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楽団員インタビュー~ハーモニーな楽屋~

構成 / 西大立目 祥子

Vol.25 トランペット:森岡 正典Interview

画像-トランペット:森岡 正典

体が丈夫になった。
そして、がむしゃらに吹きまくっていた自分を変えたのは、アメリカ留学。

かけがえのない恩師P.スミス先生と出会えた―。
いまはゆったりと音楽に向き合う。

「趣味は写経。城めぐり。
お笑いのテレビ番組も大好きです(笑)。」

親の反対を押しきり、音楽の道へ

トランペットには感謝しているんです。生まれたときはたったの1980グラム。心臓が悪くて、小学校6年間は、体育はいつも見学でした。それが、中学に入りブラスバンドでトランペットをやり始めたら、めっきり丈夫になりました。体もどんどん大きくなって、お医者さんもびっくり!親の送り迎えからも解放され、暗くなるまで練習っていうのが、もう楽しくて(笑)。

顧問の先生の勧めもあって、音楽科のある高校に進学し、高校2年からは音大進学をめざしN響の先生のレッスンを受け始めました。両親は最初から反対。というのも、実は家が寺なんです。小さな寺が2つあって、兄と二人、もう道は決められていたんですよ。でも、トランペットで、その道から逃れる“光”が見えた(笑)。「何が何でもトランペットでご飯食べるぞ」と心に誓いましたね。

「音大進学は許すが、私大はダメ」というのが親の考え。芸大と駒沢大仏教科に願書を出したんですが、芸大は失敗。頭丸めて修行だ、と覚悟したら、親父が山形大音楽科にも願書を出してくれていたんです。それで、トランペットを続けることができたんですね。卒業後、1982年に宮城フィルに入団しました。でも、親父はあきらめない。里帰りのたび「そろそろいいんじゃないか」といわれ続けましたよ。

入団した当時は1日3ステージの学校めぐり。それでも毎日充実していました。好きなことをやり続けられれば、代償なんて求めないものなんです。

恩師の一言が、大きな転機に

もう一つ感謝しているのは、ニューヨークフィルの首席トランペット奏者、P.スミス先生との出会いです。88年にビデオを見て感銘を受け、翌年、来日なさったので上京し、「弟子にしてください」とお願いしました。もちろん、ダメ。何度も手紙を書き、粘り、奨学金を獲得して、90年に渡米しました。

最初にいわれたことが忘れられません。「トランペットより大切なもの、それは家族や友人だ。明日トランペットが吹けなくなったとして、生きていけるか?おまえは生きていけない吹き方だ」と。思わず、涙がこぼれました。それまでは、突っ張って、格好よく見せたくて、うまくなりたい一心でやっていました。音楽には余裕やゆとりが必要だということをさとしてくださったんですね。

楽器を盗まれたり大変な目にもあいましたが、先生の助けで切り抜けられました。留学は、吹き方も生き方も大きく変わる転機になりました。

トランペットは、口のまわりの筋肉が衰えればやめる日がくる、寿命の短い楽器なんです。だから力まないで、吹けてる間の幸せを感じながら、やっていきたいですね。仙台フィルも、うまくなっても謙虚に頑張れるオケであれたらと思います。

もりおか まさのり
山形大学教育学部特別教科(音楽)教員養成過程を卒業。1982年仙台フィル(当時の宮城フィル)に入団。90年、アフィニス文化財団の奨学金を得てニューヨークに留学。P.スミスに1年間師事する。山形市生まれ。

第243回定期演奏会(2010年1月23日24日)プログラムより

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