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楽団員インタビュー~ハーモニーな楽屋~

構成 / 西大立目 祥子

Vol.81 ホルン:溝根 伸吾Interview

ホルン 溝根 伸吾

じぶんの力が上がることが、オーケストラのクォリティアップにつながる。
そう信じて、一人でも多くの人に少しでもいい音楽を届けたいですね。

 

 

 

大学院時代からピラティスやってるんですよ。やせたし、やると気分すっきり。仙台フィル受かったのはピラティスのおかげもあるかな。

父の反対を押し切り音楽の道へ

ホルンを初めて手にしたのは、小5のときです。公立の小学校 だったんですが、オーケストラクラブがあったんですよ。友だちに 誘われ行ってみたら、ねらっていたトランペットはもういっぱい。 ホルン、トロンボーン、ユーホニウムの3つを吹いて、いちばん相性 のよかったのがホルンでした。熱心な先生が顧問で、朝、放課後、 夏休み、とホルン漬け。中学も吹奏楽部でホルンを続けました。 掛け持ちでバレーボール部もやってたんですけどね。

進学した日比谷高校でもオーケストラ部でホルンを担当し、 高1の夏にソロコンクールに出場しました。10歳から続けてきて 中2からはプロの先生に習っていたし、小学校時代のOBオケ でも吹いていた。けっこううまいんじゃないかと自信があったん ですよ。ところがそこから先に進めなくて、これはもしや全然うまく ないんじゃないか、と(笑)。悔しくて、つきつめてやってみようと 音楽の道を考えるようになったんです。

その当時習っていた伊藤泰世先生はよろこんでくれ、音大 出身の母も認めてくれたんですが、父は猛反対。「やりたい」 「ダメだ」…そんな会話が1年近く続き家の中の雰囲気が暗く なるほどでした。伊藤先生が父を説得しようと設けてくれた面談 が忘れられないですね。東京藝大なら許す、と父が折れたの ですが、1年目は失敗。一浪して合格できたときは本当にうれし かったです。父もよろこんでくれました。もしかすると期待もあった のかな。

藝大は管楽器が少ないぶん、つながりが強くて、アンサンブル を組んだり、過激な飲み会を楽しんだりしました(笑)。

新しい奏法を身につけるまでの試行錯誤

試練もありました。大学のとき奏法を変えて、いい音が出せずに 苦しんだ時期があるんです。きっかけは、受験中にみていただくよう になった阿部雅人先生に「その吹き方では藝大には受からないよ」 と指摘されたことです。何とか付け焼き刃で受験は乗りこえたものの、 その後、新たな奏法が身につくまでの間、試行錯誤が続きました。 ホルンは、マウスピースを当てる位置、角度、口の開け方はもちろん、 自分の骨格や口のかたちで吹き方が変わるし、そうした中から 最善の吹き方を創り出さなくてはなりません。新しい奏法が身に ついたと思ってレッスンに行くと、「元に戻っているよ」といわれる こともあって、4オクターブが出せるようになるまで2年近くかかった でしょうか。

そういう意味で、先生との出会いは大きいですね。藝大時代は 日高剛先生にもいろんなことを学びました。先生は本人に気づかせ 学ばせる方ですが、一度、逃げ腰で演奏したときは「おまえ、使え ない」と、ガツンと一言。その言葉で迷いが吹っ切れたことがあり ます。

仙台フィルの家族的な雰囲気が自分に合っているかな、と入団 したのはちょうどロシア公演の月。仙台国際音楽コンクールもあって、 忙しさの中で1年が過ぎました。少し落ち着いてきた昨年、念願の ドイツ留学を果たし、ミュンヘンで勉強してきました。

オケの団員ということは70分の1の存在ですが、それでも個々 がクォリティを上げることが、オーケストラのレベルアップに大きな ウェイトを占めると感じています。少しでもレベルアップしていい音楽 をお届けしたいですね。それと、教えることが好きなんです。幸い、 生徒も増えつつあるので、いつかプロのオケに入れるような人材 を育てられたら、と思っています。

みぞね しんご
東京藝術大学を経て、同大学院修士課程終了。これまでクインテットメンバーとして、大阪国際室内楽コ ンクール、ミュンヘン国際音楽コンクールに出場。2013年、仙台フィルにホルン2番、4番奏者として入団。2 015年から2016年にかけて、ミュンヘン音楽演劇大学に留学し、J・ヒンターホルツァーに師事。1987年 東京都生まれ。

第302回定期演奏会(2016年7月15日,16日)プログラムより

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