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楽団員インタビュー~ハーモニーな楽屋~

構成 / 西大立目 祥子

Vol.77 フルート 宮嵜 英美Interview

フルート 宮嵜 英美

10歳のとき出会ったフルート。その音色に心ひかれ、あこがれ、
吹けるようになりたい一心で、ここまで続けてきました。

 

 

 

楽しみは温泉めぐりとお酒(笑)。仕事もしてますよ。パトナホールでやる室内楽シリーズ。次回は2月28日です。ぜひ来てね!

小4からフルートにまっしぐら

フルートとの出会いは、山形由美さんの演奏を聴いたことなんです。7歳か8歳のとき、家族でディナーショーに行ったんですよね。美しい人がうっとりするような美しい音色を奏でている!その音の虜になってしまいました。

始めたのは、小4で学校の吹奏楽部に入ってからです。そこでフルートと運命の再会(笑)吹いたらすぐに音が出せて、不思議と吹くイメージが持てて私に合うと感じました。40人ぐらいの部員がコンクールめざして、朝練、放課後練。親におねだりして、小5のクリスマスにピアノの上にフルートケースが置かれているのを見つけた時は、うれしかったですねぇ。

そのころから、個人レッスンに通い始め、中1からは岡山市のジュニアオケに入団。毎日曜日、楽器をリュックに入れて後楽園のそばを自転車で通い、中学でも吹奏楽部に入りました。勉強の時間?聞かないでください(笑)。

岡山って、プロ、アマ、学生を問わずフルートが盛んなんですよ。フルートの会という団体の会員になり、その定期演奏会で出会ったのが、当時高校生であちこちのコンクールで優勝していた藤井香織さんでした。めちゃくちゃ上手!衝撃でした。そのとき、香織さんが通う東京藝大附高にいけばこんなになれるのか!そこで学びたいと単純にも思ってしまったんです(笑)。両親は反対でしたが、中3で受けた学生音楽コンクールの東京大会で入賞して道が開けました。習っていた先生が両親を説得してくれ、審査員だった三上明子先生が受験をすすめてくださって。そして、合格できたんですよ。

大事故をのりこえて吹ける喜び

藝高から藝大へ進み三上明子先生のもとで勉強を続けました。私にとっては、三上先生が心からの先生ですね。三上先生の音楽は繊細で型にはめ過ぎることなく柔軟で、当時は先生に聴いてもらえるのが喜びで、教えていただいた全てが自分の理想となりました。

でも、大学2年のとき試練が訪れました。学校で消灯まで練習したあと、帰宅途中に2トントラックにはねられたんです。鎖骨骨折、歯の損傷、肺挫傷…実は脳死の一歩手前でした。でも私にとって一番ショックだったのは、事故の深刻さよりもいつものイメージで楽器を吹いたら音が出なかったこと─。しかし、生きている!生かされていることに感謝をおぼえ、家族や友人、先生に励まされ、少しずつ回復する中で音も出るようになり、この経験は自分の音楽の糧になると前向きに考えられるようになりました。退院後は1年間、岡山から出てきてくれた母に面倒を見てもらって大学に通い、リハビリを続けました。本当に家族の支えがなかったら、いまの私はありません。

卒業後は岡山に戻って活動したのですが、やっぱりオケに入りたくて仙台フィルのオーディションを受けました。入団が決まる前、ヴェロさん指揮でビゼーの「アルルの女」のセカンドピッコロを務めたのが忘れられません。

8年経ちますが、新しい課題もたくさんあり、つねに勉強ですね。震災のあとは被災地にも出向きました。ためらいもあったけれど、演奏することで音楽によって自分自身が救われている気がしました。仙台フィルはみんなあたたかく地方オケのよさがあると思うんです。そのよさを発揮しながら、時代に合わせ生まれ変わっていけるといいですね。音楽ホールも実現したい!

みやざき ひでみ
10歳からフルートを始める。1996年、全日本学生音楽コンクール東京大会<中学の部>フルート部門第2位。1998年、同大会<高校の部>第3位。2001年、日本フルートコンクールびわ湖に入選。同声会新人演奏会に出演。東京藝術大学を卒業後、岡山でのフリー活動を経て、2007年仙台フィル入団。1981年岡山市生まれ。

第298回定期演奏会(2016年2月12日,13日)プログラムより

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