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楽団員インタビュー~ハーモニーな楽屋~

構成 / 西大立目 祥子

Vol.66 ヴァイオリン ヘンリ・タタルInterview

ヴァイオリン ヘンリ・タタル

民主化のビロード革命のあと、スロヴァキアから仙台へ。
1年の滞在と考えていた仙台は、じぶんの大切なホームになりました。

 

 

 

いまは、サンマの刺し身も食べられます。納豆は臭いので、マスタードを入れてブルーチーズの代わりに食べてたよ(笑)。趣味は写真、パソコンづくり。

自由を手にし、東洋の国へ

1989年は、僕にとって忘れられない年です。冷戦時代、共産党支配下のスロヴァキアに生まれ育ちました。市民の暮らしは常に秘密警察の監視下におかれ、国外に出ることは許されなかった。それが、改革のうねりが東ヨーロッパに広がって、ついにこの年、ベルリンの壁が崩れたのですから。ビロード革命とよばれる民主化の革命が起きたのは、17歳のときのことでした。

ヴァイオリンを始めたのは6~7歳のころ。父が小さいときにやっていたんですね。共産国では外国のPOPミュージックを聴くことは制限される一方で、伝統的なクラシック音楽の教育はシステム化されていました。その中で、最初に学んだマダリ先生をはじめ、夢を与えてくれるいい先生につぎつぎとめぐりあえたことはとてもラッキーでしたね。15歳からは、オーディションを受けて芸術専門のコンセルヴァトワールで勉強しました。レッスン室を確保するために、朝4時半に起きてバスに乗って学校へ行き練習しましたよ。とれないときはトイレで練習(笑)。

革命後、生活は一時期とても混乱しましたが、国外で勉強したいという夢が、かなうことになりました。奨学金をもらい、ポーランドやスイスの音楽大学で学び、ユース・オーケストラのメンバーとしてカナダへも演奏旅行に行きました。仙台のことを聞いたのは、当時同じ門下でいっしょに勉強していた日本人留学生からです。「若い人がいっぱいのオケがあるよ」と。地図で見たら、仙台は海に近い街。海のない国で育った僕にとって、海はあこがれ!ようやく得た自由だから、いろんな国を見たかった。1年、と決めてオーディションを受けにやってきました。

お客さまと音楽にひたるしあわせ

オーディションは通ったものの、1年では言葉も通じず友だちもできなかった。もう少し頑張ろうと2年延ばしました。だんだん生活も仕事も充実してきて、また延期して。そうこうするうち、奥さんと出会って結婚することになったんです。帰国はとりやめ、2004年、2人で仙台を拠点に活動することに決めました。

仙台に暮らして15年。娘が2人生まれて、仙台フィルで毎日仕事して、ここが自分のホーム、大事な街になりました。仙台フィルも家族ですね。

ステージの椅子にかけたときは、まずお客さまの顔を見ます。お客さまを感じながら音楽にひたるときが、いちばんしあわせ。集中して自分がなくなってしまうようなしあわせな時間は、すぐに終わってしまうけれどね。そして、音楽は人を助ける。震災のあとは、強くそう感じました。つらいこともさびしいことも忘れることができるから。

クラシックは緊張するという人もいるけど、「今日のソリストはどんなドレス?」そんな興味からでもいいんじゃない? ヨーロッパだと、休憩のときホールのバールで友人とワインを楽しみ、終わったらいっしょに食事に繰り出したりする。音楽を聴くだけじゃない、そんなクラシックを気楽に楽しむ文化も生まれてくるといいですね。

僕の奥さんはピアニストなので、8年前から2人でスロヴァキア国内をまわり演奏会を開くようになりました。昔の友だちが声をかけてくれたりする。音楽を楽しむとき、人はスロヴァキアでも日本でも同じ、と思いますよ。

私の心に近い音楽?もちろん、ドヴォルザークもスメタナも大好き。弾いていると、おばあちゃんの顔が浮かんできます。

Henri TATAR
スロヴァキア音楽アカデミー、ヨーロピアン・モーツァルトアカデミー(ポーランド)、チューリッヒ・ヴィンタートゥア音楽大学(スイス)で学んだのち、ヨーロッパのユース・オーケストラなどに参加。1999年、仙台フィルハーモニー管弦楽団入団。1973年、スロヴァキア、ニトラ生まれ。

第287回定期演奏会(2014年11月28日,29日)プログラムより

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