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楽団員インタビュー~ハーモニーな楽屋~

構成 / 西大立目 祥子

Vol.40 パーカッション 三科 清治Interview

画像-パーカッション 三科 清治

できない自分を直視し、変わる努力をする。
そこから演奏家としての第一歩が始まりました。

車で聴くのは、ボサノバにジャズ。急に聴きたくなる荒井由美。「クラシックはほとんど聴きませんねえ(笑)」

興味の向くまま楽器を楽しんだ青春時代

母親に連れられてピアノ教室の門をたたいた…。クラシックの演奏家は、そんなふうに音楽と出会う人が多いですが、僕の場合は全然違う。興味の向くままに、音楽と遊んできた感じでしょうか。

最初の出会いは、小学校の鼓笛隊のトランペット。ここで音楽の先生に才能があるかもしれません、なんておだてられたのがいけなかった(笑)。

中1からはブラスバンドに入り高3まで続けましたが、その間にもエレクトーンを習い、ドラム教室に通ったり、バンドを組んだり、遊びの延長で音楽を楽しみました。エレクトーンは、年齢制限があるのを知らずに、音大卒のお姉さんたちに混じって指導者養成講座にも入ってたんです。いってみれば、手っ取り早く楽しめる楽器を選んでただけですね(笑)。リー・リトナ、ラリー・カールトン、ウェザーリポート等、当時流行っていたクロスオーバーミュージックのコンサートはずいぶん聴きに行ったなあ。ピンクレディのコンサートにもね(笑)。

打楽器との出会いは高1の夏です。ブラスバンドでトランペットを吹いてたんですが、打楽器をやる人員がゼロになり、トランペットから変わったんです。

そして、高3の秋になってから、第一志望だった理科系公立大学の合格は困難と見極めて、音大に変更しました。担任の先生に話すと、「そりゃ、ええこっちゃー、がんばれよっ」(笑)。で、受けたら合格しちゃった。いい加減なヤツでしょう?(笑)

そんな調子ですから、入ってみたら、あまりにひどい劣等生。大学のオケにも入れてもらえないほどでした。それでも、卒業のときには卒業演奏会に出られるまでになったんですよ。

教えることで自覚した音楽家としての自分

仙台フィルに入団したときは、正直、3年ぐらいで戻ろう、と思ってました。でも、再び、自分のレベルの低さに気づかされるんです。それに、ぶらっと入った定食屋のごはんが、えっ!と驚くほどうまくてね。米に惹かれて帰れなくなっちゃった。ハッハッハ。

入団したその日から本番の音楽教室が始まりましたが、自分は足を引っ張るだけ。これはあかん、と思いながらも、そこから目をそらして逃げてました。でもだんだん、その状態が自分でも気持ち悪くなってくる。あかんのやったら変えたらいい、オケの1プレーヤーとして責任を果たそう、と考えるようになったのは、4、5年経ったころでしょうか。やっと大人になったんです(笑)。ジュニアオケを教えたのも大きいですね。いい加減に教えればいい加減に伝わる。指導者の教え方が子どもたちの音になって返ってくるという確信を得ましたから。振り返ると、仙台フィルの成長と自分の成長とがリンクしているのを実感します。

パーカッションは一発勝負と思われるかもしれませんが、プロに求められるのは演奏の安定感なんです。どんな状況でも、あるレベル以上の答えは出さないといけない。スケーターがリンクでジャンプを決めるようにね。

この4、5年、オーケストラ・アンサンブル金沢、兵庫芸術文化センター管弦楽団など他のオーケストラでも演奏する機会が増えているのですが、自分のオケを離れ、若いプレーヤーと演奏することが大きな刺激になっています。年齢を重ねても自分のスタイルを見直し、自分を変える努力を続けたいですね。この仕事にゴールはありませんから。

みしな せいじ
京都市立芸術大学卒業。1985年10月、仙台フィル(当時の宮城フィル)に入団。1962年大阪生まれ。

第261回定期演奏会(2012年1月20日21日)プログラムより

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