TOP> 楽団員インタビュー> 楽団プロフィール> 仙台フィルについて> 楽団員インタビュー~ハーモニーな楽屋~

楽団員インタビュー~ハーモニーな楽屋~

構成 / 西大立目 祥子

Vol.37 コントラバス 有賀 和男Interview

画像-コントラバス 有賀和男

ちゃんと食べ、ちゃんと眠り、音楽をする。
震災を経て、音楽への姿勢が変わりました。

20年前の軽自動車を解体し組み立て直した愛車でドライブに行く。「地図を見て目的地に行くのは、譜面を見て弾くのと似ているんですよ」

暮らすことの中に、音楽を据えたい

3月11日の大地震は、当日夜のコンサートのリハーサルが始まるというときだったんです。みんな楽器を持って準備をしていたところに、揺れがきた。青年文化センターのコンサートホールのシャンデリアが、もはやぶつかるかというほど揺さぶられ、いつまでも終わらない激震の中で、死が頭をよぎりました。恐ろしかったですね。

揺れがおさまって全員解散、演奏会は中止。幸い家は無事だったのですが、一人暮らしの自分は、それからひと月あまり食べものを確保するためにスーパーに並んだり、水を汲みに小学校に並ぶという生活を送りました。

それまでは生活の中心は音楽で、稽古が終わり帰宅すると、このフレーズができない、あそこの音がまずい、と自分を追いつめ、譜面を前に煮詰まった毎日を過ごしていました。でも、生きるためにはまずしなくちゃないことがある、と気づいた。ちゃんと寝て、ちゃんと食べるってとても大事じゃないか、とりあえず生きてるんだからよかったじゃないか、と考えるようになったんです。お米買ってきて炊いたり、知らない人に話しかけたりする中で、自分自身がほぐれてきたんでしょうね。演奏する音楽も、以前とは変わっていくかもしれません。

活動の復活を実感したのは、マーラーを演奏した7月の定期演奏会のときです。前に座っているお客様の顔を眺めながら、自分がこれまでやってきたことを振り返り、ああ、こういう時間が戻ってきたのだ、となつかしさを覚えるほどでした。

震災後に見えてきた自分の課題

クラシックとの最初の出会いは、高3のときに授業で聴いたチャイコフスキーの「悲愴」です。机に伏せながら聴いていたら、当時テレビのCMで流れていた1楽章の行進曲風のところが耳に入ってきた。3楽章まで曲が進んだときには、クラシック音楽にすっかり心打たれ感動していました。当時は、友人たちとバンドでエレキギターを弾くのに夢中でクラシックなんて何も知らなかったんですが、ロックと同じように自分に響いてくるものがあることに感じ入ったんです。子どものころはオルガンやピアノを習っていたし、中1のときは真空管アンプでステレオを手づくりし、レコードを聴いたりしていたので、音楽は好きだったんですね。

高3の冬からコントラバスを習い始め、音楽の専門学校に進みましたが、小さな学校でオーケストラの活動が少なかったので、市民オケで弾いたりもしていました。

入団したときは、大きなオーケストラで弾く技術を身につけていなかったから、早く一人前になりたいという一心でした。当時は学校めぐりの時代でしたが、何しろ東北は初めてですから、失敗は数えきれません。宮城県内の学校なのに間違えて盛岡まで行っちゃったりとかね(笑)。

いつのまにかオケのレベルが高くなり、ヴェロさんを迎えてお客さんも相当変わったなあと感じていたところに、この大震災がきた。ホールが軒並み使えないという状況の中で、たとえば野外で演奏するとか整った環境がなくても弾けるようになること、非常時に活動できるように常時からいろいろな人とのネットワークをつくることなど、自分自身の新たな課題が見えてきたと感じています。

あるが かずお
尚美高等音楽学院卒業。1984年、仙台フィル(当時の宮城フィル)に入団。1961年、山梨県甲府市生まれ。

第258回定期演奏会(2011年9月16日17日)プログラムより

このページのトップにもどる