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楽団員インタビュー~ハーモニーな楽屋~

構成 / 西大立目 祥子

Vol.27 第2ヴァイオリン:木越 直彦Interview

画像-第2ヴァイオリン:木越 直彦

オーケストラの一員の前に、一人の音楽家として。
新鮮な発見を重ねながら、演奏を続けていきたいですね。

演奏家としての基本をつくったのは、
8年間指導を受けた恩師とドイツ留学の経験。

「母はきびしい。いままで一度もほめてくれたことないんです。あそこが悪い、ここが悪い、おまえだけ姿勢が悪いって(笑)」

猛然と稽古に励んだ高校の3年間

最初は2歳半のとき、ピアノ教師をしていた母がウァイオリン教室に連れていったのだとか。でも、そのときはふざけてばっかりで全然ダメ(笑)。その後、ずいぶんウァイオリンの曲を聴かせたら、8歳のとき、自分から習いたいといったらしいんです。ただ、そう熱心なわけではなく、5、6年生のころにはいやいやレッスンに通っている感じでした。中学のときも、部活はバドミントン部だったんですよ。

ただ、音楽好きの父の影響もあって、聴くのは好き。ヴァイオリニストのC.フェラスの音色にとりつかれ、だんだん音楽っていいな、音楽の道に進みたいな、と思うようになったんですね。高1からは桐朋学園への進学を心に決めて、東京へのレッスン通いが始まりました。

いま振り返っても、高校の3年間は無我夢中でした。昼休みに一人、屋上でソルフェージュを歌ったり、授業中にこっそり楽典の勉強をしたり(笑)。学校が終われば家に飛んで帰ってきて、遅くまでウァイオリンとピアノの稽古。夕食をとるのは10時過ぎてからでした。

結局、一浪したのですが、手ごたえを感じていたからあせりはなかったですね。受験期間から8年もお世話になった桐朋の小林健次先生には、本当にいろんなことを教えていただきました。いまでも、レッスン中にいわれた一言がよみがえってくることがあるんです。おつきあいも、まだ続いています。

みんなの力で仙台フィルのカラーを創りたい

自分にとって、いちばんの財産になったのは、大学を卒業して2年間を過ごしたドイツでの経験ですね。本場で、風土に根ざしたクラシック音楽の本質に触れることができた。まちに音楽があふれ、10代の生徒たちが美しく自然な音色で表現するのには本当に驚かされコンプレックスも感じましたが、自分がめざすものが見えてきました。あの経験があるから、いまもやれているんだと思います。

そのあと仙台に戻り入団したのですが、当時は自分たちで車を運転して、毎日毎日学校めぐり。校長室に通されると「普段は何の仕事をしているんですか?」と聞かれたものです。プロだと思われていなかったんですね。あのころは、技術的にも未熟で、通し稽古も思うようにいきませんでした。

芥川先生、外山先生には、プロのオケのきびしさを教えていただいた。亡くなる3カ月前、定期を振り終えて放心されていた山田一男先生、カレリア組曲を振るときにオーラが立ち上るようだった渡邉暁雄先生も忘れられません。

当時を思えば、ヨーロッパ公演も経験して、ここまできたか、という感慨があります。これからは、指揮者に全部染まってしまうのではない、仙台フィルならではのカラーを創っていけるといいな、と思います。自分自身も、絶えず新しい発見をしながら一人の音楽家としてオケの中で仕事をしていきたいですね。

きごし なおひこ
桐朋学園大学音楽学部卒業後、ドイツ・ミュンヘン国立音楽大学に2年間留学。1984年、仙台フィル(当時の宮城フィル)に入団。高1のとき、第1回宮城フィル定期演奏会にエキストラとして出演した。1956年、仙台市生まれ。

第245回定期演奏会(2010年3月19日20日)プログラムより

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