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楽団員インタビュー~ハーモニーな楽屋~

構成 / 西大立目 祥子

Vol.45 オーボエ 木立 至Interview

仙台フィルは、街へ飛び出し、もっと市民の中へ。
震災後、そんな思いがますます強くなっています。

生家の隣は、ヴァイオリニストの清水高師さんの家。外遊びができない雨の日は、上がりこんでレコードを聴かせてもらったりしていました。

曲をつくる楽しみを覚えた小学生時代

「仙台っていい街だな」。それが、仙台フィルのオーディションを受けた大きな理由です。エキストラで来ていたころ、夜遅くに所持金をほとんど持たずに先輩を訪ね、街中から八木山までタクシーに乗ったことがあるんです。「運転手さん、これで行けるところまで」と頼んだら、ちょうどその金額でメーターが上がったのが八木山橋の上(笑)。そうしたら、「どこまで行くの?いいから料金は」といって、乗せてくれた。当時はどんな場所かなんて知りませんからね(笑)、なんていい人なんだ、仙台っていい人がいるんだなあ、と大感激(笑)。あこがれの街になったんです。もちろん、オケも魅力的でした。音楽に対して真摯で、みんなフレンドリーで、いい雰囲気があふれてました。あれから、20年か。あっという間ですねえ。

僕の音楽への関心は創作から始まりました。リコーダーとかピアノで、小学生のころから小さな曲をつくっていたんです。中1のとき、親に「作曲を習いたい」と頼みこみ、作曲家の岡島雅興先生のもとに通うようになりました。

岡島先生に最初に出された宿題は「モーツァルトみたいな曲をつくってきてごらん」。うーん、どうすればモーツァルトになるんだろう、と考え込みましたね。ショパンみたいな曲、という課題のときには「15とか17とか割り切れない連符があるといいんだよ」とヒントをくれた。つまり、真似から作曲の勉強が始まったんです。とはいえ、高校に入るころには、作曲科に進むには自分の限界が見えてきていました。先生もそう思ったんでしょう(笑)、勧められて始めたのがオーボエだったんです。

被災地で感じた音楽の力

入団したのは、最初の東京公演のあとの仙台フィルの成長期。演奏に集中できる環境が整いつつあった時期です。僕はオーボエはスロースタートで、大学に入るまでは合奏の経験もありませんでした。でも、作曲の勉強はプロになっても役立ちましたね。ハーモニーをつくりながら、ここは出た方がいいかな、引いた方がいいかなという判断が迷わずにできる。アナリーゼという曲の分析も随分やったので、演奏しながら曲の構成を存分に楽しめるんです。

そして、入団20年目に起きたこの東日本大震災では、音楽の本質を教えてもらった、と感じています。被災地で演奏することには迷いがありました。必要なのは音楽じゃなくておにぎりじゃないか、と。でも、ダンボールの間仕切りのそばで吹いていると、顔が上がり、目がこちらに向き、子どもたちは膝に乗るぐらいの距離まで寄ってくる。そこには会場の人たちとの確かな応答があって、くじけそうな自分を逆に奮い立たせてもらったと感じました。考えてみれば、音楽は人類の歴史が始まったときからあるはず。人に届く何か大きな力があるんですよね。

だから、震災の経験を経た今、仙台フィルはコンサートホールを飛び出してもっと広く市民の中に入って行かなくちゃいけない、と思うんですよ。音楽家や愛好家だけの世界にとどまらないで、街に出ていくヴァイタリティが必要ですね。

僕は深刻にならず楽しみながら、自分を追い込んでいくのが好きなんです。人とコミュニケーションをとりながら、オーボエをツールにプロとしての頂上めざしたいですね。自分にとっての頂上をね。

きだち いたる
幼稚園時代にピアノを始めるも中断。中学1年から、作曲を岡島雅興に師事。高校1年からオーボエを始める。東京音楽大学卒業。1991年3月に仙台フィルに入団。1964年、神奈川県横須賀市生まれ。

第266回定期演奏会(2012年6月22日23日)プログラムより

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