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楽団員インタビュー~ハーモニーな楽屋~

構成 / 西大立目 祥子

Vol.78 ホルン 大野 晃平Interview

ホルン 大野 晃平

ホルン奏者の父の存在を意識しながらも、自分で選びとった音楽の道。
自慢できることがあるとしたら、練習を重ねたことでしょうか。

 

 

 

温泉めぐりが楽しみなんです。鳴子のお湯がいいですよねぇ、大きいホテルから小さな宿まで一軒一軒違ってて。

負けん気で猛練習して音大へ

ホルンて、受け持つ音域が高い“上吹き”と低い“下吹き”とあるの知ってますか?オケは通常4本のホルンですが、1番と3番が上吹き、2番と4番が下吹き。そうですねえ、3度からオクターブぐらいの音程の違いでしょうか。役割も異なるし、奏者の性格も違うかも(笑)。リーダーシップとって思い切りいいのが上吹きで、それについて行き助けるのが下吹き、かな。僕は、下吹きなんですよ。

というのも、父がN響のホルン奏者で、上吹きだったんです。あれこれ、くらべられるの、嫌ですからね(笑)。かなり早い時期に下を選びました。

といっても、父が敷いた道をまっしぐらにというんじゃないです。始めたのは9歳、小学校の音楽クラブで何となくホルンを選んだからなんですが、当時僕は学校になじめなくて、このクラブが唯一の居場所だったんです。父にしてみれば、同じ道に入っては欲しいけれど、プロのきびしさがわかるだけに自分でその道を選びとって欲しかったんでしょうね。

音楽の道に、と決めたのは高2の夏。吹奏楽部だったんですが、下手くそなのが悔しくて一からやり直そうと、父と守山光三先生についたんです。そこでアンブシュア(楽器の吹き方のフォーム)をかえたとたんにドレミファソしか吹けなくなって。でも、やれると自分を信じて猛練習して藝大に入りました。

でも同級生にくらべるとまだまだ下手。また負けん気が出てとにかく吹きましたよ。食事する時間が惜しくて1日1食にして、朝8時から夜11時まで練習していた時期もありました。まわりの上手な人に伸ばしてもらったんだと思っています。

金沢公演での大きな拍手を胸に

卒業後、仙台フィルに入団しました。やはりプロは違いますよね、求められるものが。学生時代はいかにうまくなるかだったけど、オケはいかにアンサンブルするか。一人でやるのとは違い、こういう場面ではこういう音色にすればいいんだ、こう合わせればいいんだ、という発見の連続です。

入団当時は外山先生でしたが、ヴェロさんになってずいぶん変わったと思います。音楽の縦の合わせ方よりフレーズ感や流れを大切にするようになったし、何といってもプログラムにフランスものが増えてきた。ま、そろそろホルン吹きとしては、ドイツものをやりたくなってはいるんですが(笑)。

震災は大きな経験でした。あの日は降り番だったんです。電気は止まるし携帯はつながらないし、車で東京の実家に向かいしばらく身を寄せていました。でもそれが嫌になってね、戻ってきて若林区で泥かきのボランティアをずいぶんやったんですよ。

忘れられないのは、2011年4月の金沢公演です。お客さまは総立ち。人間てこんなに大きな拍手ができるのかと思うほどの拍手の波にのまれるようでした。自分としても、演奏の再開を胸に刻みましたね。

 仙台フィルはいいサウンドを積み上げてきたけれど、これからさらに若い人が入ってきて、音も変わっていくと思います。いままで培ったものを活かしながら変化できるといいですね。僕自身は結婚して子どもが生まれ、練習時間をどう確保するかが課題。実は奥さんもホルン吹きなもので、お互いの練習をやりくりしてるところなんです(笑)。

おおの こうへい
12004年に東京藝術大学を卒業し、翌年4月に仙台フィルの2、4番奏者として入団。これまで、父の大野良雄のほか、日高剛、松崎裕、守山光三に師事。別府アルゲリッチ音楽祭、アフィニス夏の音楽祭に参加している。1981年、東京都練馬区生まれ。

第299回定期演奏会(2016年3月18日,19日)プログラムより

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