TOP> 楽団員インタビュー> 楽団プロフィール> 仙台フィルについて> 楽団員インタビュー~ハーモニーな楽屋~

楽団員インタビュー~ハーモニーな楽屋~

構成 / 西大立目 祥子

Vol.71 首席ティンパニ 竹内 将也Interview

首席ティンパニ 竹内 将也

伝説のティンパニスト有賀誠門先生との出会いがなかったら、いまの僕はない。
先生のおっしゃる「リズム観」で、日常すべてがつながっていく!

 

 

 

先生を見習い、5年前から合氣道を習い始めました。まだまだ段は取れませんけどね。家では、ようやく手に入れたピアノでベートーヴェン交響曲のピアノ編曲版を弾くのがすごく楽しい!

衝撃だった有賀先生の最初のレッスン

3月の定期演奏会、楽しかったでしょ!「2人のティンパニストとオーケストラのための幻想的協奏曲」で、ついに僕は恩師、有賀誠門先生との共演という夢をかなえることができました。

ティンパニとの出会いは吹奏楽部に入った中1のときです。それまで鼓笛隊でやっていた金管楽器を続けようと入部したんですが、女子先輩のドラムス姿に目が釘付け。ころっと打楽器に心変わったところで、部に新しいティンパニが届いた。包容力と温かみのある音に惹かれました(笑)。

音楽は小さいときから大好きでした。父がブラザーミシンに勤務していて、当時電子オルガンを販売していたことでその音楽教室に。いろいろなジャンルの曲を楽しみ、ソルフェージュもきちんと教えてもらえたことに感謝しています。

高校に入学したら吹奏楽がなく、管弦楽部だけだった。それが初めてのオケとの出会いでした。1 2 0 名の部員がいる活発な楽団で、O Bによる指導体制がしっかりしており、中にはプロオケのティンパニ奏者もいる。自然と音大進学が視野に入ってきたんです。

東京藝大の打楽器科をめざし有賀先生の門をたたいた最初のレッスンは忘れられません。レッスンは2 0 人位いっしょ。課題は何かというと、ラップの芯の大きいやつ… ほら、カーペット買うと巻いてある硬い芯あるでしょ。それを両手で持ってティンパニで「運命」の冒頭の部分を「やれ」というんです。あそこね、「ダダダ、ダーン」の前に八分休符が入っているんですね。その休符を一発で表現しろと。順番が回ってきて、やりましたよ。そのとたん怒鳴られた。「帰れ―ッ!」って(笑)。

音楽観を徹底的に学んだ4年間

藝大に入学して、その意味を身をもって知ることになりました。打楽器は打ち下ろすんじゃない、打ち上げるんだと。up、downのupが大切だと。先生はこれを「上の発想」とおっしゃいます。

先生は凄い。まず音が、これまで聴いたことのない音でティンパニの概念がひっくり返りました。きびしくて喝をいれられることも多いのに、なぜか学生はニコニコ。律動的でイキイキとしている。楽器の準備、仕事の段取り…すべてに息づかい・リズム感があらわれるということがわかりました。身体・リズム・生命…そのつながりを先生は同時期に藝大にいらした解剖学者の三木成夫先生、野口体操の野口三千三先生らと刺激しあって実感し、確認してきたのでしょう。ちょうど新しい奏楽堂のオープニングもあり、先生のそばでプロデュースやマネジメントも学びました。

卒業後はバブル崩壊と重なり仕事がなく、トラックの運転手までやって1年間イギリスに留学しました。そのあと先生のご紹介で2年間、エジプトのカイロ音楽院で打楽器を教えました。気候も習慣も考え方も全く違う中で奮闘しましたよ。

エジプトに渡る直前、定期によばれたのが仙台フィルとの最初のご縁でした。入団して13年。いつも有賀先生ならどうやるだろうと考えながらやってきました。だから、3月定期は大きな節目だったんです。

仙台フィルはオケの中が有機的につながるようになってきましたね。すべてを指揮者にゆだねるばかりではなく、基本は自分たちでやる。だからこそ様々な指揮者と仙台フィルの音楽がつくっていけると思います。

たけうち まさや
13歳からティンパニを始め、都立富士高校を経て東京藝術大学打楽器科を卒業。師事した有賀誠門から多大な影響を受ける。卒業後はイギリスに渡りBBC交響楽団首席ティンパニスト、ジョン・チャイムズに師事。その後、エジプト・アラブ共和国カイロ音楽院教授として、カイロ音楽院打楽器アンサンブルを主宰するなど後進の指導にあたった。2002年仙台フィル入団。1976年東京都生まれ。

第292回定期演奏会(2015年6月19日,20日)プログラムより

このページのトップにもどる