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楽団員インタビュー~ハーモニーな楽屋~

 

構成 / 西大立目 祥子

Vol.58 ヴァイオリン 佐々木 亜紀子Interview

「さあ、今日からヴァイオリンの稽古だ!」
逆らえない父の一言で、ヴァイオリン人生が始まりました。

 

飲み会好き。自分が前に出るわけじゃないんですが、にぎやかなのがいいんです。下の子も大きくなってきたので、そろそろ飲み屋に戻りたいですねえ(笑)。

独学の父のもとでヴァイオリンを始める

「人は絶対に、ひとつ楽器をやらないといけない」と思い込んでいた幼い頃の自分。父の教育方針で、ある日突然ヴァイオリンの稽古が課せられました。忘れもしない小学3年生、9歳のときです。父はサラリーマンだったのですが、無類のヴァイオリン好きで家ではいつも曲をかけ、独学で自分でも弾くほどでした。何事にも有無をいわさないスパルタ式だから、逆らうなんてとても無理。そのときすでに8歳上の兄がヴァイオリンを、6歳上の姉がピアノをやっていたのにも影響されました。

とはいっても、上ふたりと違って私をプロの先生のもとには通わせてくれなかったんです。指導するのは父で、毎日弾かされるんですよ。いま思えば父の自己満足ですね(笑)。それが4年続いて、中学に上がるとき、またきびしく問いただされました。「続ける気持ちはあるのか。ないなら、ほかにやりたいことを考えろ」。もう、とにかく怖いんですから、「あります」というしかないじゃないですか(笑)。

ここでようやくちゃんとした先生についたのですが、最初に先生の前で弾いたときは呆れられたみたい。曲が弾けるっていったって、“なんちゃってヴァイオリン”のレベルでしょ(笑)。それから1年間は、音階と練習曲以外やらされませんでした。

そんな私が音楽高校をめざしたのは、親の気持ちを察したのと、これ以外の道を選ぶことは考えられなかったから。音楽を続けることは私にとって必然だったんです。「音高志望」を表明したとたん、先生の指導が猛烈にきびしくなりました。2年間、泣いてた記憶しかありません(笑)。

迷いやコンプレックスを乗りこえて

音楽高校に受かったときはうれしかった。でも、それは長いコンプレックスの始まりでもありました。だって、まわりは2歳から習い始めたとか、コンクール受けたとか、そんな生徒ばかりですから。そんな中、自分の迷いがふっきれたかなと感じたのは高2のときだったか、師事していた恵藤久美子先生のレッスンの中ででした。コンクール応募を薦められ、何時間も集中してバッハの無伴奏ソナタを見ていただいていたときに、自分自身の感情がほとばしり曲を自分の中に取り込めた!と感じたんです。それぐらいやらなきゃだめなのよ、という先生の言葉をいまも思い出します。

でも、本当の意味で音楽の勉強が始まったのは、20年前、仙台フィルに入団してからですね。プロはこなすべき曲の数も早さも、学生のときとは桁はずれに違う。最初はただただ曲のことだけを考える、まわりのまったく見えない3年間でした。印象が強かったのは、入団した年、レスピーギのローマ三部作を外山、円光寺、梅田の3人の先生が振り分けた100回定期です。ステージを見ながら弾くオペラのおもしろさも、カルテットなど小さなアンサンブルの楽しさを知ったのも、オケに入ってから。本当にいい経験を積んでこれました。とはいえ、いまだコンプレックスを引きずっているようなところもあるかなあ(笑)。

いい演奏会は演奏者と聴衆の両者で創り上げるもの。これからも、お客さまといい時間を共有できるように、目の前のことにひとつひとつ取り組んでいきたいですね。やはり、いらっしゃるお客さまが多いとモチベーションが上がるんです(笑)。

ささき あきこ
桐朋女子高等学校音楽部を経て、桐朋学園音楽大学卒業。卒業した1993年に、仙台フィルハーモニー管弦楽団に入団。1970年、埼玉県毛呂山町生まれ。

第279回定期演奏会(2014年1月24日,25日)プログラムより

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