TOP> 楽団員インタビュー> 楽団プロフィール> 仙台フィルについて> 楽団員インタビュー~ハーモニーな楽屋~

楽団員インタビュー~ハーモニーな楽屋~

構成 / 西大立目 祥子

Vol.54 ヴィオラ 御供 和江Interview

東北のオケというプライドを持って音楽を届けたい。
子どもたちに「私たちのまちのオケ」といわれるようになるのが目標です。

 

猫派です! だい、こん、サラダの3匹と同居してますが、サラダは私が練習を始めると出てきて、ときどきダメ出しするんです。早く一発OKもらえるようになりたい(笑)

父の猛反対を押し切って音大へ

習い始めはヴァイオリンでした。ヴァイオリン教室をやっていた父の手ほどきで始めたのは2歳のときです。親が先生だと、続けるのが難しいってよくいいますよね。でも、私は音大をめざすようになるまで、ずっと父が先生だったんですよ。小学生の頃は、テレビを見る、マンガを読むというのと同じように、ヴァイオリンの練習も日課の一つでした。

父がアマチュアオケのコンサートマスターをやっていて、よく演奏会を聴きにいった影響もあってオーケストラにあこがれ、中1のときに暮らしていた長岡市の市民オケに入りました。このときからなんです、ヴィオラは。いま、思うと、あれは父の誘導だったのかなあ(笑)。それ以来ヴィオラ一筋です―というわけじゃなくて、家ではヴァイオリン、学校では吹奏楽部でオーボエを吹いてたんですよ(笑)。

中3のとき、ある大学のユースオケといっしょにイタリア公演に行く機会があり、音楽の世界がわぁっと広がっていきました。幼なじみがチェロ専攻で芸大に入学したことにも背中を押され、高3のときに音大に進みたい、と親に切り出しました。ところが父は猛反対。音大の受験すら許してもらえず浪人したんです。

でも、浪人中に、その後大学でもお世話になる渡部啓三先生とのすばらしい出会いもあったし、私は、つくづく出会った人の力添えで前に進んでる、と感じますね。父?いまも現役で教えていますよ。50年以上になりますかね…尊敬しています(笑)。音大受験のことはお互いあまり触れないようにしてますけどね(笑)。

被災地のオケとして避難所をめぐる

エキストラとして仙台フィルで初めて演奏したのは大学4年のとき。団員の方たちが、とても親切だった印象があります。入団当時は若い人が多くて、新年会のときの隠し芸大会なんてパワー炸裂(笑)。弦楽メンバーによる金管五重奏とか、本気で取り組むハイジの劇とか、すごい盛り上がりでした(笑)。夜中まで練習して、新年会のあとの打ち上げがあったりして(笑)。

ちょうど私が入団してからの18年間は仙台フィルにとって上り調子の時代だったと思うんですが、いまは団員の年齢も上がり、大震災を経て、いい意味で地方のオケのプライドが生まれたように感じています。東北にプロオケは2つだけ、東北の人々に音楽を届けるのは自分たちだ、という立ち位置が定まったのではないでしょうか。

実際、大震災後は、ずいぶん避難所をまわりました。日本の歌が聴きたい、元気が出る曲を演奏して…いろいろな声に応えながら、一人でも音楽を聴きたいという人がいればその人のために演奏しようと思っていました。外から被災地を訪れるのとは違う、同じようにつらい思いをした被災地のオケとして音楽を届け、楽しんでいただく代わりに皆さんの悲しみを持って帰ろうという気持ちでいましたね。

そろそろ300回の定期公演も近づいてきたし、音楽の力による復興センターもできて、目標が定まったように感じているんです。もっと仙台、そして東北の人たちに音楽を届けたい。子どもたちがあたりまえにオーケストラを聴きにきてくれて、「私たちのまちのオケ」といってくれたら最高ですね(笑)。

みとも かずえ
国立音楽大学でヴィオラを専攻。卒業後、1995年に仙台フィル入団。1967年8月7日、新潟県長岡市生まれ。しし座、A型。

第275回定期演奏会(2013年7月19日,20日)プログラムより

このページのトップにもどる