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楽団員インタビュー~ハーモニーな楽屋~

構成 / 西大立目 祥子

Vol.36 ヴァイオリン 大友 靖雅Interview

画像-ヴァイオリン:大友靖雅

紆余曲折あったけれど、いろんな経験が財産となって、音楽という一つの道につながったと感じています。

好きな作曲家はメンデルスゾーン。「1楽章、2楽章、3楽章と一生懸命積み上げてきたものを、終楽章で踏み外してしまう。それが何とも爽快(笑)」。

ある日突然、魅力的に響いたヴァイオリンの音色

僕、音大を卒業していないんですよ。しかも、入団したのに一旦やめて、再入団した出戻り(笑)。
ヴァイオリンを始めたのは4歳のときでした。通い始めた幼稚園に音楽学校が併設されていたんですね。発表会では2歳上の兄と協奏曲を演奏したこともありましたが、そう熱心ではなく、レッスンの前日に鬼のように弾いて間に合わせるような子どもでした。

中2からはヴァイオリンなんてそっちのけで、ギターに夢中。バンドを組んでエレキをかき鳴らしていました。それが高2のときだったか、何気なくヴァイオリンを取り出し弾いたとき「エレキの音はスピーカーから出てるのに、これは生音だよな」と妙に感じ入ったんです。それまでと違った音に聴こえたんですね。それからは針が逆に振れたように、毎日ヴァイオリンばかり。幼稚園からお世話になっていた川村文夫先生が、宮城フィルのコンサートマスターを務められていたこともあり、第5回定期演奏会に参加して以来ずっと出演して、大学卒業後に入団したわけです。

でも、真面目な楽団員じゃなかった。自分の中にもどこか“つなぎ”という意識もあって3年で退団し、父がやっていた会社の営業マンになるのですが、ベテラン社員に囲まれた中に自分の居場所はないと感じる毎日。音楽にも未練があってアマチュアオケで弾くうち、楽団員だったフルーティストの安田不二夫さんにお会いする機会があってこういわれたんです。「そんなに弾きたいのなら、戻ってこいよ。俺は待ってるよ」

急激な成長のあとを、ていねいに埋める仕事を

あの言葉、いまでも忘れられません。「ほかの団員は待ってないけど」ともいわれたんですけどね(笑)。音楽の世界に戻るかどうか、めずらしくすごく考えました。オーディションを受け入団し、「よく戻ってきたね」といわれたときはうれしかったし、ありがたかったですよ。

でも、音楽の専門教育受けてないでしょう。だから、ずいぶん苦労しました。例えば20階建てのビルを建てるとして、みんなにはノウハウがあるのに、僕は土台をつくることも鉄骨を入れることも知らない。正直、スコアの読み方さえ身についていなかったから、何度失敗を重ねたことか。自分の居場所は自分でつくらないといけない。もうあきらめるわけにはいかない、という思いだけでした。

学校まわりから脱し、ホールで演奏するシンフォニーオケをめざしていた頃でしたから、いいオケにしよう、とみんなの気持ちがいつも前に向いていました。いい時期に入団できて本当に幸せでしたよ。

東京公演やヨーロッパ公演は、貴重な経験になりましたね。やっぱり大きいステージや違う環境で演奏すると、ものの見方や考えが変わる。ヨーロッパに行った後は、聴こえなかった音が聞こえるような気がしました。

いまは、みんなで頑張ったかいもあって、めざした形が見えてきたと思います。急激に成長してきましたから、これからはすき間をていねいに埋めていく時期ですね。ヴェロさんがきて、これだけの数のフランスものを短期間にやれているのもすばらしい。そうした中で、自分の役割は何かを考えながら活動していきたいと感じています。

おおとも やすまさ
東北学院大学卒業。高校時代から当時の宮城フィルの定期演奏会にエキストラとして出演。1982年入団にしたが、85年に退団。87年に再入団した。仙台市出身。

第257回定期演奏会(2011年7月22日23日)プログラムより
※このインタビューは、2011年2月の取材をもとに構成したものです。

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