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楽団員インタビュー~ハーモニーな楽屋~

構成 / 西大立目 祥子

Vol.26 チェロ:石井 忠彦Interview

画像-チェロ:石井 忠彦

古典への傾倒は変わりませんね。高校のとき衝撃を受けたモーツァルトのレクイエムを、いまも聴き続けているんです。

学校まわりの時代、目を輝かせて聴いてくれた子どもたちを忘れない。
仙台フィルの演奏をできるだけ多くの人に聴いて欲しいと願う。

「個人的に教えている生徒には、最近大人の人が増えてきました。いいことですよね。「いくらでもつきあうよ」といってるんです。」

ピアノ、トロンボーンを経て16歳でチェロと出会う

人と話すの苦手なんです。今日もインタビューか困ったなあ、と思ってきました(笑)。聞かれたことを考えてるうちに、話題が次にいってしまうんですよ(笑)。

音楽との出会いは3歳のとき。父が山形大学で声楽を教え、母も合唱をやっていたこともあって、ピアノを始めました。でも、小3まで。もう遊びたくて遊びたくてやめちゃったんです。

中学では、父の教え子だった先生に引っ張られて、吹奏楽部に入部。トロンボーンを始めたんですが、バスケット部にもいたし、中体連では砲丸投げにも出場しました。体動かすのが好きで、体は骨太で筋肉質、握力はクラスで一番でした(笑)。

高校から音楽を専攻しました。弦楽合奏が盛んな高校で、「チェロが余ってるからやらないか?」と誘われた。そのとき、トロンボーンから転向したわけです。未練?それはなかった。なかったと思います…(笑)。アンサンブルは楽しかったですね。

ちょうどそのころです。父の部屋で、モーツァルトのレクイエムのオープンリールを見つけ、夢中になったのは。大音量で鳴らしては、もうゾクゾク。ちょうど3曲目、4曲目のトロンボーンが活躍するところばかり聴くから、テープが伸びちゃって(笑)。H.シェルヒェン指揮、1958年の録音です。原点の1曲ですね。

大学は教員になるべく、チェロ専攻で山形大学へ。世の中にはうまい人もいるもんだ、と同級生を眺めることもあったけれど、挫折感はありませんでした。鈍感なんですかねえ(笑)。

苦労は多くても楽しかった入団当時の演奏活動

卒業後は自分には教員は合わないと結論を出し、昭和53年に山形交響楽団に入団し、1年後に宮城フィルに移りました。

活動の中心が、学校まわりだった時代です。楽器車にみんなの楽器積んで運転して、譜面立てて、1日3校も演奏して歩きました。でも演奏すれば、子どもたちがわーっと寄ってきてサイン攻め。みんな間近で目を輝かせて聴いて、何か感じて、オケにあこがれを持ってくれる。いま思うと、楽しい苦労でしたね。

ちゃんとしたコンサートを重ね能力を上げていこうと、ここまでやってきたわけですが、自分たちで演奏会をつくっていた時代にくらべると、人数も増えたし年齢的にも幅が出て、向いてる方向もばらばらになりがち。その点はちょっと寂しい気もします。でも、指揮者が変わるたび、着実にいろんなものが加わってきましたね。

お客様の反応は、当時にくらべればずいぶんよくなりました。できるだけたくさんの人に聴いて欲しい。ときにはわかりやすいプログラムも必要なのかもしれません。

チェロは弦も太いし、なかなか体力のいる楽器ですが、長く弾いていきたいですね。興味深いのは、自分自身の音楽の好みは変わらないこと。古典が好きでモーツァルトのレクイエムは、いまもよく聴くんです。

いしい ただひこ
中学時代は吹奏楽部で活躍し、山形北高校特設音楽科入学後、チェロを始める。山形大学特設音楽科卒業。山形交響楽団を経て、1979年仙台フィル(当時の宮城フィル)入団。1953年山形県山形市生まれ。

第244回定期演奏会(2010年2月19日20日)プログラムより

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