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楽団員インタビュー~ハーモニーな楽屋~

構成 / 西大立目 祥子

Vol.65 チェロ 八島 珠子Interview

チェロ 八島珠子<

新しい曲に取り組み、同じ曲にも違ったアイデアを盛り込む。
そうやって前向きに、音楽する楽しさを感じていきたいですね。

 

 

 

子どもとキャンプに行くのが楽しみ。外でごはんを食べ、鳥の声や雨の音をきいて、土に触れるのがいいんです。地に足つける感じがして。

高校時代の恩師が残してくれたもの

小学校のときやっていた合唱ではアルト、中1で入ったブラスバンドではアルトサックス、そして高校から始めたのがチェロ…つまり、私、中低音が好きなんですね。そもそもはピアノ教師だった母に連れられ、福島から仙台までピアノを習いにきたのが始まり。動物園やベニーランドのおまけがついたし、ピアノも嫌いじゃありませんでした(笑)。

高校で入った音楽部は部員が100人以上、器楽班と合唱班に分かれ、器楽班すなわちオーケストラで顧問の佐藤脩先生にチェロの手ほどきを受けたんです。まめな先生で毎年夏の定期演奏会では御自身の編曲でミュージカルまで上演していたんですよ。静かな方で、練習していかないと「珠さん、ケース開けるぐらいはしてね」と諭される。その先生が、がんを患い、信じたくないのにみるみるやせていって…定期でショスタコーヴィチの5番を振り終えたあと救急車で運ばれ、7日後に亡くなったんです。多感な時期だけに、その生きざまに気持ちが揺れ、一生懸命やらないで出来ない言い訳をする自分を恥じました。

大学は一浪して京都芸大に入学しました。アルバイトをしながらのテキトーな浪人生活でした。ですから、入試には受かりましたが、当然まわりとの差は歴然で、3倍やらないとついていけない、と突然勉強熱心になりました。毎日9時間の猛練習。気がついたらアパートの上下左右の人がみんな引っ越してた(笑)。

卒業後は京都でフリーのチェロ奏者をしながら外国の音楽祭に参加したりもしましたが、細切れの仕事を続けることに疑問を感じ、えいやっと福島に舞い戻りました。

アンサンブルで楽しむ会話

福島では教えたり、小さなお店でおしゃべりしながら弾いたりする仕事を始めました。仮に演奏家にヒエラルキーがあるならば、私は一番底辺でチェロという楽器に興味を持つ人を増やしていこうと考えたんです。そんな演奏活動をしていたら、毎日ホテルで弾くお仕事をいただきました。ホテルのロビーであってもお客さまに聴かせるためには、きちんと曲を仕上げていないといけない。40分ほどの本番を一日3回。小品のレパートリーが広がっていきました。

やがて、仙台フィルのお仕事もいただくようになり、オーディションを受け入団しました。当時はボロ家に一人暮らし。庭に畑をつくり半自給自足の生活だったんですよ。商船ではあったものの父が船乗りだった影響なのか「生きてりゃ何とかなる」と思ってやってきました。あまり深刻にならない。どこへいっても楽しめるんです。

学生のころは自分の音に自信が持てずオケは苦手だったのに、いつのまにか楽しくなりましたね。アンサンブルは会話。「そうきたかー」「じゃあ、こういってみよう」というおしゃべりです。会話の中で、自分が持っていないアイデアを引き出してくださるのが指揮者。ヴェロさんも山田和樹さんも、びっくり箱のようです。

お客さまが知らない曲より知っている曲を好むのは、安心感を求めているからなんでしょうか。本でも絵でも初めてのものを読んだり見たりして楽しむのに、クラシックは知らない曲は難しいといわれがち。だから、「初めて聴いたけどおもしろかった」といわれると、「よっしゃ!」と思います。ベテランといわれる歳になっても若い人たちから刺激をもらい、同じ曲にも新しいアイデアを盛り込んでいきたいですね。

お客さまが知らない曲より知っている曲を好むのは、安心感を求めているからなんでしょうか。本でも絵でも初めてのものを読んだり見たりして楽しむのに、クラシックは知らない曲は難しいといわれがち。だから、「初めて聴いたけどおもしろかった」といわれると、「よっしゃ!」と思います。ベテランといわれる歳になっても若い人たちから刺激をもらい、同じ曲にも新しいアイデアを盛り込んでいきたいですね。

やしまたまこ
3歳からピアノを始め、高1でチェロと出会う。1996年、京都市立芸術大学を卒業。京都、福島でのフリー活動を経て、1998年仙台フィルに入団。1972年、福島市生まれ。

第286回定期演奏会(2014年10月24日,25日)プログラムより

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