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楽団員インタビュー~ハーモニーな楽屋~

構成 / 西大立目 祥子

Vol.74 首席テューバ ピーター・リンクInterview

首席テューバ ピーター・リンク

シカゴで学び直したことが自分の宝物になった。
この経験を活かして、仙台フィルを少しずつよくしていきたいね。

 

 

 

ハーレーに乗って、ツーリングを楽しんでます。食べもの?ウニ、ホヤ、タコは勘弁!

音楽大学で勉強し直し、米国のオケで活躍

アメリカ陸軍音楽隊のメンバーとして日本に初めて来たのは、1996年でした。4年間、神奈川を拠点に演奏活動をしていました。その後、結婚したこともあって米軍を辞め、神奈川で2年間英語の教師もしました。奥さんは日本人です。そのころの僕はもっとやせてて、髪もフサフサだったね(笑)。

そうこうするうち、アメリカの友だちが「シカゴのデパール大学に進学するから、いっしょに行かないか」と連絡をくれたんです。いつか音楽大学で勉強したいと思っていたので、受けにいったら受かった!もう25歳だったのだけれど、シカゴで大学に通う暮らしが始まりました。卒業後は、オーディションを受けてシカゴシビックオーケストラに入団。ここはシカゴ交響楽団のトレーニングオケで、世界中から集まってくる団員はみんな若くていっしょに勉強する雰囲気があふれてる。ときどきシカゴ交響楽団と演奏することもあって、すばらしい3年間を過ごしました。

シカゴは音楽の街。フリーランスで活動できる場がいろいろあるんです。2年間はシカゴの南にあるシンシナティ交響楽団で首席代理で吹いていました。バレンボイム、マゼール、デュトワ…そんなすごい指揮者が振りにくる。本当に勉強になったんです。

とはいっても、テューバはオケに1人。だから、アメリカと日本のオケのオーディションをあちこち受けてました。ニューヨークフィルは、最後の3人に残ったんだけどダメだった。そうして、82人もオーディションを受ける中、仙台フィルに決まったのが2007年のクリスマス。振り返ると、初来日のとき最初に仕事をしたのが仙台だったんですよ。

オケの土台を支える仕事をていねいに

音楽と出会ったのは小6のとき。向こうは夏休みにサマーバンドという活動があるんです。友だちと行くと、残っていたのがボロボロのユーフォニウムで触っているうち吹けるようになったんです。翌年また行ったら、今度は先生がテューバを指さした。それまでは、朝顔の部分をバスケットのゴールネットに見立てて、よく紙を丸めて投げ入れて遊んでたんだよね(笑)。マウスピースに口が届かなくて、父が分厚い電話帳を2冊束にした台を作ってくれました(笑)。

独学で工夫を重ねて、最初にレッスンを受けたのは高1の時かな。僕はちょっとできるなら、必ずもっとできるようになると考えるタイプ。CDを聴いたりして勉強し、大学に行くころには自分の音のイメージができていました。いま何人か教えているけど、日本の人はすぐ答えを聞くかな。ものすごく正確に吹くけど、自分の内側から生まれ出るものが少ない…という人もいるね(笑)。もちろん、話している言語が違うから、音の味わいも違うものなんです。

僕はテューバに限らず低音の楽器が好き。コントラバス、チェロ…低い音同士がテンポ、タイミングを聴き合ってオケの土台を支えてます。仙台フィルは、少しずつ変わってきましたね。指揮者が変わり、メンバーが交代すれば、音も変わる。ちょっとずついい方向にいければいいよね。やはり、必要なのは音楽ホール。ホールができればまた成長できると思います。お客さんは、もっと入って欲しいなあ。

来年度の定期演奏会で、テューバコンチェルトをやります。ぜひ聴きに来てください!

Peter LINK
バージニア州ノーフォーク陸軍音楽学校卒業後、1996年から3年間アメリカ陸軍音楽隊のメンバーとして日本に派遣。帰国後シカゴのデポール大学に入学し、在学中はフロイド・クーリー、ジーン・ポコーニ、ロジャー・ロッコ(バンダークック大)などの名手に師事。2008年に仙台フィルハーモニー管弦楽団テューバ奏者に就任。1976年、アメリカ合衆国バージニア州バージニアビーチ生まれ。

第295回定期演奏会(2015年10月23日,24日)プログラムより

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