TOP> 楽団員インタビュー> 楽団プロフィール> 仙台フィルについて> 楽団員インタビュー~ハーモニーな楽屋~

楽団員インタビュー~ハーモニーな楽屋~

構成 / 西大立目 祥子

Vol.49 バストロンボーン 山田 守Interview

バストロンボーン:山田 守

仙台のプロのオケとして、もっと市民にサービスできることがあるはず。
市民の皆さまと触れ合って、認められる存在になりたいですね。

音楽をやっているから特別というんじゃなくて、常に普通の市民の一人でいたいんです。だから、町内会の活動もやってますよ(笑)

吹奏楽の盛んな京都から東京へ

ジャンケンで勝った。そこからトロンボーンとの付き合いが始まったんです(笑)。中学のとき友だちに誘われて吹奏楽部に入部したら、楽器のパート分けはジャンケンだったんですよ。もし負けてたらユーフォニアムでした。

夢中になって部活をやったのは高校に入ってから。僕の生まれ育った京都は吹奏楽がすごく盛んな土地柄で、レベルもかなり高いんです。正直なところ、東京の音大に入ったとき、京都の高校生の方がうまいと思ったくらいで(笑)。高校は自由な雰囲気で、部活も生徒たちの自主的な運営だし、実に楽しい3年間でした。

僕の地元では、音楽を志すと京都市立芸大に進学し、教師になって地元に戻る、というのがお決まりのコースなんです。でも、僕は受験に失敗。かなり挫折感を持って東京に出たんです。音楽をやることに父親はずっと反対でしたね。家族はもちろん、親戚にも音楽の道に進んだ、という例はほとんどありませんでしたから。

学生時代はちょうどバブル経済の頃。演奏会で吹くアルバイトの仕事はいくらでもあって、学校に行く暇がないくらい(笑)。エキストラとして、東京を中心にいろんなオケで演奏する経験ができたんです。

テナー・トロンボーンから音域が低いバストロンボーンに変わったのは、大学3年のとき。音域が広く人の声に近いこの楽器が気に入ったんです。オケに1本という重責を担うことになりましたけれどね。

卒業してすぐ仙台に来ました。それが宮城フィルから仙台フィルに変わって、入団の第1号だったんですよ。

プロのオケとしてもっと市民にアピールを

当時、団員は若い人ばかりでアットホームな雰囲気。東北はうといところでしたが、誘われて温泉めぐりを覚えました(笑)。

入団して2年目にドイツに留学し、ベルリン芸術大学で学べたことは僕にとって大きな経験になりました。先生がベルリン・ドイツ・オペラの奏者だったこともありオペラの勉強ができましたし、北ドイツのシュレスビッヒ・ホルシュタイン音楽祭への出演もできた。じっくりと音楽に取り組む時間を持て、十分なリフレッシュにもなったんです。たっぷりと充電して、仙台に戻ってきました。

入団して24年。気がつけば、そんなに時間がたったのか、という感じですね。東京公演、100回目の定期など、感慨を抱いた演奏会はいくつかありますが、自分の演奏を振り返ると“今日はダメだった”という方が圧倒的に多い。完璧に吹けたことは一度もないかもしれません。だからこそ、“次はこうしてやろう”と思う。思わないとやっていられないですね。年齡を重ねていけば肺活量や筋力も衰えていくのでしょうが、若い人には負けないという気持ちでやっていきたいです。

仙フィルのこれからを考えたとき、必要と感じるのはお客さまへのサービスです。楽天やベガルタにファン感謝デーがあるように、街のプロのオケとしてサービスが必要ではないでしょうか。もっと多くのお客さまが楽しんで聴きにきて、市民みんなから認めてもらえる存在をめざしたいんです。まぁ、そんな一歩になればいいかなと、娘の通う中学にトロンボーンを教えにいったりしていたんですよ。

やまだ まもる
東京音楽大学を卒業後、1989年に仙台フィルに入団。入団後、ベルリン芸術大学に1年間留学。1965年京都生まれ。

第270回定期演奏会(2013年1月18日,19日)プログラムより

このページのトップにもどる