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楽団員インタビュー~ハーモニーな楽屋~

構成 / 西大立目 祥子

Vol.38 コントラバス 黒江 浩幸Interview

画像-コントラバス 黒江 浩幸

いつも通り、自分のペースで。
震災を経ても、音楽への姿勢は変えずにやっていくつもりです。

20年前の軽自動車を解体し組み立て直した愛車でドライブに行く。「地図を見て目的地に行くのは、譜面を見て弾くのと似ているんですよ」  

不安を感じながら、毎日楽器を弾いていた

3月11日の大地震は、いまからゲネプロが始まるというときでした。サブインスペクターとして指揮者と楽屋で打ち合わせを終えた直後、あの揺れがきたんです。コンサートホールの置きイスにコントラバスを立て掛けて置いたので心配でホールに走ると、幸い楽器は倒れていなかったのですが、シャンデリアが激しく揺れて危ないから外へ出た方がいいということになった。そこに2度目の強い揺れがきて明かりが全部非常灯になって暗くなった中を非常口から外に出ました。

家に戻ると、めちゃくちゃになったマンションの部屋の中で、コントラバスだけがちゃんと立っていました。うれしかったですよ(笑)。

地震後は、マンションの理事会の役員をしていたので仙台を離れられず、家にこもって楽器を弾く毎日が続きました。弾くことで、不安を解消してたんでしょうね。仙フィルの事務局は、水と電気の復旧が早くて、支援物資も到着していました。小泉和裕先生からは、お米と味噌が届いたんですよ。ありがたいことです。

「ああ、人前で弾ける」としみじみ感じたのは、シュトラウスホールでの復興定期のときです。青年文化センターでの定期演奏会では、再びステージに戻ってこれたことをかみしめました。これだけの大震災だったのですから、心境の変化はありましたね。一日一日大事に生きよう、不安はあるけれど、それを抱えて生きていこう、と。それは誰もが同じではないでしょうか。

自分の音楽をあきらめないヴェロさんに共感

音楽好きの子どもでした。4歳上の兄の影響で、深夜放送もギターも小学生から(笑)。中学でブラスバンド部に入ってからは、ギターと弦の並びが同じなのでコントラバスを弾くようになったんです。左手は団子握りの全くの自己流ですよ(笑)。仲間とやるバンドも楽しいし、音楽をやりたいという将来の希望も見えてきて、中3からは先生についてコントラバスを習い始めました。

高校進学のときは、ブラスバンド部で学校を選んだほどです。都立小山台高校に入学し、3年間、ブラスバンドに熱中し音大へ進みました。

大学卒業後は教師をめざしたのですが、挫折。かなり折れましたねえ(笑)。東京育ちの自分にとって、東北に行くというのは都落ちのような気分でもあったのですが、山響に入団し、そのあと仙フィルに移りました。移籍して印象に残っているのは、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」をやった演奏会。大きなオケだからこそ、やれる曲ですからね。3年間はつぎつぎ新しい曲がきて、無我夢中のうちに過ぎました。

入団して23年。籾山さん、外山さん、円光寺さん、といろいろな指揮者のもとで演奏してきましたが、ヴェロさんはどこまでもあきらめなくていいですよ(笑)。要求してもオケが応えられなければ、普通はあきらめるのに、ヴェロさんはそうじゃない。いい音楽がつくれると感じています。

大震災があって心境の変化はありますが、自分の音楽は変えたくないし、自分のペースも崩したくない。変えないことで自分を守れる気がするんです。これからもいつも通りのことを続けていくつもりです。

くろえ ひろゆき
東京音楽大学卒業。山形交響楽団に2年半在籍ののち、1988年に仙台フィル(当時の宮城フィル)に入団。サブインスペクターを務める。1962年、東京都生まれ。

第259回定期演奏会(2011年10月21日22日)プログラムより

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