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楽団員インタビュー~ハーモニーな楽屋~

構成 / 西大立目 祥子

Vol.42 ファゴット 入交 滋Interview

画像-ファゴット 入交 滋

目の前のことから逃れたくて逃れたくて…
大阪、東京、ドイツとめぐり、仙台まできてしまいました(笑)。

復興コンサートでは、弦楽器と管楽器の九重奏の演奏会もやりました。音が鳴っているその間は、つらいことを忘れていただけるという思いでした。

留学中にドイツのオーケストラに入団

音楽の教師だった両親のもと、ピアノを始めたのは3歳のとき。小学校時代も無理矢理レッスンに行かされ、練習をしないと父にひどく叱られる。いやでいやで。ついに反旗をひるがえして「もうピアノはやめる」と宣言したんです。ところが、ピアノの代わりにファゴットを、ということになった。父の知人にファゴットの先生がいたからなんですが、両親は何としても音楽の道に進ませたかったんですね。小6からファゴットを習い始め、受験のためのピアノ、ソルフェージュも課せられて、反抗しても結局やることが増えただけでした(笑)。

実家を離れ、音大の付属高校に進みましたが、これも一つには家から逃れたかったから(笑)。この3年間があまりにも忙しくてね。ファゴット専攻の生徒は数が少ないから、高校のうちから大学の3つあるオーケストラに借り出されて、朝5時半から夜10時まで学校で吹いてる。休む暇がないんですよ。

そのうち、大学に進んで同じような生活が続くのはご免だ、と考えるようになりました。学校では、アメリカで勉強した先生についていたのですが、軽めの音色になじめなくなっていたのもあります。ちょうどその頃、個人的に指導を受けていたハンブルク国立歌劇場の首席奏者だったフリッツ・ヘンカー先生の重い音色に惹かれ、ハンブルク音楽院に留学しました。

「オケに入ってからが本当の勉強だ」というのがヘンカー先生の教え。それもあって、留学2年目にハンブルク交響楽団に入団し、学校は中退しました。とにかく、就職して早く仕事がしたかった。10年ほどの在籍期間中は、いろんな国の人たちと自由な雰囲気で音楽がやれて楽しかったですね。

安心できる環境で自分の音を求めて

でも、それもだんだん、逃れたくなってきました(笑)。日本で仕事が入るたび、年に4回も5回も10数時間飛行機に乗って移動するのが、苦痛になって。ただ、ごちゃごちゃと人のいる東京にはとても暮らせそうにない。地方オケの方がいいか、と仙台にきたわけです。やはり汲々と忙しい毎日ではなく、安心できる環境にいてこそ、深く息をしていい音が出せるんですよ。仙台はいい、気に入ってますよ。

演奏上、最も大切にしているのは音色。生徒にもよくいいます。「音色のイメージを持つように」と。これだけは、自分で見つけていくしかない。自分が欲しいイメージを求めて、リードの削り方を変えていくんです。

入団した時期は、仙台フィルの伸び盛り。団員もまだ若くて充実していました。あの頃の勢いにくらべると、現在は団員の年齢も上がって、僕には落ち着いているように感じられます。

やはり、いま必要なのは、音楽監督ではないでしょうか。音楽監督は、運営、プログラム、団員、指揮者などすべてに責任を持ち、オケの将来構想を描く人。そういう人がいるから、オケは成長していけるんです。

大震災のあとは大変でしたが、1年経ってオケ本来の仕事に戻るこれからが正念場ですね。この1年はほめてもらえたけれど、それはもうなくなる。将来に向けて何ができるのかを考えなければ。観客の方々にも、もっときびしい目で見ていただいていいと思うんです。

にゅうこう しげる
桐朋女子高等学校音楽科(共学)卒業後、ハンブルク音楽院に留学。音楽院2年時にハンブルク交響楽団に入団。約10年在籍し、帰国。1997年に仙台フィル入団。サイトウキネンオーケストラメンバー。1963年大阪府生まれ。

第263回定期演奏会(2012年3月16日17日)プログラムより

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