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楽団員インタビュー~ハーモニーな楽屋~

構成 / 西大立目 祥子

Vol.43 ホルン 中村 隆司Interview

画像-ホルン 中村 隆司

目の前で涙を流し、感動される被災者の方々。
音楽は人の力になれると感じた1年でした。

オンとオフの切り替えが下手で、オフの時も楽器のことが気になる感じです。
趣味といったら、演奏会が終わり、ほっとして温泉に行くことぐらいでしょうか。

ほんとはホルンをやるつもりじゃかった

優柔不断なんです(笑)。ホルンじゃなくて、ほんとはトロンボーンをやりたかった(笑)。中学生になってブラスバンドに入部したとき、誘ってくれた友だちが「ホルンにしよう」っていうんですよ。ホルンって、音も形も地味でしょ。曲だって「ンパンパ」って後打ちが多いし…う~ん、仕方がないな、と選んだんです。

でもやってるうちにおもしろくなって。アンサンブルは楽しいですからね。その友だち?入部1週間でやめてしまいましたよ(笑)。

オーケストラの曲を聴き出したのも中学のころ。オケの中でホルンがいかに重要な役割を果たしているか、ということに気づき、ますます熱中していきました。

音大進学を思い描くようになって、高校に入学してすぐに受験のための勉強を始めましたね。ピアノにソルフェージュ。ホルンはプロの先生に見ていただくようになりました。

もちろん吹奏楽は続けました。その高校を選んだのも、吹奏楽の顧問の先生に誘われたからなんです。でも、練習はすごくきびしかったなあ。忘れられないのはレニングラードフィルのコンサートのチケットを買っているのに、練習を休む許しをもらえなかったことです。何度「行きたい」と訴えてもダメ。終わってから走ったけど、聴けたのはアンコールの曲だけでした。

国立音大で学びたいという思い込みが強くて、桐朋学園に入学したんですが、翌年受験に再挑戦して国立に入り直したんです。桐朋の1年というのはカリキュラムが整っていて、すごく勉強になったんですけれどね。

ホルンを吹き続けたいという思いを確認して

仙台に最初にきたときは、正直びっくりしました。想像以上の大都市だったので。当時はまだ学校を巡回する音楽教室が盛んでしたが、楽しかったですよ。全部自分たちでこなす。譜面だって、ホルンのパート譜をライブラリーから自分で探すんですから。

でも、次から次へと知らない曲がやってきて、譜読みしたりCD聴いてみたり、最初の3年ぐらいは大変でした。まぁ、いまでも慣れていないかな(笑)。

東京公演、ヨーロッパ公演…いま振り返るとなつかしいですが、オケとして軌道に乗るまでは大変でした。ここまでこれたのは、支えてくださったみなさんのおかげだと思います。

この大震災では、食べ物も調達できないような状況の中、予定していた演奏会がつぎつぎとキャンセルになり、オケは今後どうなるのか、という不安にかられました。あらためて、吹いていきたい、という自分の気持ちを確認しましたね。

大船渡や陸前高田など、被災地に出向いて演奏をしてきましたが、目の前で自分たちの演奏に泣いたり、感動されている姿を見ながら、音楽って人を元気づけ、支えになれるものなんだというのを痛感しました。この1年は、人の支えになれる音楽の力を感じながら過ごしました。だからこそ、いまは、日々精進して感動を届けなければ、と思っているんです。

なかむら たかし
桐朋学園大学ディプロマコースを1年で休学し、国立音楽大学に入学。卒業後、桐朋学園大学に復学し、中途退学。1987年7月に、仙台フィル(当時の宮城フィル)に入団。1964年山口県岩国市生まれ。 

第264回定期演奏会(2012年4月20日21日)プログラムより

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