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楽団員インタビュー~ハーモニーな楽屋~

構成 / 西大立目 祥子

Vol.76 首席オーボエ 西沢 澄博Interview

首席オーボエ 西沢 澄博

恩師の宮本文昭先生との出会いが、
演奏家としての基本姿勢をつくってくれました。

 

 

 

祖父母はリンゴ農家でした。子どもの頃、手伝いにいって眺めた岩木山が僕の原風景ですね。

リードづくりに時間を費やす

オーボエ吹き同士が酒を飲めば、まずはリードの話。そのぐらい最重要課題なんですよ、リードって。木管楽器の中でも一番小さくて、繊細。2枚のリードの隙間に息を吹き込んで音を出すんです。

南フランス産の葦を使って基本的にプレーヤーが手づくりするんですが、1本ずつ個性があって、ダメなリードだと別人のような音がする。そのぐらい演奏を左右します。1本のリードの寿命は20~30時間ほど。旬があるので、そのピークに本番がくるようにいつも20~30本ほどのリードを携えていて、曲ごとにリードを変えることも多いですよ。練習とリードづくりとどっちに時間を割いてるかって?もちろんリード(笑)。練習2時間なら、リードづくりは4時間です。

このリードづくり、初めは父に習いました。父は教員の仕事の傍ら市民オケでオーボエを吹いていたんですね。僕がオーボエを始めたのは中1のときで、吹奏楽部への入部がきっかけです。見学にいったら、その年からオーボエを加えることになり、「はい、君はオーボエ」と渡された。どうも教員同士のつきあいがあって、図られたみたいなんですよ(笑)。家で吹いていると、姿勢が悪いだの、音が違うなど横やりばかりでイヤでしたね。

でも、のちに恩師になる宮本文昭先生のCDを買って聴かせてくれたのも父。こんな音が出せたら、とだんだん夢中になっていきました。高校はミッション・スクールで、大きな礼拝のときは全校生徒の前でオーボエの独奏を任されることもあり、だんだん度胸がついていった気がします。

両親の反対を押し切って音楽の道へ

音大に行きたい。高1でそんな希望を持つようになったのですが、両親は大反対。説得して、ようやく1回だけチャレンジする許しをもらいました。実は、中学も高校も受験に失敗していて、もう失敗できないと追いつめられた気持ちでした。結果は合格。いやあ、よかった!東京での勉強が始まりました。

大学3年になるときあこがれの宮本先生が教授に就任され、それまで学んでいた先生の勧めで門下になりました。最初の頃は、音の響かせ方の徹底指導で、一音二音だけでレッスンが終わってしまう。いざ協奏曲をやれば、一週間に4小節しか進まない細かさ。「そんなんだったら、やめろよ」と、ずいぶん厳しいこともいわれました。とにかく熱い方で、練習の仕方からリードのつくり方、燕尾服のたたみ方(!)まで、すべてを教えてくださいました。

仙台フィルとのご縁をつくってくれたのも先生です。3年の冬休みに、オーディションを受けるようにいわれたんですよ。その時は結局採用なしという結果だったのですが、4年の春に、「今年中にオケに入団することがノルマ」と言い渡され、必死に練習し2度めの挑戦で合格しました。入団の際は「誰よりも練習していきなさい」「スコアを読んで、曲を俯瞰しておきなさい」とアドバイスされましたし、先生が演奏するリハーサル現場にも沢山連れて行ってもらいました。

仙台フィルは大学出たての自分を本当に温かく迎えてくれました。ポジティブで風通しがいいのがこのオケのいいところですね。入団から14年が経ち、20代でできたことができなくなる一方で、その逆もある。その年代でしかやれない演奏を、楽しみながらやっていきたいと思っています。

にしざわ きよひろ
東京音楽大学で、宮本文昭、安原理喜の両氏に師事。2002年、卒業と同時に仙台フィルに入団。この年の夏、小澤征爾とロストロポーヴィチらによって行われた「キャラバン2002」のメンバーに選ばれツアーに参加。1979年、青森県弘前市生まれ。

第297回定期演奏会(2016年1月22日,23日)プログラムより

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