることを考えるようになりましたね。

もっとアンサンブルを勉強しようと東京藝大大学院に進み ましたが、まわりの音が聴けなくて怒鳴られることの連続。 でも何をいわれてるのかもわからない始末でしたが、サント リーホール主宰の室内楽アカデミーに参加して勉強を重ね、 少しずつ他のパートを聴き自分の仕事を果たしていくことを 学んできました。室内楽ではヴィオラはいわば司令塔。全体を 引っ張る要なんです。

回り道したけれど、決断は全部自分でして失敗も引き受け、 足りないものは自分で求めてきた。それは胸を張っていえます。 これからは、先輩に学びながら求められる以上の仕事をして いきたいですね。いまは、身が引き締まる思いです。

いいの かずひで
東京音楽大学卒業後、東京藝術大学大学院音楽研究科ヴィオラ専攻修士課程を修了。2015年 9月から1年間フランスに留学。第19回コンセールマロニエ入選、第12回日本演奏家コンクール 弦楽部門最高位など受賞多数。これまでに吉川朝子、兎塚俊之、大野かおる、川崎和憲など 各氏に師事。2017年1月ヴィオラ副首席に就任。1988年千葉県八千代市生まれ。

第306回定期演奏会(2017年1月21日)プログラムより

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